軽やかに失速

□スキューギア
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 広く造られた道は手入れなどされず、荒い砂の混じる土埃でザラザラとしていて、足取りを煩わしいものにさせる。人気もなく拓けた視界には、建築途中の建物や、基礎部分だけが陣取る土地が目立つ。標識は、当然見当たらない。
 未開発区域は、その名の通りに不完全であった。
 グレープは区間通行所を背にして、漏れ聞こえる旅行者達の喧騒に耳を傾ける。境界線の向こうは確かに人が溢れていた。
 「人の足で十日」。アンカロックの開発事業が始まった当初、街の境界を定めた人物が残した有名な一言がある。
 地平線も見えない造りかけの街を見て、グレープは奇妙な興奮を覚えていた。
 それは、子供の頃いけないと叱られながらも、大人の目を盗んでは迷い込んでいた、故郷の森を見る感覚に似ている。この広大な土地が、数年後は人工物で埋まるのだ。
「……デカイ買い物したな」
 手に持つトランクに目を落とし、グレープは苦笑した。



 区間通行所では、数枚をセットにしている書類の一番始め、日付と名前だけを記入した女を見送った二人の男が所在なげに立っていた。
「緊張した……」
 アールの洩らした言葉に、警備主任は急に語気を荒げる。
「何だあの女! 仕事を何だと思ってるんだ! 特権でも持ってるのか!」
 監視員と名乗る女は、必要書類を完筆せず、言った通りに単純なサインを書いていった。力を入れずにサラリと書かれた文字は『ジル』と読める。
 男女かも判別し難いサインに身分証の未提示。管理の届かない未開発区域で問題があれば、責任は区間通行所を通した警備主任へ向かう。すぐにでも本社へ人物確認を行えば未然に事故を防ぐ一つの手にはなるが、自らの職務怠慢を追求されては面倒だと、同じ所を回るだけの思考に警備主任は苛立つ。
「だから女なんかに仕事させんなって──あれ、煙草どこだ」
「吸い過ぎだって主任」
 警備主任は灰皿を元の位置に戻しつつ、煙草を探して身体中のポケットを上から叩く。机の引き出しを全て開けたが出てこない。
「休息日に働いてるってのに、何なんだよ」
「だから吸い過ぎなんスよ。神様が吸うなって言ってんじゃないですか?」
 煙草を吸わないアールには、机の下に潜り込んでまで探す意味が分からない。一向に窓から出て行こうとしない煙を吸っていれば良いのではないかと、見当違いな疑問すら持っていた。
 「今日は神様も休みだ」と小言をこね始めた警備主任を見て、八つ当たりをされては困ると、アールは巡回警備に戻る事にした。



 美しい流線の一繋がりで『ジル』と書き込んだ女性は、区間通行所を背にして、一度辺りを見渡した。
 すでに青年の姿はない。
 二色の髪を風に流し、上空を見上げた女の黒い目は、太陽の下を飛ぶ影に気付く。
 鳥にしてはあまりに大きなその影。それは、未完成なアンカロックを観光都市として発展させた最大の要因であった。




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《軽やかに失速》
第一章 スキューギア
(1) 侵入





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