軽やかに失速

□スキューギア
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 区間通行所の中は、二人掛けのソファーが一つと、大きめの机が一つ。それでも少しの余裕がある広さで、壁にはヘルメットや警棒が掛けられている。
 机に座っていた警備主任は、堅い表情で入って来たアールの目配せだけで、情況を察したらしい。含えていた煙草を灰皿に押し付け、大量の吸い殻が詰まったそれを乱雑に積み上げられたファイルの後ろに隠した。
「主任、通行希望の方です。」
「ご苦労様。どうぞ、掛けて下さい」
 促されてソファーに腰掛けたグレープに、警備主任は丁寧に対応する。実に演技がかっている、とグレープは思った。憐れに思う気持ちも無くはないが、想像していたよりも遥かに酷い煙に顔が自然と歪んでしまい、意図せずして警備主任を窮地に追いやる。グレープの耳には、アールが窓を開けるカラカラという虚しい音が、警備主任の声よりも際立って聞こえた。
「……──ッ、ゴホッ!」
 突然の苦しそうな咳に、一同が緊張する。それは明らかに女のものだったからだ。
 一度吐き出された咳は止まらず、合間に吸い込む煙のせいで更に悪化しているのが容易に分かった。「大丈夫ですか?」というアールのぎこちない声と、女の腰掛けたパイプ椅子が軋む音を背に、グレープは必要項目の並ぶ書類を早く片付けてしまおうとペンを走らせた。
 同じ机の上では、警備主任の十指が宛もなくズリズリと這っている。
 未だに小さく咳き込む女は、先ほど監視員だと名乗っていた。アールはベストな対応が思いつかず、そっと監視員の背を撫でるしかない。
 気まずい室内は変わらず紫煙に包まれている。
「……では、こちらが許可証になります。」
「出る時もここを?」
「はい。許可証にパスとしての役割はありませんので、通行証書と交換になります」
「厳しいですね」
 グレープはチラリと背後の女に目を向けた。実際には首を動かしていないので、女を視界に収める事は出来なかったが、これは警備主任への言外の同調だった。「お察しします」と言う意味だ。
 警備主任は弱った風に眉を下げ、此方へどうぞ、とやはり丁寧な仕草でグレープを促す。
 そこへ、問題の女が声を発した。
「私も」
 始めに聞いた声よりも掠れた、控え目な声だった。それでもグレープと警備主任には再び緊張が走る。「向こうへ行きたいのだけど」と、アールに聞いているのに、何か悪い事が起きるのではないかと、想像力が気持ちを萎縮させていく。警備主任は、気を効かせて案内するべきか迷ったが、聞こえなかった振りをしてグレープを未開発区域へ送り出した。グレープは張り詰めた空間から解放されて、気付かれないように小さく息を吐いた。
 二人には、ほんの数秒間が数分間に引き延ばされように感じられていた。
 一方、監視員の予期せぬ言葉に、アールは戸惑っていた。てっきり、勤務中に巫山戯ていた事を厳しく注意されるのだとばかり思っていたからだ。勿論、実行はしなかったがやり過ぎたと反省もしている。
「サインだけではダメですか?」
 未開発区域は私有地である。監視員と謂えども気安く立ち入る事は出来ない。かといって、アールには監視員に意見する度胸はなく、警備主任に一任しようと視線を投げる。
 紫煙の向こうの警備主任は、いたく真面目な顔で書類を差し出した。
「さ、サインを戴ければ……」




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《軽やかに失速》
第一章 スキューギア
(1) 侵入





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