落竜は嘆き戦士は哮る

□鉄の魔法
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 息が切れるくらいに走って森を抜けると、そこは拓けた土地となっていた。
 領地の終わりを標す、三本の杭が遠くにある。杭に彫り込まれた魔除けの神狼がこちらを向いているのは、コンラートが領地の外にいる証拠。
 杭の内側は、領主不在の地。コンラートの生家である『赤い谷の城』と、二つの山脈が重なる谷間に根付く小さな村と農地が、コンラートの父親が持つ領地であった。領地は、山間の平地を二分する川で終わる。
 川を隔てた向こう側は国の領地で、そこには兵場と、貴族子弟が初夏だけ訪れる学舎がある。立派な寮を併設する学舎は、今は戦火を逃れて来た裕福な商人が一時の宿として使用していた。
 コンラートが暮らす小さな世界は、平和であった。
 男たちが戦に駆り出されても、年寄りや女子供だけで作物を育てる事はできる。大型の家畜を軍に差し出した分だけ飼料は浮いた。戦地から遠く、外敵に怯えずに済む世界は、嘘のように平和であった。
 境界を護る三本の杭に掘り込まれた神狼が、コンラートを睨む。
 言い知れぬ不安と、苛立ちが、コンラートの中で渦巻いている。
「クルト!」
 呼ぶ声に振り向くと、置き去りにしてしまった母親が息を切らしていた。
 コンラートの胸に、罪悪感がするりと入り込む。
 ないまぜの感情に、名前はない。何かが頭の中から言葉を奪って、コンラートの口を閉ざした。
 母親は、変わらず笑顔でコンラートに駆けよる。その頬も鼻の頭も寒さで赤く、白い息が景色に消えてゆく。
「ははうえ」
 コンラートは、耳に届いた自分の声に驚く。なんと弱々しい声だろうか。
 山陰に隠れようとする夕日の、わずかに暖かい光よりも、眼孔の奥底がよほど熱い。
 暮れなずむ、全てが歪んでゆく視界を、母親がケープで隠す。
 温かな空気の膜に包まれると、コンラートの喉は勝手に息を吐いた。それがひどく熱くて、空になった肺までもが灼熱のようで、コンラートは冷えきった両手で襟元を握りしめる。
「帰りましょう。陽が沈んでしまうわ」
 母親の優しい声と、首の後ろを撫でられる心地よさに、コンラートはコクリと頷いた。
 こうして何度も同じように母親の手を煩わせておいて、自分は一人で苦しいなどと、なぜそんな事を思うのだろうか。憎しみに似た感情が、内へ向き外へ向き、ぐるぐると回って正体を明かそうとしてはくれない。
(きっとこの気持ちは紛い物だ)
 だから、とコンラートは自分に言い聞かせる。
(父上も、間もなく帰ってくるのだから……)

 小さな子供のように、大声で喚いて身の内を満たしてしまって、頭の中から嫌な事を追い出せたら、どんなに良いことだろうか。




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《落竜は嘆き戦士は哮る》
第一章 鉄の魔法
(1) 「クルト」





 PLOT:[名]@(小説や芝居の)筋,仕組みA陰謀,悪だくみ[他]@たくらむ,くわだてるA設計する




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