落竜は嘆き戦士は哮る
□鉄の魔法
2ページ/4ページ
妹が生まれたばかりの頃、少年の兄は重い病で家から出られなくなった。
容態は日毎悪くなり、少年の手をとり陽が沈むまで駆け回っていた兄は、気がつけばベッドから起き上がる事すらできなくなっていた。
幼かった少年は、大きかった兄の手が、細く枯れてゆくのが怖かった。
少年が、死と云う概念に明確な輪郭を持たせ始めた矢先、兄は死んだ。
今年はやけに雪が降ると、静かな声で話していた大人たちの事は覚えているのに、少年は死に際の兄を覚えていない。兄は家族の肖像画の中で、今も微笑んでいる。少年にとって兄は、永遠に肖像画の中の姿をしていた。
家族が欠けて、その悲しみが癒えぬうち、妹が泣かなくなった。流行り病にかかった妹は、医者を呼び寄せた三日後に死んだ。
あの世と云うものがあるのだとしたら、と少年は考えた。母親の姿が見えなくなるだけで泣いていた妹は、幸せでいられるだろうか。やっと言葉を理解し始めた妹は、先に待つ兄が分かるだろうか。
「クルト」
子供が少年一人になって、父親は少年を略称で呼ぶようになった。元々、愛称で呼んだり本名で呼んだりと統一されていなかったから、少年は気にならなかった。母親も、気付けば少年を略称で呼んでいた。
少年の名は、コンラート。その名が呼ばれなくなって暫くして、コンラートはその意味を知った。
祖父母の代で廃れた呪(まじな)い。
悲しむ姿を見せない両親が、深く傷付いている事は感じていた。両親の愛が、残された自分へ一層向けられる事は嬉しいと思えたけれど、何かが間違っていると、コンラートは思う。まだ小さな自分の存在が、両親を少なからず苦しめているのではないかと、不安を抱いていた。
「クルト」
そう呼ばれる度に、コンラートは自分の気持ちにも気付いて欲しいと願うようになっていた。
守られるばかりの子供ではいたくないのだと、それは両親を想う気持ちに由るのものだと、知って欲しいと願うようになっていた。
この気持ちを、子供から大人になろうともがくコンラートは、うまく理解する事ができないでいる。
揺れ動く衝動に呑み込まれて、ただ焦りや苛立ちに似た不快感を覚えるだけで、相手に伝える事が出来ない。そして、そんな自分を疎ましく思う、その繰り返しであった。
「クルト」
ある日、コンラートの頭を一撫でして、父親は戦地へ赴いた。
コンラートは、最後だと思った。これで家族は母親と自分のたった二人きりになるのだと、不遇を嘆いた。父親は見知らぬ地で敵に殺されるのだと、言い知れぬ不安で眠れない夜を過ごした。
暫くして、戦地から手紙が届く。
母親の嬉しそうな顔を、コンラートは今でも忘れられずにいる。母親は、丸められた荒い羊皮紙を広げ、暗記してしまったらしい文字を指で追いながら読み聞かせてくれた。
そこには、戦地に咲く花や珍しい鳥の事が書かれていた。太陽に架かる虹を見て、精霊が声を届けてくれないかと祈りを捧げると、沢山の雨が降って、お前が泣いているのだと分かった、そう書いてある。寂しい思いをさせてすまない、と続けられ、自分が帰るまでは代わりに母親を守ってくれと、母親の優しい声が読み上げる。
コンラートは何と言っていいか分からず、ずっと母親に寄り添っていた。
母親に宛てた手紙には、体を気遣う内容と二人の昔話が綴られ、自分の事は心配するなという文で締め括られていた。その最後には短い愛の科白が、コンラートに宛てた手紙には、略称ではなく本名が讃える文句と共に記されている。
コンラートは大袈裟に喜んでみせた。ざらつく羊皮紙の表面を幾度も撫でる母親を見て、滲み出す無力感に気付かないように。
母親は手紙に向かっている。父親が不在であって、それを寂しいとも不安であるとも口にしない母親は、ひどく小さく見えた。
<前
次>
#
1
2
3
4
≪
(小説←本文)
《落竜は嘆き戦士は哮る》
第一章 鉄の魔法
(1) 「クルト」
PLOT:[名]@(小説や芝居の)筋,仕組みA陰謀,悪だくみ[他]@たくらむ,くわだてるA設計する
→
次へ
←
前へ
[
戻る
]
[
TOPへ
]
[
しおり
]
カスタマイズ
©フォレストページ