睡蓮残夢 〜麋竺伝〜

□落日賦
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 灼けるような背中の痛みに、麋芳は顔を歪めた。
 それを見た部下の(はん)が心配そうに尋ねる。
「太守、……麋将軍、大丈夫ですか?」
「……あぁ」
 荊州南郡太守。「太守」と聞こえは良いが、実際のところは、関羽の後方支援に過ぎなかった。
 当初、麋芳は樊城を攻める関羽軍に在り、その先鋒を任されていた。しかし、出陣前夜に自分の兵が火の不始末から武具や兵糧を焼いてしまったのだ。
 翌朝、関羽は激しく怒り麋芳を先鋒から外すばかりでなく、士気を削いだ罰として、将兵らの面前で彼に容赦ない打擲を加えた。
 一軍を預かる将に罰を加えるにしても、それなりの礼があるはずだが、こともあろうに兵卒同然の仕打ちを受けた。
 妹の玲蓮が劉備に嫁していた以上、彼は曲がりなりにも主君の姻戚には違いない。さらに、呂布に徐州を追われた時には、麋家が蓄財を惜し気もなく提供して、劉備は九死に一生を得ていた。
 劉備や兄・麋竺と行動を共にしていた頃はまだ良かったのだが、彼らが蜀に入ると、関羽はあからさまに態度を変えた。
──麋芳は、兄に扈従(こじゅう)するだけの小物に過ぎぬ。
 そう周囲に広言して憚らなかった。
 この言葉を伝え聞いた麋芳の自尊心は、著しく傷つけられた。自分は一将として、必死に仕えてきたつもりなのに、関羽は何故に自分を軽んじるのか。
 今は耐えるしかない……。兄の面目もある。
そして何よりも、彼には主君の義兄だという誇りがあった。
 こみ上げる怒りを必死にこらえ、横暴な仕打ちを甘んじて受けたのである。

 あれから一月。
「将軍、成都の麋子仲様より書簡が届きました」
「兄者から?」
 范が差し出す竹簡を受け取り、封泥を剥がし勢い良く広げて書面に目を落とす。
 懐かしい兄の筆跡。そこには几帳面な性格を表すように、細かく丁寧な文字が並んでいた。
 長子の威に子が生まれ、照と名付けたこと、漸く慣れてきた成都での生活、主君・劉備や軍の動きに到るまで、一字一句間違いもなくびっしりと書き込まれていた。
 文末には遠く離れた弟を心配する兄の言葉が添えられていた。
──子方、お前は短慮ゆえに、軽はずみな事をして関羽殿を困らせていないか心配だ。兵を労る心を忘れるな。……また会える日を楽しみにしている。
「……ふっ。相変わらず兄者らしいな」
 思わず口許が綻んだ。
(だが、俺は関将軍に嫌われているようだ……)
 不意に背中が疼いて、麋芳は思わずうずくまり、呟いた。
「おのれ、関羽め……」

 その頃、麋芳の守る南郡周辺では、劉備陣営が予想だにしなかった事が起きていた。
 何者かによって、関羽が造らせた烽火台の守備兵達が、甘言や虚言、時には賄賂を弄して調略されていたのである。
 毎夜一つずつ。
 それはゆっくりと、しかし着実に関羽の勢力圏内へ進み、守備兵を集めながら、やがて一つの大軍となってじわりじわりと麋芳の守る南郡の郡治、江陵を包囲しつつあった。
 その軍を指揮するのは、病で療養していた“はず”の孫権の将、呂蒙と、その後任でありながらも全く無名の若者、陸遜。
 孫呉は表向きは関羽に靡く姿勢を見せ、裏では荊州を取り返さんと密かに動き出していた。

「将軍……、麋将軍! 大変です。ごっ、呉軍が城外に!」
「呉軍だと?! ……そんな馬鹿なッ!」
 息も絶え絶えに走ってきた范の言葉に、麋芳は一目散に城壁へ駆け上がった。
 確かに眼下に見えるのは、数万というの呉の大軍勢だった。
「奴等、いつの間に……。いや待て。此処に辿り着いたというのなら、公安の士仁は抜かれたというのか?」
 そうだとしても何かがおかしい。
 こんな呉の大軍が攻めて来たのなら、士仁から援軍要請など何かしら報せが届く筈だ。そもそも、その為に関羽は烽火台を造ったのではないのか。
 何故、全く機能しないのか。
 しかも先に呉軍と接触したであろう士仁軍の敗残兵が、一人として来ないのは何故だ。
 いかに敵が迅速であっても、警戒をしていた以上、味方に全く急を告げる間もなく殲滅されたとはとても考えられない。
「とにかく関将軍に伝令を飛ばせ。烽火だけでは宛てにならぬし足りぬ」
 麋芳の下知に部将達が慌ただしく走り回る。
「士仁軍の動向も探れ。城門は閉ざして打って出るな」
 集められた兵の前に立った麋芳であったが、眼前の兵の士気は著しく低い。
(城を閉ざしたものの、この兵どもでは戦えぬな……)
 関羽は負傷兵をこの城に送り込み、新たな精兵をここから補充していたのだ。
 この時、城内にあったのは負傷兵ばかりで、守備兵として使えるのは僅か数千、打って出ても到底勝ち目はない。ここは屈辱だが、関羽の本隊に救援を願うほかは無い。
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