睡蓮残夢 〜麋竺伝〜

□玻璃之都
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 高々たる城郭
   溢れる民草の活気
 天子が棲まう
   絢爛たる宮殿は
     瑠璃の如き光を放つ
 小さき幼子の瞳に映る
   そのまばゆき城は
 天下万民が誇りし
   帝都・雒陽──


「父上は『みやこ』に、なにをしに行くの? てんしさまに会うの?」
 竺は、父の麋景に支えられながらも大好きな馬に跨がり、上機嫌だった。今年で四歳になる彼にとって、生まれて初めての長旅なのだから無理はない。
 都には天子様がいる。天子様がどういった存在であるのかはよく知らないが、竺にとっては都と天子様は対句のようなものだ。しかし、父の答えは別なものであった。
「残念ながら天子様に会えるほど父は偉くないのでな。荘園の麦と塩、江南で買い付けた米、南海からの交易品を都で売って、西方からの珍しい品々を買い付けるのだよ」
 徐州屈指の豪族であり、大商家でもあった麋氏の家業というものを、竺は僅かではあるが理解し始めた頃で、ちょうどよい機会とばかりに、麋景は息子を連れてきたのである。
 彼ら親子の後ろには、馬に牽かれた十台ほどの荷車が続く。三十人程の武器を携えた屈強な男達が周りを取り囲んでいるのは、山賊などから積み荷を護るためだ。
 その他にも奴婢が十数名。麋景父子を合わせて約五十人の商隊である。
「見えるか、竺。あの門が青陽門だ」
 巨大な城郭に聳える、これまた巨大な城門。東に構えるこの門は「青陽門」と呼ばれていた。
「東海のお城よりずっと、ずうっとおっきいなぁ……」
 東海の郡治・郯城とは比べ物にならぬほど巨大な城門を、ポカンと口を開けたまま、竺は上を見上げている。
 門の真下に差し掛かると、衛兵が数人やって来て、積み荷を調べ始めた。麋景と何やら話をしているようだが、内容は幼い竺には解らない。父が小さな袋を差し出すと、兵達は脇に退けて一行を通してくれた。
「父上、あのおじさんに何をあげたの?」
 竺は、父が差し出した袋の中身に興味津々の様子。
「城内で物を売るには、ここで租を支払わねばならぬのだよ。さて、竺。ここからは下馬せねばならぬ。自分で歩けるな?」
「うんっ」
 馬から降りると、下男の一人が馬の手綱を預かろうと進み出てきた。
「父上、竺がお馬の手綱引いてもいい?」
「馬が急に暴れだしたら、お前は引き摺られてしまうぞ。それでも良いならな」
 父親が意地悪く笑うと、竺は手にしていた手綱を慌てて下男に渡した。
「お前に馬はまだ早い。そうだな……、まずは驢馬に一人で跨がって御せるようになったら、駿馬の仔をお前に一頭やろう」
「本当?」
「あぁ、父は嘘はつかぬ」
 そんな会話をしながら、人で溢れる大通りを歩くと、前方に大きな酒家が見えてきた。代々、麋家の当主が逗留に利用してきた馴染みの酒家である。
 酒家の前まで来ると、中から初老の主人が出てきて、麋景と親しげに話し始めた。
「おや、敬英殿。これなる幼子はご子息ですかな?」
 主人が竺の存在に気付いて、彼の前で膝を折った。
「名は、なんと言われるのかな?」
「……」
 人の良さそうな面持ちの主人ではあったが、初対面の大人に話し掛けられた竺は、反射的に父の背後に隠れてしまった。
「竺、きちんと挨拶をせぬか」
 父は、なんとか前に出そうとするが、衣をしっかり掴んで離さない。
「まあまあ。あまり無理強いはせずとも良いではありませんか。まだこんなに幼いのですから……」
「済まぬな。どうにも人見知りが激しくて手を焼いておる」
「じきに馴れましょう。のう、若様」
 主人が竺の頭にぽんと手を乗せると、竺は、その後ろに控えていた下男の背後へ逃げてしまった。
「はっはっは。これはまた随分と嫌われてしまったのう」
 主人は笑って、あれこれ使用人たちに指示を出しながら奥へ入ってゆく。麋家一行もそれに続いた。
 中庭を挟んだ奥は麋家専用の離れがあり、その前に荷車がずらりと並んだ。
「さて、竺よ。私は今から一つ用事を済ませて参る。ここで待っておれ」
 麋景が手招くと、竺の世話を任されている(はしため)たちが集まってくる。
「父上……、竺も行く。おいてかないで」
 竺は、半べそをかきながら父親にすがりつくが、引き剥がされた。
「夕刻までには戻るから、良い子にしておるのだぞ。お前たち、息子を頼む」
「畏まりました」
 婢たちは恭しく頭を下げて主を見送った。
 麋景の姿が見えなくなると、残された下男たちは、行李を中に運び始めた。
 竺の両脇にかしずいていた女たちも、彼を促して屋内に入る。
「ねえ、(まあ)はどうして来ないの?」
「媽は……、お母上のお手伝いをなさっておられますのよ」
 竺の言う「媽」とは彼の乳母で、名を暎といった。本来なら彼女がついてくるべきなのだが、麋景が徐州に残してきたのだ。
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