World End

□WE<改訂版>
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─そこに 空間があった

─黒よりも なおくろく

─闇よりも なおくらく

─何者も 何物も 寄せ付けない



─くろく くらい 空間があった



* * *


沈丁花の香り漂う三月下旬。
まだ陽が昇ったばかりの朝方だというのに、一人の青年が竹箒で落ち葉を掃いている。
白い着物に、藍色の袴姿。
漆黒の髪は短く切り揃えられ、同じ色の瞳はまだ眠気を持って、瞼が半分下がったままだ。

「ふあ…」

青年は欠伸をひとつこぼして、箒の柄を持ち直した。
ここ「梅香院」六十八代目住職の一人息子、塩沢尚護である。
梅香院は、二千年の歴史を持つ由緒正しき守護寺。
国が出来た時から他の守護寺と共に、町を、国を護ってきた。
寺は町の北側に位置し、町全体を見渡せる小高い丘の上にある。
代々の住職は強大な力を持つ法力僧で、その力で、町と、その周辺地域一帯を結界によって守護していた。
寺には沢山の修行僧が居り、一つ屋根の下で暮らしている。
そしてもちろん、住職の息子である尚護も他の僧達に混じって日々修行を重ねていた。
その修行の一環として、広大な敷地を持つ寺の境内の三分の一を占める竹林の掃き掃除が、尚護の毎朝の日課になっていた。

既に、小一時間ほど掃き掃除をしていた尚護は、箒を掃く手を止める。
ふと。
すっかり春らしく暖かくなった風が、竹林を吹き抜け、黄色味を帯びてきた笹の葉を揺らした。
思ったより強い風に、尚護はなびく袖を押さえる。
せっかく集めた葉が無情にも風に煽られ、渦を巻きながら舞い上がった。
散らばってしまった葉を見て、尚護は溜め息を吐く。

「めんどくさ…」

尚護は葉を集めるのを諦め、かろうじて少し纏まって残っていた葉を袋に入れる。
袋の口を軽く縛って片手に持ち、空いている方の手で箒を肩に担ぐと母屋の方へ歩き出した。
寺の境内は縦に長い長方形で、南側から、前庭、本堂、中庭、母屋、演習場と続いている。
そして竹林は演習場の先、北側一帯を埋め尽くすように群生していた。
境内の周りは漆喰の塀に囲まれていて、東西南北それぞれに木造の門がある。
塀の外は鬱蒼とした森が広がっており、丘全体を覆っていた。
尚護は母屋の裏にある納屋へ箒をしまって、隣に置いてある大きめの木箱の中に集めた落ち葉を入れた。
ここで寝かせて堆肥にするのである。

ひと通り朝のお勤めを終えると、ひとつ伸びをして首をコキッと鳴らした。
今日は休日でスクールは休み。特にやることもない。
もうひと眠りしようかとまた眠くなってきた目を擦っていると、聞き慣れた、男性にしては少し高めの声が尚護を呼び止めた。

「あ。しょーご!おっはよー!」

尚護が声のした方を見れば、親友の木曾実治が手を振りながらこちらに向かって来ていた。
こんな朝早く、しかも休日に一体どうしたのかと寝ぼけた頭で考えて、尚護はその理由に辿り着く。
「いつも悪いな」と、尚護が労いの言葉をかければ軽快な返事が返ってきた。

「こちらこそ!毎度ありがとうございまーす」

実治は、オーストラリア人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、尚護にとってはスクールの同級生でもあり親友。
外見は父親似なのか、フワフワの金髪にビー玉みたいな蒼い目、白磁器のような白い肌にくっきりとした顔立ち。
はっきりいって美少年である。
彼の家は家族で花屋を営んでおり、尚護の家は昔からのお得意先だ。
本堂の祭壇用に四日に一度配達してもらっているが、今回はたまたま休みに重なってしまったらしい。
普段は父親の担当である配達を休日は実治も手伝っているのだ。

「上がってお茶でも?」

すっかり目の覚めた尚護は配達のお礼にと声をかける。
しかし実治は済まなそうな顔で手を合わせた。

「あー…、ごめん!今日は他にも配達頼まれてんだ」

「尚護んちの緑茶うまいのにな〜」と残念そうに呟いていた実治だが、ふと、思い付いたように顔をあげた。

「今日の手伝い昼までだからさ。午後どっか行こーよ」

突然の申し出にキョトンとした尚護だったが、実治の思い付きの行動はいつものことである。
これといって用事も無かったので二つ返事でOKした。
仕事が終わったら連絡を貰う約束をして、配達の納品書を受け取り実治と別れる。
母屋に戻ると、食事当番の僧が作った朝食が食卓に並んでいた。
たくさんの僧が一緒に暮らしているこの梅香院では、毎日の食事は当番制で三人一組で一日分を担当する。
今日の献立はトーストにサラダ、コーンスープと、デザートにヨーグルト。付け合せはベリーのジャムだ。
すべての品は大皿に盛られており、好きなだけ取り分けて食べる。
時間が早いこともあって、席に着いているのはまだ二人ほどだった。
尚護はその一人に声をかけ、隣に腰を下ろした。

「おはよう樹」

「尚護、おはよう。今日も早いね」

樹は歳が近いこともあり、尚護とは小さい頃から一緒に修行したり遊んだりしている仲である。
少し茶色がかった黒のショートカットに、くりっとした二重の目は髪色を更に明るくした薄茶色。
一見活発な印象を与えるが、実際は自分に自身が持てないコンプレックスの塊りで、いつも自己嫌悪に陥っては尚護や他の兄弟に慰められている。
「兄弟」というのは、同じ孤児院で育った月と桂の事で、十二年前、樹が七歳の時一緒に梅香院にやってきた。
血の繋がりはないが、生まれた時から一緒に居るので兄弟同然である。
そしてもちろん、尚護をはじめ梅香院で暮らしている僧達全員が家族なのだ。

「あ。ね、尚護さ、今日休みだよね?」

「うん?」

あらかた食べ終えたところで、樹は尚護の一日の予定を尋ねた。
疑問に思いながらも尚護が先ほどの実治との約束を伝えると、少し残念そうな表情で苦笑する。

「そっかー…。じゃあ、いいや!」

「何?どうしたの?」

「やー、うん。今日はあたしも稽古つけてもらうの午前中でおしまいだからさ、午後から自主練につき合ってもらおうと思ったんだけど」

「そうだったんだ。ごめん」

「や、こっちも突然だったし」と笑顔を見せて、樹は自分の食器を持って立ち上がった。
それに倣って尚護も空になった皿を洗うべく席を立つ。
食事は担当者が作ってくれるが、自分の茶碗は自分で洗うのがルールである。
着物の袖が濡れないようにタスキを結び並んで流しに立ったところで、尚護は樹の持つスポンジをひょいと取り上げた。
樹は訳が分からず首を傾げる。

「洗っとくよ。付き合えなかったお詫び」

「いいのに。でも、ありがと!」

ありがたく尚護の申し出を受け取り、樹は稽古の準備をするべく演習場に走っていった。
それを見送って流しに向き直ると、手を動かしながらも今日の予定を頭の中で反芻する。
約束は昼だから、それまでに提出用の課題を終わらせてしまおうか。
今回は卒業に向けて、学んだ内容のまとめと考察をレポート形式で提出するのである。
すでに大方出来上がっているので残っているのは考察だけだ。
これなら約束までに充分終わるだろうと、手早く残りの食器を片付けた。

母屋の二階にある自室に着くと、さっそくレポートを終わらせるべく机に向かう。
そういえば、実治がまだ半分しか終わっていないと言っていなかったか。
休日まで家の手伝いをしている親友のため、箇条書きではあるが資料を作ってやることにした。

小一時間ほどレポートに向かったところで尚護はペンを置き、ぐっ、と伸びをした。
机の前にある窓から爽やかな風が流れ込む。
集中していて熱くなってしまった頭にはちょうどいい。

「いい風」

ふっと表情を緩めて、髪を揺らす風に身を委ねる。
そうしているうちになんだか眠くなってきてしまい、段々と瞼が下がってきているのが自分でもわかる。
しばらくこめかみを押さえたり頭を振ったりしていたが、どうにも覚醒しない。
しょうがない、とひとつ息を吐き、課題を諦めて一眠りすることにした。
昼までにはまだまだ時間があるから、それまでに起きれば大丈夫だろう。
レポートを手早くまとめファイルに挟むと、着替えるのも億劫なのか尚護は着物のままベッドに潜り込んだ。


* * *


どれくらい眠っていたのだろうか。
夢を、見た。

そこは闇だった。
自分が立っているのはわかるのに、
何も見えない、何も聞こえない。

腕の感覚はあるのに、
手をのばしてみても、その手は空を切るばかり。
つかめるものもない。

本当に、

目は見えているのか。
耳は聞こえているのか。
手はついているのか。

この体は、

存在しているのだろうか。


* * *


−ピリリリリリ、ピリリリリリ

「!!?」

携帯の鳴る音で、目が覚めた。
がばっ、と勢いよく尚護は飛び起き、机の上でけたたましく鳴り続ける携帯を手に取る。

「はい!!」

「もしもーし」と明るい声が返ってきた。
実治だ。
枕元の時計に目をやれば、十二時を少し回ったくらいだった。
どうやら少しのつもりが、しっかり眠ってしまったらしい。
着物のままで寝ていた尚護はクロゼットから適当に服を出し、慌てて着替えると部屋の扉を開けた。
目の前に携帯を左耳に当て、笑いをこらえた顔の実治が立っている。

「珍しいね。尚護が寝坊するの」

「ごめん」

「ちょっと夢見が悪くて」と、ばつの悪そうな顔で言い訳しつつ、部屋を出た。
実治の表情が心なしか沈んでいるのに気付かぬまま。

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