09/03の日記

12:19
休憩
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あ、前回の記事なんですが、昨日一日各所で吐き出してみたらほっとしました。

『快楽主義は不実ではない』

と、おもう。
世の中のお父さん、お母さんというのはすごいということや、まあ普通に非童貞、非処女にだっていい人がいることが、なんか見えなくなったときに生じるウワァァァでした。

ついついわたしは特別だ、わたしだけはダメなんだと思ってしまうけど、これを頑張って忘れようかなって。

と、言ってるうちに「いっそビッチ化したら吹っ切れるかしら」って極論に達したのが昨日の夕方でございます。うへ。

精神的にどっと疲弊して、様子見に来てくれた友人を送り出したら即寝ちゃいました。11時間。
不眠か過眠のどっちか的な状況はなかなか治りません、躁鬱ですから……。

缶ちゃん、やっぱりここ見てないのは知ってるけど、わざわざ病院までついてきてくれて、話きいてくれてありがとうー。

わたしとどっこいどっこいのメンヘラかと思ったら、なんか発想のバランスがよくて、やっぱり学生社会であれ、ネット社会であれ、社交ができるひとは違うなーと思いました。

わたし、あんまり社交的なたちではなくて、友達はそんなほしくないのに、必要や倫理感に駆られて友人作っちゃうところがあり……。

倫理感といってもピンキリですよねえ。
最近はといえば、隠遁してからネットで発言することにつらみを感じなくなり、自分の意見を押し通すのもありかなー、という気分です。

融和主義とでも言いましょうか。あれは無しだと思います。無主義・許容の皮を被り、自他に言論弾圧をするものかと。
八方美人でいるはやはり疲れますよ……。国内ではそれが美徳。
その、平社員とか、凡人でいるには協調性が必要なんですけど。凡人は疲れないってのは嘘だあ。

――なにか言っている人のすべてを肯定するのと、否定する人を認めるのと、自分は何も言わないのの並行はやはり筋が通らなくてむずかしい――
――逆に、ただ筋なんてものを忘れ、何も言わないのもまたむずかしい――


逆に融和を嫌悪するのも変な話ですけどね。孤立つって字面通り、独りでも立ってるならいいですけど、そんなことはできませんからー。
で、「孤独だ……」って嘆くのも馬鹿だ。それを選んだんだろうに。


「みんな違って、みんないい」
という言葉を、全否定するか全肯定するか、どっちかなんだよねえ。つきあい下手というのは。

「みんな違って、みんないいけど、みんなきもい」
と思えるようになりたい。
無理して嫌なところまで好きになる必要はない。
逆に全否定する気持ちのときは、
「みんな違って、みんなきもいけど、みんないい」
と思えたら。
一人でいつづけることに理由をつけたら、その理屈に沿わなくてはならなくなるから、もう何も考えないで、寂しいときにさみしいって言いたいわ。

そんなんでも、仲なんて勝手に良くも悪くもなるなあって感じました。
よくよく考えたら、嫌いだけど気付いたら掛け替えないくらい仲いいひととか、いるわ。
あと、悪い人じゃないけどやっぱ嫌いだから仲良くはなりたくないひととか。
好きだったのにどうしても仲良くなれなかったひととか。
噛み合わないもんだね。

だから、融和しようなんて意識したうえでの試みは無意味でしかない。
無意味だから、やってても気づかないもんであるかもしれない。

頑張ったもん負けかもね。
指針だって、なくちゃ困るけど、縛られてもいけない。
でも縛らなきゃそれは指針ではない。
もう、意味がわかんね。

 

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