海賊-

□カンパリオレンジ
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酷く痛む眼を押さえたら、なけ無しの涙がぽろりと零れてギョッとした。
剥き出しの膝が生温かく濡れてく感触がやけにリアルで、膜一つ分隔てられたように遠かった。

「うー、うー、うー」

サンダルの足でジタバタと地団太を踏んでみる。
真っ白なテーブルの上でグラスが揺れたけれど、それはフルーツとミントの葉っぱが添えられた彼特製のカンパリオレンジだったけれど、気にしない。
テーブルを蹴り上げるみたいに、船底を蹴り破るみたいに、爪先を振り上げて、踵を床に打ち下ろす。

駄々っ子みたい。

そう思って、思った自分に唸って、チラリともこちらを見向きもしない背中を睨む。
そんなもん痛くも痒くもねぇよと呆れて眼を細めそうな男の背中に伝う汗を、竹刀を振り下ろす度飛び散る汗を、恨みがましく睨みつける。
ガツン!と勢い余ってテーブルを蹴り上げた爪先から、じぃんと痺れが伝わって、くぅっと小さく喉が鳴った。

痛い痛い痛いんだってばこのバカマリモ!

ギュウと瞑っていた眼を開けたら、視界がなんだか赤かった。
真っ白いテーブルを汚す、それがカンパリオレンジだと気づいたら、ぽつんとまた一つ涙が零れた。
スカートも膝も床もカンパリオレンジで濡れて、甘いような爽やかな柑橘の香りが染み付いて、それでも止まない素振りの音に無性に悔しくなって、えーんと声を立てて泣いてみた。
素振りの音が、ぴたりと止む。
えーんえーんとますます大きな声を立てて泣くと、溜息をひとつ吐く気配がして、裸足の足音がぺたぺたと近づいてきた。
指の間からそっと見上げると、次の瞬間ピシンとオデコに結構な衝撃が来た。
じわ〜っと広がる痛みに涙が貯まる。デコピンだ。デコピンされた。いじめっ子だ!

「痛ーいっバカバカバカバカバカマリモ!筋肉バカ!いじめっ子!うわーん!」

ガバっとテーブルに突っ伏してうわーんと泣いた。
腕も顔も前髪もカンパリオレンジに濡れてしまったけれど、そんなことちっとも気にならなかった。
カンパリに混じって匂い立つオレンジの香りを、懐かしいとさえ思った。

「…っとに面倒くせぇ奴」

あんたが泣かせてんでしょうがっ、と思わず顔を上げてキッと睨みつけると、ほらよと言わんばかりに顔にポスンと何かを押し付けられた。
息を止めて、吐いて、吸った瞬間微かに鼻腔に流れ込むこの男の香り。
慌ててそれで鼻をかんで、別のところにもう一度鼻をくっつけてすうっと息を吸う。
その瞬間さっきよりもはっきりと流れ込み、肺だけじゃなく腹の底まで満たしてくるその香りに、涙が止まってストンと力が抜け落ちた。
そんな自分の反応が、また頭にくるくらい悔しい。

「…汗くさっ」
「鼻水かみやがったくせにそうくるか。嫌なら返せ」
「お断りよ」
「…手に負えねぇな」

また一つ溜息をつく気配がして、頭のてっぺんがズシっと少し重たくなった。
頑是無いこどもを宥めるようにポンポンと頭を撫でられて、頭の中の脳味噌がぐわんぐわんと大きく揺れた気がした。

「何よ何よあんたなんかねぇ、あんたなんか」
「何」
「……あんたなんか、余計な気ィ回してないでラブコックにメロメロに愛されて絆されて奈落の底で蕩けてりゃいいのよデコッパゲ!」
「…ってめ、シャツ返せ」
「嫌よ。差し出されたモンはあたしのモンなんだから」

ピキンと青筋を立てて憤然とシャツをひったくろうとする腕から素早く逃げて、思い切りアッカンベーをする。

大嫌いよ。
睨んだって、気づいていたって振り向きもしないくせに、泣いた途端ようやく視界に入れてくれるツレナさも、近づいてきてもなお曖昧なこの距離も。

大好きよ。
前しか見ていないくせに無意味によく気がつくところも、必要なことも余計なことも何も言いやしないくせに、そのくせ無防備に優しいところも。


悔しいから、絶対に口に出してなんかやらないけどね。




end

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