callーagainー
□callーagainー
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自分と結婚していた、ということを、受け入れられていないことが、Lにとっては絶望のようだった。
冷静な自分は『当然だ』という。初対面で出会った男が自分の結婚相手だなんて、信じられないに決まっている。誰だってそうだ。しかも自分は、女性から敬遠されるタイプである自覚があった。
だがもう一人の自分は、『あれほど濃い時間を過ごしたのに、それが全て忘れ去られるなんて信じがたい』と思っていた。命の危機すら乗り越えた私たちは、何があっても一生共にいるのだと思っていた。
揺るぎのないと思っていた愛は思っていた以上に脆い――その事実は、Lを苦しめた。
「失礼します! ああ、ゆづきちゃん!」
松田の声が響いた。ゆづきはきょとん、とする。病室に松田、それからその後ろに夜神が入ってくる。ゆづきはすぐにワタリから説明を受けた警官たちだと思い出したらしく、困ったように愛想笑いを浮かべた。
見舞いに来たい、という松田たちの連絡に、Lは二つ返事で許可を出していた。いつどこで彼女の記憶が戻るか分からないと思っていたからだ。それと、あの事故についての捜査報告も聞いておきたかった。
松田は泣きそうな顔で近づく。そしてホッとしたように言った。
「怪我は大したことなさそうで良かったね! 安心したよ」
「ありがとうございます。えっと、松田さん……でしたっけ」
「うんそうそう。覚えてくれて嬉しいよ」
犬のようにへら、と笑う松田に、ゆづきの肩の力がすっと抜けるのが見て分かった。
松田はよく言えば人に安心感を抱かれるタイプだ。悪く言えば舐められやすい。
今回の場合は松田の持っているオーラは大いに役立っている。いい人そう、という無害オーラは明らかにゆづきの安心感を買っていた。
緊張が解けたようにゆづきは微笑む。
「あの、すみません、私全く覚えてないんですが」
「うんうんそうだよね、分かってるから大丈夫! でも話してたら何か思い出すかもよ、ちょっと話してもいい?」
「はいぜひ」
「あれ、ホラー小説読んでるの? 好きだよねー」
「やっぱり好きだったんですか? 私」
「そうだよ! それも覚えてないか。もう怖い話になると、ゆづきちゃんは目の色変えて語りだしてさー」
和やかに雑談が始まる。黙っていた夜神は、ちらりとLに視線をよこした。Lはソファから飛び降り、廊下に出る。ワタリと松田はゆづきのそばに残っていた。
静かに閉じていく扉の隙間から、笑顔で松田と話す彼女の様子を見て、Lは安心したような、胸が苦しいような、どこか不思議な感覚を持っていた。
「竜崎」
「何か出ましたか」
二人は少し歩き、無人のカンファレンスルームを拝借した。Lは椅子に飛び乗り、夜神もその正面に腰かける。
「やはり銃撃があったことは間違いなかった。現場に物証が出ている」
「あの音は銃撃で間違いなかったですか……」
「今周辺の監視カメラを洗いざらい確かめている。数が多くまだ終わっていないが、ジェシーたちが車に追われていたことは間違いない。発砲する瞬間も収められていた」
「二人組ですか」
車を走らせながら前を走る車のタイヤを狙う。普通の人間は出来ない仕業なので、常識的に考えて犯人は二人以上いるとLは睨んでいた。
だが夜神は首を振る。
「運転席の窓が開き、走行したまま発砲された」
「まさか」
「その状態は映像に残されている。だが用意がいいことに、相手は完全に顔を隠した状態で性別すら映像からは分からない」
「その映像は一つ残らず送ってください。
ジェシーは車を派手に走らせながら逃亡していました。その運転について行きながら発砲、しかもタイヤを狙ったなど、普通の人間では出来ないことですよ。ワタリですら出来るかどうか」
「普通の人間ではない、ことは確かだな」
Lは黙り込む。夜神はさらに続けた。
「その後逃走した車は案外近くで発見された。だがやはり盗難車、犯人の手掛かりがないかは現在調べている最中だが」
「普通の人間ではない、のなら、そうやすやすと手掛かりを残すとは思えないですね……監視映像のことも考えて姿をしっかり隠していたほどですから」
「あとは目撃情報を当たっているが、今のところ空振りだ。もしいたとしても、スピードのある走行中でのことだ、期待できないだろう」
Lは爪を強く噛む。
「恨みはたくさん買ってきました。ですが、私への恨みだとすれば、私の正体や彼女のことまで相手に漏れているということになる……あまり考えにくいのですが……」
「例えば、以前あったように彼女の予知能力について狙う者のせいだとかは」
「ないとは言い切れませんね。ですがそれはたどるのはさすがに無理です」
「竜崎に対してなのか、彼女自身に対してなのか、それすら分からない、か」
「しかし疑問です。どちらにせよ、発砲したまま逃走しているというのが」
夜神は首を傾げた。Lは続ける。
「私に対する恨みなら、恋人の命を奪うことで仕返しをするという魂胆があるでしょう。ならば事故を起こした後とどめを刺さないのは不自然です。あらかじめ顔を隠して犯行に及ぶほど計画性のある犯人ならなおさら。
彼女自身を狙っているのならさらに変です。事故を起こしたあと、そのまま連れ去ることはできたはず」
「確かに……例えば大きな事故を起こしてしまったので人目が気になったのかもしれない」
「無くはないですがね……発砲し事故を起こさせたら、騒ぎになることは分かりきってるはずですが……去らねばならない理由があったのか。
もしくはあの事故も、他に目的があったのか」
二人が黙り込む。そしてそのまま長く沈黙が流れた。
Lの頭の中で色々なことを考えてみるが、どうも上手く脳が回転していない気がした。苛立ちから強く爪を噛む。頭の隅で、愛する者に忘れられているショックが残っているのだ。
考えなくてはならないことが山ほどある。以前の自分なら、もっと冷静に色々なことを考えられたはずだ。なのに今は、すべて空回りしている気がする。
こうなることだけは避けたかった。愛のために自分の力が衰えることだけは。
しばらくして、Lが夜神に尋ねた。
「森野という青年から話はどう聞いていますか」
しきりにゆづきが愛する人だと主張していた相手。非番の警官で、事故現場にたまたま居合わせたという。事故後助けてくれたことは感謝している。
「ああ、たまたま現場近くを歩いていたそうだ。そこで、大きな音が聞こえたので慌てて現場に走って行った。その時はすでに加害者側の車はいなかったらしい。横転している車を見てとりあえず警察と救急へ連絡、まず二人を車から外へ連れ出したそうだ」
「…………なるほど」
とすれば、現場より少し離れたところにいたわけか。まあ、事故の音が聞こえればそちらへ向かうのは自然なことだ。警官ならば、事故を起こした後車が炎上する危険もあるので、中の人間を救出しようと思い立つのも当然のこと。
「そのあと、ゆづきが目を覚ました。するとすでに、自分を知っているような口ぶりで抱き着いてきたのでひどく驚いた、とのことだ」
Lの爪を噛む動作がぴたりと止まった。それに気が付いた夜神が、慌てて話題をそらす。
「ええと、うん、すぐに警察と救急車が到着した。まあ、我々は元々竜崎から連絡を受けていたのですぐに駆け付けれたというわけだ。そのまま搬送された、というのが流れだ」
「……そうですか、分かりましたありがとうございます」
この事故には分からないことや不自然なことが多々あるが、一番おかしな点。
それはやはり、森野という青年をなぜ自分の恋人などと思ったのか。
すべて忘れるだけならよかった。忘れた上、そんな記憶の混乱があることが何より変なのだ。
夜神は胸ポケットから写真を取り出す。
「一応、竜崎は知りたいだろうと思い、森野の写真を持ってきた」
出されたそれをじっと見つめる。
さわやかな青年だった。整った顔立ち。どこか……夜神月のような、そんなオーラを感じる。女性に受けそうな、頭のよさそうな空気だ。
Lの心臓が締め付けられるように痛んだ。すぐに視線を逸らす。
「どんな青年ですか」
「真面目で優秀な人間だ。勤務態度も問題ない」
「そうですか、分かりました」
思い浮かべたくないのに、ゆづきが彼に抱き着いている姿が目に浮かんでしまう。Lは必死にそれを払った。
「まだ昨晩のことですし、捜査も進んでいないでしょう。引き続きよろしくお願いします」
「ああ、進捗は細かく伝える」
夜神がそう言って椅子から立ち上がった時、Lは小さな声で言った。
「夜神さん」
「ん? どうした」
「……正直に言います。私は今回、まるで頭が回っていません。私情が働きすぎています。
ゆづきのためにも犯人を特定しなければならないのに、頭の中が混乱でまとまらない」
情けない弱音が漏れた。夜神は驚いたように目を丸くし、だがすぐにそれを細めた。
世界のLか。彼の能力は確かに申し分ない。
だがLである前に一人の人間であることを、忘れていたようだ。
「大丈夫だ、まだ事件が起こって間もない。君の混乱は当然のことだ。少し時間が経てば必ず落ち着く。それまで我々が全力で捜査する」
「……はい」
「ゆづきも必ず思い出す。あの子は強い。君たちの絆は近くで見てきた」
Lは頷かなかった。力なく視線を落とし、ただ絶望色の瞳をしていた。
それを眉をひそめて、夜神は見ていた。