短い話(中身)

□からまつがとぶ
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「なにしてるの、おにいさん」

あぁ、と呟いて、男性は気まずそうに目をそらした。そのまま背を向けてしまう。革ジャンを着ている者には似合わぬ自信なさげな雰囲気。彼はそれきり黙ってしまった。
彼の頭が左右に揺れていた。なんだろうとつられて見上げれば小鳥が空を飛んでいた。ビル群の増えたこの一帯でいつからか鳥を見かけることも随分減った。鳥達には生きづらい環境になったのだろう。途端に目の前の鳥が苦しげに見えてくる。何かを運んでいるようで、ひょろりと垂れた黒い物体が嘴からのぞいている。あれにも大切な家族がいるのだろう。

「少し、ここで休もうと思ってな」

ややあって男はぎこちない笑みを張りつけてこちらを振り向いた。小鳥はもう飛び去っていた。

「俺はもう帰る」

彼はこちらに向き直るとドアへ向かっていった。君も暗くならないうちに帰るんだぞ!と言い残して。
今日は生ぬるい日だ。風がまとわりついてきてなんとなく怠い。
私はゆっくりとその場に腰を下ろすと空を見上げた。一面にくすんだ青色が目を染める。視界の端に黒く小さなものが映り込む。さっきの小鳥だろう、嘴になにかをくわえたままふらふら戻ってきたようだ。それで、
壁にぶつかった。どん、と壁に弾かれた小鳥は鈍い音を立てたのだろう、うごかないまま下に下に落ちていった。家族へのプレゼントも一緒に落ちていったか。それとも大切にくわえたままか。なんとなくかわいそうな気がして私は冥福を祈った。

“奪われたことすらないくせに!”
誰かのつんざくような声が聞こえた。気がする。



「なにしてるの、おにいさん」

そこに行けばまた彼がいた。眉がキリッとした感じだったから、なんとなく覚えていた。前回同様元気がなかったからかもしれない。今日は座り込んでいた。今回はもっと悪そうだ。振り返った彼はくしゃっと顔を歪めていて、今にも泣き出しそうだった。
おにいさん、と言葉を続けようとすると彼は名前を教えてくれた。からまつと言うらしい。どうか名前で呼んでくれないかと彼は続けて言った。体育座りのからまつは半身をこちらに向けて窮屈そうに見えた。こちらにきてはくれないのだろう。
家族に無視されるんだとからまつは言った。

「俺にできそうなことも、やらせてもらえないんだ。ブラザーたちは俺以外のブラザーに頼むし。そのくせ掃除も買い出しも馬券買ってくるのも、挙句のはて俺の代わりに就職してきてって。それで..........俺、一緒に居て、恥ずかしいって、言われたんだ。」

ほろほろとからまつの両目から涙がこぼれる。

「痛いってよく言われるんだ、何が痛いんだろう、怪我はしていないみたいだし。
俺、何か間違えてるんだよなぁ。だからきっと、一緒にいさせてもらえないんだ。でもほんとにわからないんだ。
どうやれば、どこ、なおせばいいの、なぁ.....!」

苦しんでる、辛いのもよくわかる。でもぶらさーがひっかかる。多分自分の兄弟のことを言っているのだろう。ううん、たぶんそういうところがイタいんだって。
決壊したようでからまつはえぐえぐと泣き出した。便利屋にされているのだろう。自分を削って生きるのが当たり前になった者の懺悔だった。懺悔だ。からまつは全面的に自分が悪いと思っている。
泣いて、泣いて、泣き続けて。
嗚咽がおさまってきた頃、からまつの身体が遠目ながらにふらふら揺れている気がした。まずい。私は急いで、でも静かにからまつに近づいた。身を乗り出してできるかぎり優しく、そっと背中に触れる。背中をさすりながら話しかけ、いったんこっちに来るように促した。
からまつはしばらく動かなかったがゆっくり体を起こしこちら側に移動してきた。
力が抜けたのかからまつはそのままへたり込んで私の肩にもたれたまま動かなくなった。低い体温はここで風にさらされていたからだろう。今日の天気は、くもり時々雨だったはず。からまつの真下のコンクリートだけがぽつぽつ濡れていった。
こぶしサイズの水跡ができた頃、もう動けるかなと声をかけた。全く反応が返ってこないので顔を覗き込めば半開きの虚ろな目が見えて、ああこれは手に負えなかったみたいだ。
これは大丈夫じゃない。大丈夫じゃない

「からまつ、スマホ貸してよ。家族.....友達でもいいからさ、迎えにきてもらおう。
からまつ、聞こえる?」

からまつがぴくりと動いた。

「スマホは、トド松しかもってないんだ」

とどまつ。多分人の名前だ。からまつの家族だろうか。このご時世に成人男性がスマホ無しとは。

「大丈夫、かえれるから」

だから、もうすこしいさせてほしい。

そう言ってからまつはもたれたまま。ひどく疲れた声だった。だから私は無言で背中をさすってあげた。


あなたの今晩の“あたたかいごはん”はありますか



そうやって何回もからまつに声をかけた。声をかけて、家に帰るよううながした。
うまくいっていたのだ。万々歳だったのだ。




「なにしてるの、おにいさん」

「あぁ、また会ったなぁ」

この間はどうやら無事に家に帰れたようだ。今日も鉄柵を超えた向こう側で、からまつは私ににっこりと微笑みかけていた。
今日のからまつは出会った中で1番調子が良さそうだ。でも出会った中で1番傷だらけで不気味だった。
頭も、手も足も、包帯でおおわれている。どう見たって大怪我だ。なのにからまつは笑ってた。かみ合わない。もういっそ清々しさを感じるやわらかな笑顔に背筋がぞわりと寒くなる。おい、どうした。
屋上のコンクリートは昨日の雨で濡れている。。鉄柵の向こうで笑っているからまつは足も怪我している。ねえそこは幅が30センチくらいしかないんだ。足の悪い君はその鉄柵を離したら故意にじゃなくても後ろへ倒れてしまうかもしれない。後ろは、青空だ。
なんだか今日はからまつを止められない自信しかない。いや、それはまずいだろ。でも、だってこれは、無理だ。

「今日はどうしたの、家に帰ろうよ、ねぇ」

ぬるい風が頬を撫でる。きもちわるい。
私が焦っていたっておかしくない。だってあの時のからまつはホントにおかしかった。もう壊れてた。
手汗がでた。心臓がばくばくいってた。息がしづらい。でも止めたかったのだ私は。

「この怪我な、
全部兄弟がやったんだ」

そう言ってまた優しく笑った。もうしょうがないブラザーたちだよなぁ、と。なんだそれは。それはいくらなんだって度が過ぎてる。ああ、包帯の白がまぶしいよからまつ。

「こっちきてよ、ね、からまつ。」

からまつが私を見る。
私もからまつを見る。

目線が合う。頼むよ、そんな困った顔で見つめないでくれ。
ビル群は今日もいつもと変わりない。
小鳥はあれ以来見かけていない。
今日はお日様も出ていて、いい天気なのに。
からまつだっていつもとちがって穏やかじゃないか。
なぁ、なんで今日もここに来たんだ。

「ねぇ、やめてよ」

先に音を上げたのは私だった。自分でも嫌になるくらい女々しい声だった。きっとからまつは最初から意思を変える気なんて無かったんだろうって、知ってたよそれくらい。でも、ああ全く、心臓が痛い。

「今のからまつ見てると、苦しいんだ」

続けて言えばからまつは目を伏せた。それから鉄柵をしっかり掴むと不自由な身体でゆっくり鉄柵を跨ぐ。

「ああ、わかったよ。大丈夫、もうやめておくよ」
へらりと笑うからまつを見て呼吸が楽になっていく。ああ、よかった。からまつ、よかった。
からまつは松葉杖を器用についてゆっくり私に近づいてきた。終わったのだ。今日がきっとからまつにとっても山だったんじゃないだろうか。今日さえ乗り切れば、もう大丈夫だから。少なくともしばらくは。
ふうとやってきたぬるい風が心地いい。あたたかい。

からまつが私の真横を素通りした。松葉杖をつく音が遠ざかっていく。
あれ
いつもは声をかけてくれるのに。


「“じゃあ今日はやめておくよ”」

屋上の扉がバタンと閉まった。
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