此岸でひととき
□9最期
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自分が生贄に選ばれたのを知ったのは今朝の話。水汲みから帰ってきた私と丁を長がわざわざ迎えて告げたのだ。淡々と告げて長は真顔で去った。
2人して黙ってしまう。横を見ればうつむいた丁。動揺はしていない。以前から知っていたんだ。
「行きましょう丁。遅れたらまた怒られてしまう」
なんにも言わないように。余計なことは言わないように。私は歩く。その後ろを丁がついてく。馴れ初めの頃のようだ。なつかしい。
丁は何を考えているのだろう。頭の悪い私に推察は向いていない。
痛いかな苦しいかな、ああもう泣きそうだ。
長から言われた瞬間、ああやっぱりかと思った。覚悟はしていた。屑のような期待が砕け散って、それでもどん底に突き落とされたような気分である。
以前一緒にいた召使いの彼女はどんな風に死んだっけ。最期まで手を合わせていたのか。朝起きて祭壇を訪れたときにはすでに彼女は事切れていた。餓死か。しばらく祭壇から歩くことすら許されなかったのだろうか。それとも毒の杯を飲み干したか。
「丁。
心配はいりませんよ」
歩みを止める。後ろの足音も止まる。夜もすっかり明けて活気付いていく村の空気。ぱちぱち火の粉の音。女たちの談笑。黙々と狩の道具を手入れする男が1人見えたり。少しずつ人気がしてくる。
「毛皮集めは1人になっても努めてくださいね。冬は凍えるほど寒いから。採集についてもお教えしたものでなんとか乗り切れるはずです。うまくやりなさいな」
振り返ると丁はこちらを見ていた。黒い瞳と視線がかち合う。水瓶を抱える両手にぎぅと力がこもっている。
(こんな出来損ないに付き合わせてしまいましたね)
「ごめんなさい」
(さいごまで教えてあげられなくて、手をかしてあげられなくて、悪巧みに乗っかれなくて、たわいもないおしゃべりができなくてごめんなさい)
そう言って、笑った。たった一言。丁に言いたい最期の言葉はそれで十分だ。頬が引きつる。しかしこれが正解だ。こうしようと決めていた。
わかってる。みなしごは私たち2人だけ。ここで引いたら今度は丁が生贄になる。丁だって死にたくない。私に逃げろと言えない。まず村の外で生き抜けるはずがない。多少なりとも罪悪感があるんでしょう。だからほら、そんな顔をする。いいんです。だからそんなふうに苦しそうにしないで。
(私は丁に救われていたのだから)
「.......謝ったりしません。私もあなたも悪くないのだから」
「ただ」
「雪と毎日水汲みに行って、勾玉を見に行って痛い目に合って、たまに採集に連れて行ってくれて色々な効能や成分を教えてもらって」
丁はそこで言葉を切った。何かに耐えるようだった。
「もう一緒に過ごせなくなるのが、悲しいです」
またうつむいてしまった。やっぱり根はいい子だ。こんな時は毒を吐かない。
「充分です。さようなら、丁」
丁は唇を噛んでいた。
かける言葉はもう無かった。