此岸でひととき

□8魅惑の
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「勾玉が見たいんです」


夕暮れ時。丁と夜番へ向かいながら私は話を切り出した。最近になると丁も夜番を任せられるようになった。丁が交代にしましょうと提案してきたので私の睡眠時間が増えた。丁は本当に賢い。

「はぁ。唐突ですね。最近女たちが作っている石のことですか」

勾玉は珍しくて高価だ。祭りや儀式のときを除いて触ることは許されないし、そもそも召使いが触るなんてことはない。
作ったものは宝物庫に。宝物庫。言い換えれば丁の仕える長のテリトリー。どうしたら長たちに見つからず勾玉とご対面できるのか。

「勾玉が見たいんです」

「...忍び込む手伝いをしろと」

「はい」

「...夜明け、日中は無理でしょうね。夕刻にしましょう。決してドジは踏まないでくださいよ。それから、言われた通りに動くこと。いいですか」

しっかり5秒間、丁は沈黙してからそう言ってくれた。知識欲の強い丁である。彼も勾玉が見たいのだ。

「私をただのドジ踏みと思わないことですよ。私は意外と使えます」

「採集だけでしょう。それだけは尊敬していますけれどね」

それでも本心なのでしょう?
丁の言葉がすごく嬉しかった。呆れた調子の声に好奇心がにじみ出ている。決行は明日。勾玉をこっそり見にいく。見つかればめちゃくちゃに殴られる。不利益が目立つが今回に限っては我儘を言わせてほしい。


夜番を終えて朝焼け、そのまま水汲みへ行く。不必要に目配せしていたら丁がわざわざやってきて落ち着きなさいと言った。ほとんど無意識だった。気を引き締めよう。そう思って目の前の葉の束を運んだらまた転んだ。丁は呆れた顔をしていたかもしれない。


夕方の宝物庫は静まり返っていた。見張り番も夕食をとりに帰っている。そこまで大きくない村なのだ。元から盗みなんて滅多にない。

「お先にどうぞ。私は先に見張りをしますから。早めに出てきてくださいね」

こちらを一目するとそのまま向こうを向いた丁。お礼をいって入り口をくぐる。


宝物庫といっても物置き場である。中は埃っぽい。あたりを見渡す。夕暮れ時で暗いがまだ見える。丁が言うには薄い木箱らしい。長が自分の住居に一度持ち帰って広げているのを見かけたそうだ。右端に掛けてあった毛皮をめくるとそれはすぐに見つかった。

いつのまにかまわりの音が消えていた。
気づけばくすんだ緑色が私の手の中にきちんと収まっている。
あれ、私いつのまにこれを出したのかしら。その疑問はどうでもよくなってしまった。うす暗い住居の中、磨き上げられた勾玉はつやつやと鈍い光を放っている。ちょっとでこぼこしているのはご愛嬌。

「雪、もうだめです戻りましょう」

心酔。鈍い光を放つそれは私を引きつけて離さない。側面をなぞるとひんやり冷たい。もう夏も近いというのにお前は冷たいのね、良い子。勾玉に口ずけを落とした。愛しさをこめてそっと。でもしっかりと。そうしたくてたまらなかったのだ。ひんやりと底冷えした冷たさに背筋がぞくりとする。ああなんて美しいの、

「雪ッ!!」

丁の焦った、叫ぶような声が聞こえた。周りの音がかえってくる。外に誰かいる!
直後、視界がまわった。頬に衝撃が走る。ぶたれた。

「この恩知らずが!!」

4、5回やられて、沈黙。村人は胸ぐらをつかんで床に叩きつけて外に出ていった。なぐる音と丁の呻く声が遠く聞こえた。
視界がちかちかする中、私はよろけながら立ち上がり外に飛び出した。まっすぐ走っていって丁に覆いかぶさった。男の拳が背に肩に足にぶつかる。痛い。痛くて痛くて、でもここを退くわけにはいかない。

やめてください!
やめてください!
もうしませんごめんなさい!!!

必死に大声で許しを乞うた。耐えて終わるのをじっと待つ。下にいる丁をぎゅっと抱きしめる。お願いだから早く終わってください。
村人が去った。私は丁から体を離す。体中がじくじく傷んだ。いいや、私はいいのだ。だってすぐに治るんだから。
うずくまった丁はお腹を押さえてうめいている。髪は乱れてばさばさで顔は見えない。
そっと肩にふれる。

「ッ、ひ」

悲鳴。傷は肩にもありそうだ。とりあえずここを離れなくては。村人に注目されてしまう。

「丁、歩きますよ」

丁を支えながら歩いていく。
住居の裏に入ると耐えかねたようそのまま膝を折ってうずくまってしまった。


主人の住居に行き採取袋を取りに戻る。宝庫の番はまだ私の失態を報告しに来ていなかったらしい、奥様が怪訝そうに私を見ただけだった。腰元の袋には以前入れたままの黒い実。とうとう使うときがきた。まさか自分の失態のせいで丁に怪我させてしまうなんて。
丁を横たえさせてまずハマゴウの果実を口に押し込む。痛み止めだ。黒い実をもみほぐして汁を出す。服を脱がさせて傷口を見る。切り傷は少ないけど菌が入り込むと怖いので全ヶ所に塗った。顔を見れない。謝罪の言葉を繰り返しながら手当をすすめた。

ハマゴウの実が効いてきたのだろう。丁はゆっくり体を起こすと住居にもたれた。痛みを逃すようにふぅと細く息を吐く。

「雪がヘマをやらかすことくらいわかっていましたよ」

毒舌が私を刺してきた。声は憎まれ口を叩く時のものだが声色は穏やかだ。そっと顔をうかがえばいつもの仏頂面。

「雪には色々と教えていただきましたからね。これでおあいこにしましょう。
勾玉はどうでしたか。ずいぶん気に入った様子に見えましたが」

ふぅぅとまた息を吐く。ハマゴウをもう一つ手渡す。丁はすぐ口にいれた。この独特な感じが嫌いですと顔をしかめた。

「ええ、とってもよかったです。意外とたくさん用意してありましたよ?近々祭もないというのに。1つくらいくすねてしまいたかった」

あんなに美しいなら懐に隠してしまいたかった。しかし宝具をくすねればまたぼこぼこにやられるのは目に見えている。連帯責任で丁もやられてしまってはたまったものではない。

「どうしましたか?」

丁の顔が少し険しい気がした。私が見つめるとすっと視線を外された。顔はすっかりお決まりの真顔に戻ってしまっている。

「いいえ。
それでは私がそのうち雪に差し上げましょう。それでどうです。もう安心してじっくり眺めていられるでしょう?」

予想外の言葉に顔をあげる。どうかしましたか、と言われてしまう。あっさり言ってのけたけれど勾玉作りには結構な時間がかかる。丸一日勾玉作りに専念したって1つ作るのに何日もかかるのだ。召使いで多忙な丁には根気のいる作業になるだろう。

「結構な労力ですよ?」

「やってみたいです」

いつもの真顔。え、いいの。作ったら私にくれるのか。ええ。丁、私、胸が一杯です。

「ありがとうございます...それではそのうち原石を採りに行きましょうか」



そんな時間がないことはわかっていたのに。私はすっかり忘れて喜んでいたのだった。
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