此岸でひととき

□3髪結い
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丁から布を受け取り丁の後ろに立つ。結いやすいよう膝立てをさせると丁のつむじが見えた。髪を一房つかんで、もう一方の手が虚しく宙をさまよう。

(.........ええと)

夕方。今朝の自信は幻だったとすっかり悟るはめになる。





今朝。

「これをもらいました」

丁がどこからか取り出したのは見覚えのある四角い小さな布。今私も身につけている。

「髪どめ用の布ですね。それで髪を結いなさいってことでしょう。
結い方はわかりますか?お教えしますよ」

私も丁のざんばら髪が気になっていた。肩にかかってうっとおしそうにしているし、前髪も切った方がよさそうだ。

「おねがいします」

「ええ、おまかせなさい」

水瓶を持ち上げた。この間転んで血だらけになったせいか、疑わしい目が向けられている。大丈夫だというのに。あの時は不注意だったのだ。もちろんこべりついた血も落としたし傷口もすぐに閉じてしまった。


水瓶を持ち帰るとそこから丁とは別行動だ。私は袋を腰にくくりつけて森に戻る。彼は、というか最近やっと丁がをのこだと気づいたのだけれど、主人に仕事を教えまれているらしい。石ををひたすらに削って矢じりを作る姿を見た。子どもといえどめのこの私にあれはさせてもらえない。

木の実をまた摘む。袋の中にはまっくろの木の実がすこし入っている。これは血を止めるのに効く。川で転んでしまった時から考えたことだ。私の怪我はすぐ治るけれど丁が怪我をしては薬が必要だろう。どうせ同じ召使いだ。傷口から細菌が入ってぽっくり死なれては悲しい。
そのうち主人にも使えたらいいのに。私が薬になる植物を知っていると分かれば重宝されて食べ物をもらえるようになるだろうか。
摘む手が自然と止まる。少し上を向くと立派な木々がひしめきあって太陽を隠していた。隙間からのぞくきらきらした光がきれいだ。食べ物。食べ物といえば女たちが土器に入れて煮てつくるあの料理はどんなものなのだろう。冬の間は暖かそうなあれが食べたくて仕方なかった。

もしかして木の実や肉、水を入れて煮ているだけなのだから私にもできるかもしれない。肉は無くても木の実ならいくらでも採ってこれる。火は夜番の焚き火をつかって。
木の実って焼いたら美味しいのだろうか。

袋がふくらんできたので村へ戻る。袋の底には黒い実がすこし。かぶせるようにいろんな木の実が袋に入っている。黒い実以外は全て主人へ渡すものだ
丁の主人は丁に食べ物を与えてくれるのだろうか。場合によっては食べられる木の実のことも教えてあげなくては。

主人の住居へ入る。住居の中は薄暗い。囲炉裏のそばにいた主人の妻が私を一目して、興味を無くしたように目をそらした。水、と言われたので水瓶の中に椀を沈ませて彼女のところへもっていく。彼女の腹は異様に大きく膨らんでいる。その腹の中で赤子が息をしているらしいがなんとなく腑に落ちなかった。

「何見てるのよ。気持ち悪い」

「すみません」

ああ、見つめてしまっていた。
彼女は私をじろりと睨みながら守るように自身の腹のふくらみに手をあてた。

「あっちへ行って。仕事なさい」

「はい」

腹を見てしまわないように下をむいて彼女から離れた。どうにもあの腹が気になるのだ。どうしてだろう。
水瓶のとなりにあるかごの前に行き、腰にぶら下げた袋から木の実を取り出して入れる。

「奥様」

「なに」

「丁のご主人様から布をいただきました。丁
に髪の結い方を教えたいのです。時間をいただけませんか」

「仕事を終えてからよ」

彼女は腹を見つめたまま感情の無い声で言った。今日の彼女はイライラしていないようだ。勝手なことをすればすぐ怒鳴りつけてくるというのに。
日が沈む前に丁の主人の住居に行こう。腰の袋をそっとにぎりしめ、固い感触に気づいた。そうだ、黒い実が入っているのだった。

血を止めるこの木の実は私には全く不必要で、だけど丁にとっては大切なもの。そのうち使える草木や木の実を教えてあげよう。

丁は口数の少ない、かわいげのない静かで大人みたいな子で、おんなじ召使い。
昔自分の手を引いてくれた召使いがおぼろげな記憶の中にいる。だれかにものを教えたり教えてもらったり、お話ができるのは楽しいことだとあの頃に初めて知った。
今はもういないその人。でも今は丁がいる。

私は実をつぶさないようにそっと布のはしをにぎった。会って間もない丁だけれど、一緒にいるのは楽しい気がする。


狩に使う道具なのか、木の枝を削っていた丁の元へ約束どおり仕事を終えてから行った。立膝をついた丁の後ろにまわる。人の髪なんて結ったことがない。自分の髪が結えるのだからできるだろうと右手を丁の髪をとる。
......あれ?

「あの、雪さん」
おとなしく座っていた丁が声をかけてきた。後ろで私が動かないものだから怪訝に思ったのだろう。手首に巻いた紐を外して丁に返した。私は丁のそばで同じように膝をつくと自分の紐をほどいて布をとった。長い髪が肩に落ちる。
「人の髪は結えません。後ろから見て覚えていただけますか」

「はい」

「若さで覚えてください」

「雪さんとさほど年は変わりません」

冷静につっこまれる。私、弟ができたようで舞い上がってるみたいだ。髪を束ねなおす。あれ。丁に解説しながら見せようと思ったのに結い方をさっぱり忘れてしまった。いままで手ぐせで結っていたのだろう。

「少し待ってください」

丁に断ってからいつものように早々結ってみる。できた。ほどいて、今度は少しゆっくり結ってみる。大丈夫そうだ。

「もう大丈夫です。丁は後ろから見ていてもらえますか」

そのあと丁に言われるまま何度か結い、外しを繰り返し、すっかり覚えてしまったらしい。丁が私のそばに座って髪を結い、私は立って後ろから確認した。

「どうですか」

「いいと思います。ああ後れ毛は....仕方ありませんね。髪がもっと伸びてくるまでは低い位置で結んでください。みっともなくみえてしまいますから。」

「わかりました」

丁が立ち上がる。ざんばらだった髪はすっきり布の中に収まっていた。やはりこの方が見映えがいい。相変わらずの無表情が私を見つめる。しまい損ねた少ない髪束が丁の目元に
ひょろりとたれる。髪束は雨に濡れた髪のよう。
先ほど結うためにとった丁の髪が若干べたついていたのを思い出した。今度一緒に水浴びに行こう。といっても小川でだけれど。

「これでおしまいです。さ、主人のところへもどっていいですよ。」

「途中までは同じ方向でしょう。雪さんは戻らないのですか」

「夜は夜番がありますから。私はこのまま村の出入り口に行きます。冷えますから丁は早くお戻りなさいな。」

ふうわりと煮込みもののにおいが鼻をかすめた。村人たちはこれから夕餉を食うのだろう。まだ住居の中には入れない。私たちが住居の中にいられるのは眠るときと仕事の都合で入る必要のあるときだけ。

ぐうと盛大な音がした。
くるると小さな音が続いてなる。私も丁も、互いに沈黙。

「雪さんは主人から飯をもらっているのですか」

「いいえ。自分でとってきていますよ。丁の主人はどうです。」

「いいえ。どこで食べ物にありつこうかと思いまして。くすねてこれるのは男たちの狩で大物が当たった時くらいでしょう。小川で水はたらふく飲みますが」

丁もなかなかたくましい子のようだ。くすねていたのか。水汲みのときの異常な飲みっぷりにも納得がいく。

「丁の主人は採集を教えてくれましたか」

「いいえ。主人はあれはめのこの仕事だと」

腰の袋をのぞくと黒い実の他に布に引っかかった小さな木の実が2、3個入っていた。

「木の実、食べてみますか」

「いいのですか」

「かまいませんよ。美味しいものではありませんけれど」

丁の手に木の実を乗せてやると丁はまじまじ木の実を見つめた。2つつまんで口に入れた。真顔。

「味がしません」

そりゃそうだ。
今度は味のある木の実を食べさせてあげよう。





(おまけ:その後)

「木の実、焼いたらおいしくなりませんかねぇ」

「もともと味がないでしょう。それに、この大きさでは火に入れては燃えてしまいます。」

なるほど。その通りだ。
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