君に届け、音色〈Adagio〉

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お腹も満たしたところで、詩音は当初の予定通りに物産展へと足を運んでみることを鏡夜に告げる。


『鏡夜先輩はどうされます?』

「せっかくだから俺も少し見学して行くさ。
…環にもさっきのハンバーガー代を利子つきで請求する必要があるしな」

『利子、ですか』

「ああ、1分1000円だ」


清々しいまでの魔王の微笑みと高すぎる利子に環を不憫に思った詩音は
環に鏡夜と合流した旨とそれらの事を簡潔にまとめたメールを環に出しておいた。
返事はすぐには来ない。環達のことなので、きっとデパートに興味津々で携帯の着信に気づかないのだろうと、
詩音は呆れながら携帯をポケットの中にしまった。



こうして鏡夜も同行することとなり、人だかりのなか二人は物産展の中を歩く。


「ほう…石垣島の黒真珠か。かなりの上物だ」

『そうですね、まさかこんなところで見れるとは思って無かったです』

「買い手がつくのか疑問だな」


庶民のデパートといえど、意外にもの珍しい物産品の数々に二人は感心しながら見てまわっていると、
背後の方から聞こえた婦人の声に気づいた鏡夜は振り返っては足を止めた。
詩音も疑問に思いながら鏡夜の視線の先を見る。


「まあ、小松匠陰ですの?こんなところで見られるなんて」

「奥さん、お目が高いね!本当言うとね、こんな所に持って来ていい品じゃないんだけどね。
これは小松一門が代々不出にして来た貴重なものなんだよ」

「まあ、そうですの?」


何の変哲もない店員と客の会話。
しかしそれを聞いていた鏡夜の顔つきがどんどん険しくなっている事に詩音は気づいた。


『鏡夜先輩…?』


鏡夜は婦人のそばまで歩み寄っては紳士的な笑顔で彼女にこう伝える。


「偽物ですよ、奥様」


と。

そして小松匠陰の陶器をひとつ手に取って鑑定し始める。


「確かにこの青の出し方は匠陰のものと酷似していますが、本物はもっと根本がくすんでますし塗りも綺麗すぎる。
…ああ、やっぱり。底も一部の払いが違いますね」


鏡夜が証書は?と尋ねると店の人は今日は置いて来てしまったのだと言い訳する。


「それでしたら、うちは小松家と古くからの交流がありますので今すぐ連絡を取って確認させますが…よろしいですね?」


今度は悪魔のような微笑みで店員を圧倒すると、
そこへ騒ぎに気づいた警備の人たちが駆けつけてきて物品の偽造を働いていた店員を連行していった。


『鏡夜先輩!』


一件落着したところで詩音は鏡夜に駆けつける。


「ああ…詩音か」


今の一連の出来事を見ていて、やっぱり先ほどの鏡夜のエゴイスト発言が納得できない詩音は尋ねる。


『人助けは鏡夜先輩にとってはメリットなんですか?』

「…お前まだ気付いてないのか?あのご婦人の指輪を見ろ」

『指輪…』


小声で耳打ちする鏡夜の言葉に詩音は婦人の左手の薬指を確認した。
そこにはあの大手電気メーカーの会長婦人の証である赤い宝石が輝いていた。


「これで分かっただろう?」

『…』


利益のために働いたのだと言うように、フッと笑ってみせる鏡夜に詩音は違和感を抱いた。
自分だって廃れても九十九の生まれ。あんなに目立つ指輪を見逃すはずがないからだ。
詩音はあっ、と気付く。婦人の右側の店ののれんに遮られていて
どう頑張っても二人が最初にいた場所からでは彼女の左手の指輪なんか見えなかったのだと。


『まったく…本当に素直じゃない先輩』


彼女は婦人に感謝されている鏡夜を見つめてはクスッと笑うのだった。



そこへ環からの着信が入る。


『もしも…』

《詩音ー!魔王様がお怒りとは本当かー!?》

『環先輩…落ち着いてください』


送らられてきたメールに目を通したのだろう、泣きべそをかいて取り乱す環に
詩音は鏡夜を連れてとりあえず合流することになった。


「…鏡夜!無事でなによりだ!」


会って早々そう話しかける環を鏡夜はギロリと睨みつけた。
あまりの形相に環はヒィィッ!と悲鳴を上げて青ざめて行く。


「シオちゃんががきょーちゃんと一緒で良かったねー」

「「詩音、遊ぼー!!」」

『いや、もう時間も時間だし…物産展もひと通り見れたから俺はもう帰るよ』


えー、と落胆の声をあげる双子をあしらっている詩音に鏡夜が話しかける。
ちなみに環は隅っこで縮こまっては鏡夜に怒られた…と泣きべそをかいていて、
それをハニーとモリがあやしていた。


「詩音、帰りのタクシー代は環のバカに払わせるから大丈夫だ。
…今日のことは礼を言う」


ポンと鏡夜は自分の手を優しく詩音の頭に乗せては撫でた。
詩音はそんな鏡夜の行動にびっくりしたように目を丸くして彼を見上げる。


『いえ、こちらこそ…あの、ありがとうございます鏡夜先輩』


とても柔らかな笑顔を向けて詩音はお礼を言った。
そこには今日一日一緒にデパートをまわってくれたことへの感謝もあるが、
日頃から自分を気にかけてくれている鏡夜の優しさを改めて知ったゆえのの感謝も込めていたからだろう。
お先に失礼します、と環達に最後一礼してから詩音は歩き出した。



詩音を見送る鏡夜の顔を盗み見ては馨はびっくりした。
なぜなら普段の鏡夜とは思えないほどとても優しい表情を浮かべていたからだ。
確かに馨は日頃から、あの利己主義ともいえる鏡夜が自らのメリットとは関係なく詩音の事をよく気にかけている事には気がついていた。
もしかして鏡夜も自分と同じく詩音に対して好意を寄せているのではないだろうか、
と薄々感じていたものが確信に変わったような気がして、馨は鏡夜に恐る恐る切り出した。


「…鏡夜先輩はどうなんですか?詩音のこと…」

「…さぁな。何のことだかさっぱりだ」

「…」


鏡夜はいつものように不敵に微笑んでは曖昧な返答を残すと、
馨にこれ以上追及させないかのように彼の横を通り過ぎては全員に俺達も帰るぞ、と声をかける。
皆のあとを黙ってついて行く馨の心にはモヤモヤとした思いだけが残った。






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