ロイ・マスタング編
□敵
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***Riza's Story***
瓦礫の臭い。硝煙の臭い。火薬の臭い。
人間の焼ける臭い。
人間の腐る臭い。
戦場では経験したことのない臭いが蔓延していて、リザは最初のうちは吐き気をもよおしもしたし、辟易していたが、やがて慣れた。そしてなれたことに対して、こんなものだろうとも思った。
装備は重いが若いリザは軽い足取りで崩れ落ちずに残った建物の屋上へ上った。元はイシュヴァラ教の教会だったらしい建物は見るも無残で、今後のイシュヴァール人の運命を体現しているようだった。
ひび割れた床に小さなクッションを置いて膝をつき、ライフル銃を構えた。見渡す限り、アメストリス軍の兵士しか見えないが、何処にイシュヴァール人がいるかわからないから、じっと目を凝らし続ける。照り付ける太陽の光が容赦なくリザの首をやき、汗が首筋を垂れていく。リザは銃を下ろすとコートを脱ぎ、頭からかぶって日光を遮断してから、再び銃を構えた。
一瞬動くものを視界の端にとらえ、銃口を素早く向ける。
軽く引き金を引くだけで、瓦礫に隠れてアメストリス兵に近づこうとしていたイシュヴァール人が血を吹き出しながら弾け飛び、動かなくなった。
リザはじっと敵を探し続けた。
異常なしとみてリザはスコープから目を離し、ふっと息を吐き出して遠くを見た。廃墟となった街からはあちこちから煙が上がっていて、ところどころ新しい火柱が上がり、建物が崩れていく。アメストリス軍とイシュヴァールの力の差は歴然だった。
ふと何か動くものが見えた。軍人と違い、白っぽい服を着ている。
―――イシュヴァール人か。
リザはスコープを覗いた。
引き金に当てた指が、止まる。
それはイシュヴァール人の子供だった。6歳くらいだろうか、体中白い埃にまみれ、髪は四方に逆立ち、頭から流れた血が顔を覆い、乾き始めている。むき出しの両腕は重度の火傷を負ったらしく、赤く光っている。ショック状態なのか、泣くこともなく、瓦礫の中を彷徨っている。
リザは、落ち着いて引き金を引いた。
地面に横たわり、微動だにしない子供からどす黒い血が広がっていくのを確認すると、リザは再びあたりを探した。
他にイシュヴァール人の姿はない。リザはそこここで煙を上げる廃墟を見下ろしていた。土色の景色の中、自分が撃った少女の血だけが鮮やかだった。
リザは自分の心の存在が感じられなくなっていた。
反対方向に、二人の男が現れた。服の色からアメストリス兵とわかる。リザはスコープを覗き込んだ。
―――いた。
ロイ・マスタング。焔の錬金術師。
マスタングは将校と話している。何を話しているのかは知る由もないが、深刻な表情だ。マスタングの手に白い手袋がはめられているのを見て、先ほどの少女に目をやる。
焼けただれた少女の両腕―――あれは、マスタングの焔に焼かれたのだろうか。
突如としてリザの手が震え、顔が熱くなる。両目に涙が盛り上がり、流れ落ちるともう止まらなかった。嗚咽を押さえようと歯を食いしばっても、血の味がするほど唇を噛んでも役に立たなかった。
―――父の、研究を。
殺人の道具にするなんて。父を貶めるなんて。私の背中の刺青を罪深いものにするなんて。人のために使う約束を破るなんて。
私を裏切るなんて。
私が人を殺すのも、あの少女が死んだのも、全部お前のせいだ―――
リザはマスタングの眉間に狙いを定めた。怒りのため震えるのを堪え、引き金に指をかける。
焔の錬金術とともに、死んでしまえ―――
スコープの中のマスタングがリザを見た。将校に何か言われ、いぶかし気にこちらを見ている。リザの体が凍り付き、震えが止まる。指先だけが冷えていく。
再び将校に何かを言われ、マスタングは弾かれたようにリザの方を見た。そして―――
―――リザ・ホークアイ。
マスタングの口が、確かにリザの名前を口にした。マスタングはまだ、リザを覚えていた。
再びリザの頬に涙が流れた。スコープの中のマスタングは見えるはずもないのに、リザを見ようと目を凝らしている。
かつてマスタングに抱いた淡い想いと、戦場で育てた憎悪がリザの体でせめぎ合い、引き金に当てた指が哀れなほど震えている。
リザは勢いよく銃から顔を離すと、泣きながら青い空を見上げて何度も深呼吸した。
目を閉じると面白いほど涙が流れて頬を濡らし、むしろ気持ちいいくらいだった。
―――殺せるわけがない。
リザは目を開けると、体中を使うようにしてため息をついた。深い深い、己の中の迷いや苦しみや悩みをすべて吐き出すようなため息だった。
勢いよく涙を拳で拭うと、再び自分が撃ち殺した少女に目をやった。
―――私は地獄へ行こう。そして―――
今度は、視線をマスタングへ向けた。
―――これからの生きざまを見せてもらおう。場合によっては、私が一緒に地獄へ連れて行く―――
リザはマスタングの元へ行くため、立ち上がった。