本編
□もう一人のゼラ
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「お母さん…?」
信じがたい。目の前に母親が立っている?
僕が呼ぶと目の前に立っていた母は何をするでもなくニコリと微笑んでいた。
その顔はとても懐かしかった。まだお父さんと離れ離れになる前、四人で暮らしていた時に見せてくれた笑顔だった。
「お母さん?どうしてここにいる…の…?」
「寛之…」
「どうして…どうして…ここにいるんだよ!」
「寛之」
母はもう一度名前を呼ぶと僕に近づいて来る。そして手を伸ばし僕の頭をそっと撫でた。突然の事に僕は動けなくなる。
「な…」
「寛之、ごめんなさい…」
「は!?」
「全部…お母さんが悪かったわ」
「何を言って…!」
母はとてつもなく悲観的な目でそう言った。
僕は母の手を振り払い一歩後ろへ下がる。
「今更なんだよ!散々僕の事を貶しておいて…お父さんに似てて気持ち悪いんだろう!?」
「寛之…寛之…」
「うるさい!うるさい!僕の名前を呼ぶな!」
僕はまた両耳を塞ぐ。僕はゼラだ。常川でも寛之でもない。ゼラだ。ゼラなんだ。
「寛之」
「嫌だ…やめろ」
「寛之、寛之」
「やめろ…やめろ…」
「寛之!」
「うわあああああ!!」
「ゼラ!!」
すべてを拒絶するように叫び声をあげる。その瞬間、別の僕の名を呼ばれた。
「ゼラ?ゼラ!」
「ス…ミレ…」
「そうだよ!俺だよ!」
その声に僕は現実に引き戻された。そこには母はいない。スミレが僕の両肩を揺すりながら顔をのぞき込んでいた。
さっきまでの光景は何だったのか、お母さんはどこにいってしまったのか。
でももうそんな事どうでも良かった。もう何でもどうでもいい。
僕は考える事を放棄してただ体を揺すられながら目の前のスミレを見つめていた。