あの空の向こうへ

□あの空の向こうへ 8
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その夜。私がシャワーから上がると、ヴィクトルは既にベッドに入っていた。
「…プレッシャー、かな」
ヴィクトルが突然呟いた。
「プレッシャー?…勇利の事?」
「そう」
ヴィクトルは日中とは真逆の真剣な顔を見せた。
「…一位通過が重荷って事?」
「勇利は繊細だからね」
「そんなものなの?」
「ま、誰にでもプレッシャーはあるさ。俺にはなかったけど」
とヴィクトルは微笑んで、私を手招きする。おずおずとベッドに上がると、彼も体を起こした。
私達は向かい合って座っている。
「ねぇナマエ」
「…ん?」
「ナマエは感じた事ないの?プレッシャー」
これから起こる事を予測させるような、艶っぽい声。
心臓が跳ねた。
「わ、私は…ヴィクトルの隣にいる事が、いつもプレッシャーだよ…」
ヴィクトルの綺麗な指が、私の顎に添えられる。恥ずかしくて目を合わせていられなくなる。
「ナマエも自信を持たないと。自覚もね」
「じ、自覚…?」
「そう。俺のものだって自覚」
「自覚なら「俺の目を見て」
低い声が真剣で、とっさにその目を見つめ返す。
「俺、怒ってるんだよ」
「え?」
顎に添えられた手に力が込められ、引き上げられる。
唇が触れそうで触れない距離で彼は言った。
「昨日。どこにいた?」
「!」
その目は確かに怒っていた。
誤解されているなら解かなきゃ。心配かけたなら謝らなくちゃ。そう思ったはずなのに、
「え、…ナマエ?ちょっ、」
涙が溢れてきた。
「…ナマエ?」
その胸の中に飛びついた。泣いてる顔を見られたくなかったのもある。
「だって、ヴィクトル…私なんかもう、どうでもいいのかなって…」
「…は?」
ヴィクトルは気に掛けてくれてた。心配してくれてた。不安に思ってくれてた。
私の事を忘れないでいてくれてた。
「だって、ヴィクトル聞かないから…いつもなら怒るのに、何も言わないで、ずっと、勇利、勇利って…」
ああ、私は今、なんて醜い女なんだろう。
「ナマエ…?」
「ヴィクトルは、勇利を大切で、今はシーズン中で仕方ないし、私は勇利を優先してって言ったけど…」
想いがどんどん溢れてくる。
クリスの言葉は正しい。私は勇利に嫉妬していたのだ。
だけど嫉妬していると認めてしまえば、ヴィクトルが私より勇利を大切にしている事が真実であるような気がして怖かった。だから意地になって否定を続けた。
頭ではヴィクトルを理解していい女を演じていたつもりだったのに、心の中には猜疑心が膨らんでいて、それが自分自身情けなくて。
「ナマエ…君をこんなに不安にさせていたなんて…ごめん」
ヴィクトルが抱き締めてくれる。
違うよ、私の心が狭かっただけだよ。そう言いたかったのに、言葉は全て嗚咽に掻き消されてしまった。
「泣かないでよナマエ、あぁ、どうしたらいいのかな。俺怒ってたのに。ほら、顔を上げて」
私の顔をのぞいて、ヴィクトルは笑う。
「…酷い顔」
「ヴィクトルが泣かしたの…」
「久々にナマエの涙が見られた」
「泣いてる顔を喜ばないでよ…」
ヴィクトルは優しく微笑んで、また抱き締めてくれた。
「俺を想って穏やかに笑ってるナマエも好きだけど、こうやって感情を剥き出しにするナマエもいいね」
「もう」
「ナマエ、俺に遠慮や我慢なんかしないで。何も心配なんかいらない」
「…うん」
「ナマエ。君が何より大切だよ」
うん。知ってるよ。わかってる。
ありがとうヴィクトル。
駄々なんかこねてごめんなさい。

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