あの空の向こうへ
□約束を君に
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「終わりにしよう、ヴィクトル」
練習から帰るなり、それも玄関の扉を開けただいまを言う間もなく、俺の帰りをずっと玄関で待っていたのだろうナマエが言った。
うつむいたままだが、泣き腫らした瞳が見てとれる。
足元にマッカチンがおとなしく座っている。
「ナマエ」
「名前を呼ばないで…」
一体何があった?
「ナマエ、急にどうしたんだ」
「急なんかじゃない。ずっと思ってたの」
「理由はなんだ?」
「…そんなのない」
「いきなり別れを告げられる身にもなってくれ、ナマエ…」
「触らないで!」
伸ばした手を跳ね除けられる。ナマエは足元に用意してあったリュックを背負い「もう、邪魔しないから」と小さく呟き、家を出て行く。
何も変わらない日常だった。
昨日もナマエに変わったところはなかった。朝もだ。
一瞬躊躇したが、慌てて後を追う。
「ナマエ。戻ろう」
細く頼りない腕を掴もうと手を伸ばすが、ナマエははじくように俺を拒否する。
「触らないでよ…!」
「…ナマエ」
「何もないの。聞かないで。お願いだからもう、優しくしないで…」
泣いている。
思い当たる節などひとつも見当たらない。
「ヴィクトルの傍にはいられない」
「ナマエ、俺には君が必要だよ」
「私には必要ないの!」
声を荒げたナマエが、ハッと口元を押さえた。
言ってはならない言葉だったと、自分の言葉に怯えるように。
「…わかった」
何があったか知らないが、ナマエは動揺している。
「どこか、行くあてはあるのか」
「…大丈夫だから」
「せめて行き先だけでも教えてくれ」
「……ヤコフのとこに行くから。大丈夫」
それは俺達が同棲を始めて1年が経とうとしていた時の事。
これが、俺とナマエの初めてのケンカだった。