あの空の向こうへ

□おとぎ話
1ページ/10ページ



大会が終わり、観客が皆帰っていく。雪崩のように。
俺は演技の最中、間違いなくあの子の姿を見た。10年前のあの子だ。黒い髪に黒い瞳の女性ならたくさんいたけれど、間違いない。
ナマエだ。
話がしたい。どこにいる?
必死であたりを見回し黒い髪を目印にする。
お願いだ、まだ会場にいてくれ。

しかし彼女の姿を見つけた時、俺は怯んでしまった。
長身の男と並んで歩く彼女は、やはり間違いない。ナマエだ。
しかし今ここで声をかけて、俺はどうするつもりなんだろう。デートの邪魔をするなんて野暮だ。

だけど、

だからってこうして彼女が帰ってしまう背中をただ見送ってなんになる?
そもそも、どうするつもりも何も、俺はもう一度たった一言でも、話がしたいだけだ。

「ナマエ!」

彼女は振り返り、駆け寄る俺の姿を見て固まった。

「君、ナマエちゃんだろ?何も変わってないね、綺麗にはなったけど!」

息が切れている。なぜだろう、とても照れ臭い。
俺の事を覚えていてくれているだろうか。

「!?」

彼女は何も言わずに、涙をぼろぼろと零した。

「・・・ナマエちゃん?」
「あの、なんて言ったらいいか・・・」
「俺の事、覚えてる?」
「・・・もちろん」

ホッとして笑顔になった俺にナマエも笑った。この笑い方、変わっていない。本当に、とても綺麗な女性になった。

「ナマエ、ヴィクトルと知り合いだったのか?」
隣にいた長身の男が彼女の名を呼んだ。
そうだった。デート中に邪魔をしてしまった。
もう十分だ。綺麗に成長した初恋の子と再会し、言葉まで交わせたのだから。
「あ、すみません。お疲れ様でした。一人で帰れます」
ナマエは社交辞令のように男にそう挨拶した。
「え?あ、あの」
「今日は楽しかったです、ありがとうございました」
「いや、一緒に帰ろうぜ。送るって」
「大丈夫です」
「・・・・・・・・・」

きっと俺がいなかったらしつこくナマエを誘っているだろう。悪い事したな、と、この時は男を憐れに思った。
とりあえず彼にファンサービスの握手をし、「気を付けて」と意地悪を言った。
(彼氏じゃないのか)
心の底から安堵した。
「すぐにナマエちゃんだってわかったよ」
「あ、えっと、金メダルおめでとうございます・・・すごく素敵でした。テレビで見るより、ずっと・・・かっこ良かったです」
ナマエはうつむいたまま小さな声でそう言った。
「ありがとう。あの、ナマエちゃん。これもきっと、何かの縁だし、」
「はい」
「えっと、今日はこれからパーティがあって、行かなきゃなんないんだけど、あの」
「・・・はい」
「良かったら、電話番号。教えてもらえないかな」
ナマエは目を丸くして俺を見つめた。
「わ、私の?番号?」
断られてしまうんだろうか。俺らしくない。なんでこんなに緊張しているんだ。
「あ、あの、私ので、良かったら」
ナマエは手を震わせながらカバンの中からスマートフォンを取り出し、番号を表示してくれた。俺はその番号を鳴らし、お互いの連絡先を交換した。
「ありがとう」
番号を教えてもらった。
きっとまだ演技の興奮が冷めていないに違いない。気持ちが高ぶっている。

嬉しくてたまらない。


次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ