あの空の向こうへ

□あの空の向こうへ 1
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「何やってんだナマエ、準備できたのかよ」
色々びっくりして、玉子の入った買い物袋を落としてしまった。
いやいや、なぜユーリが私の部屋でソファーにどっしり座っているのだろう。鍵閉めて出なかったっけ?
「どんだけ待たせんだよ、これじゃ出発は明日だな」
「あの、何を・・・」
「出発するんだよ!」
「ちょ、何を言ってるのか」
「ヴィクトルを連れ戻しに行くんだよ!」
常々ぶっ飛んだ子だとは思っていたけれど、ここまでぶっ飛んでいたとは。
何も知らない訳じゃないだろうに。ヴィクトルは自分の意思で勝生勇利のコーチになるって私を置いて行っちゃったんだよ。
「居場所わかるの?」
「逆になんでお前、知らねぇの?」
SNSで観光巡りしてんのアップしてるぞ、と、ユーリはスマホを私に向けた。
条件反射のように顔を背けてしまう。
そんな私を見て、ユーリは舌打ちをした。

「昔言っただろ。ナマエを泣かせるような奴、やめとけって」
「あはは」

床に落としたスーパーの袋の中で、玉子がぐちゃぐちゃになっているのが見えた。
なんだ。楽しくやってるんじゃないの。そう思うと胸が苦しくなって、枯らしたはずの涙がまた溢れてきそうになる。
「ま、お前が残ってたのが救いだな。いいか、ヴィクトルに泣いてすがれ」
そう言いながらユーリは玉子の後片付けを手伝ってくれる。
「ユーリ、私は行かないよ」
「は?何言ってんだよ、俺は約束守ってもらわなきゃなんねえんだよ」
約束。
彼はたいていの約束事はすぐに忘れてしまっていた。そのたび私が「約束してたよ」とささやいていた事を思い出す。だけどそれも、私以外との約束に限り。
ヴィクトルは決して、私との約束を忘れる事はなかった。そして、その約束を破った事も一度もなかったのだ。
彼に、強く愛されていたのだと知る。
今更。
耐えきれなくなって涙をこぼした私に一瞬たじろいでから、ユーリは私の頭をぽんぽんと撫でた。
「ナマエ。ヴィクトルを連れ戻すぞ」
ユーリは真剣だった。彼にとっても、ヴィクトルは必要なのだ。
時計の音がやけに響く。
思えばヴィクトルと出会ってから、この部屋でヴィクトルとすごさない夜なんてなかった。
ユーリは、ちっ、と舌打ちをして、「腹減った」と言った。
「何にしようか」
玉子は全部ダメになっちゃったしな、と言いながら、私は久し振りに2人分の食事を用意したのだった。


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