あの空の向こうへ

□あの空の向こうへ 1
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潮の匂い。
温かく心地よい風。
どこまでも続く透き通る海。
カモメの鳴き声。

その全てが、私の心を満たしていく。


失ったもの。
新しく得たもの。
手に入れたいもの。
変わらないもの。

全てはここにあったのに、気付かない振りをしていた。
戸惑い、悩み、焦り、迷うこの毎日に、

「ナマエ」

ようやく見つけた幸せ。







・・・・・・・・・・・・・・・


「って訳なんだ、ナマエ。出発は明後日。ヤコフには話を通してあるよ」
ね?と首をかしげるヴィクトルに、私は開いた口が塞がらなかった。
彼の部屋の中、その微笑みを打ち消すように静寂が流れる。夕食が冷めてしまう。
「な、なんでまた、勝生勇利なんかに」
「君も動画を見ただろう?素晴らしかったじゃないか」
「そうじゃなくて・・・どーしてそんな大切な事、勝手に決めちゃうのよ」
「どうして?だって答えは簡単に見つかったからね。悩む理由もなかったよ」
いつだって自信にあふれる彼の選択は、確かに全てが正しかったと言える。
だけど。
「私の事は・・・」
「考えてるさ、いつだって。君の用意も万端だよ。足りないものがあったら言ってくれ」
どうしてこの男は、こんなに自由なのだろう。
「私、行きたくない」
本心じゃなかった。ヴィクトルと一緒に行きたくない訳ない。ヴィクトル以外大切なものなんてない私に、行かない理由もない。
だけど腹立たしくて仕方なかったのだ。
決定する前に、どうして何の相談もなかったのだろう。そりゃ私が相談を受けたところで何一つ変わらないのかもしれないけれど、そうじゃない。違う。
「大切な事は、ちゃんと事前に・・・」
「君はいつだって俺の決定に従ってくれるからね」
そうじゃないんだ。私が言いたいのは。
「私、行かないよ」
「・・・なぜ?」
ヴィクトルは「拗ねてるのか?」と微笑みながら私の頭を撫でる。
その手を振り払って、私は彼の決定を拒絶した。
「リンクの上で踊らないヴィクトルの傍になんて、いたくない」





・・・・・・・・・・・・・・・


飛行機は日本に向かった。
私が生活できる全ての準備を残して。

「結局私は、要らないのか」

私が酷いのは重々承知だ。そう。間違っているのは私。
ヴィクトルは数々の伝説を残しながら、どんなに忙しくても私の事を大切に想ってくれていた。いつだって温かくて優しくて、何も知らない私に色んな経験と知識を与えてくれた。私はもっと彼を支えなければならなかったのに、彼が見つけた新しい夢を応援できなかったのだ。
きっと私に幻滅したに違いない。

見送る気にもなれなくて、だけど居ても立ってもいられなくて、空港の外でずっと空を見上げ飛行機が去るのを見ていた私は、いつも間にかヤコフが悲しそうな表情で隣に立っているのに気付かなかった。
「うわっ!ヤコフ!」
「そんなにビックリせんでもいいだろう」
「・・・行っちゃったね」
「なんで止めなかったんだ、ナマエ。あいつは寂しそうだったぞ。お前はこれからどうするんだ」
「生活は変わらないよ。退屈しのぎにバイトでも増やそうかな」
「ヴィーチャがいなくても大丈夫なのか」
唐突に核心をつかれて、言葉を失ってしまった。失った言葉の代わりに、涙がどんどん溢れてきた。
「せっかく大切なものを見つけたのに、いつまで頭が固いんだお前は」
ヤコフコーチは、私の事をよくわかっている。



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