短編

□鴉
1ページ/1ページ


さみしい という言葉はおそらくこういう時に使われるのだろう。

しかし、自身の今の状態をはっきりと表現するには、いささかそぐわない単語だとアラシは毎度思うのだった。

幾度となく訪れるそれは、
圧倒的力でアラシを飲み込み
絶望の淵へと陥れていく。

毎日楽ではないが苦でもない仕事をこなし、
親しい仲間と呼べる者もいくらかおり、
そんな日常に何ら不満もない自分には何が原因なのかは分からない。

理由がわかれば少しはマシになるのにと身をじっと固くして、
ただこの大きな波とも呼べる何かをやり過ごすしかなかった。

今日もその得体の知れない精神暴力的現象に苛まれながら、ただ部屋の寝床近くの窓を眺めていた。

荒れ果てたビル郡が立ち並ぶ間には、鈍色の空が申し訳程度に見える。
その上を鴉が二羽飛び回っていた。

その時ガチャッと荒々しく扉が開く。
きっと彼だ。

彼は当然のようにソファーに腰掛ける。
多分本かなにかを読むんだろう。
他に行くところがないのか、自分の部屋では駄目なのか、そんなことを思ったりする。

二羽の鴉はくっついたり離れたり、思い思いに飛んでいる。
私はそれをぼんやり見ていた。

くっついたり、離れたり。

「あのさ、いつも来るけどフェイは暇なの?」
茫漠とした頭の中で、勝手に口だけが動いている感覚だ。
まるで、自分の内と外とで切り離されているように。

「別に‥暇ではないね。」
外から声がそっと聞こえる。

「そ。」

それからまた沈黙が訪れる。
パラパラと何かページをめくる音だけが部屋に響いた。

私の身体は未だ分離した感覚を残したままだ。

鴉はしばらく空を飛んだあと、
どこかに行ってしまったようだ。

その時、あの波が一際大きくなった。
いつもそうだ。なんの理由もないのにそれはいきなり私を覆う。

けれど、物事にはピークというのが必ずあり、これはその頂点。
あとはただ引いていくだけだ。
そう自分に言い聞かせ、膝を抱えてじっと耐える。

こういう時大事なのが、
自分で自分に声をかけすぎないこと。
「大丈夫」とか「元気になる」とかそういうものは全て波を荒立たせる方法にすぎない。

「アラシ。」
そう声が聞こえた気がしたけど、
今私は波の中にいるので、よく分からない。

身体が言うことを聞かないような、手足が冷たくなっていくような、
悲しいというよりはもっと静かな冷たい感覚。

私はいつも、この感覚に耐えられなくなる。
だけど後もう少し、もう少しで引いていく。

しばらくして、
やっと分離された心が自分に戻ってきた。
波が引いたのだ。

その後は、景色も音も、
いつも通りの色を取り戻す。

「終わたか。」

「ん。」
私はそこで顔を上げる。
そこにはいつもと変わりない自分の部屋、窓、そして彼。

さっきもきっと、他の人の目には一寸違わず同じように映っていたんだろう。

お疲れ、とでもいうように彼が私の隣にボスンと座る。

そういえば、私が波に流された後は、必ず彼が側にいる。
何をするでもなく、ただそこにいて、私が帰るのを待っている。

何処にも行かずに。ただ本を読んで。

「今、戻りましたー。」
わざとふざけて、そう言ってみる。
声もちゃんと自分のものだと認識できた。

彼の方を見ると、小さな笑みをたたえている。
それからまた本に目を落とす。

私は戻ってきた感覚をもっと確かめるように、窓辺に目をやった。

さっきの鴉がまた、くっついたり離れたり。

「ぼちぼちやれよー」
私はそう呟いた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ