Dream

□第六話 神様
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真っ暗な視界の中、自分が立っているのか寝ているのかさえ分からない。

先程から聴こえるピチャピチャと水が跳ねる音と、グルグルと渦巻く気持ちの悪さ。それから全身を襲う激痛。

『―――!』

助けを求めたのか、自分でも理解しがたいが、口から零れた名は心を抉った。

もういない。会えない。悲しみと絶望と、守れなかった自分への怒りとで、もう何が何だか分からない。

……名無しさん。……名無しさん。

誰かが私を呼んだ。

それは良く耳に馴染んだ、それでいて間違える筈の無い声。そして聴こえるのは有り得ない声。

『………姉様………?』

右手が少し温かくなった。人肌特有の温もりだと思う。

右手から段々と身体の感覚が戻って来ると同時に、感じていた痛みも増した。

これが意識の覚醒と言う奴だろうか。

真っ暗だと思っていた視界は、拓けて見慣れない天井を映す。この時になって、私はただ寝ていて目を瞑っていたのだと理解した。

『……ここは………』

「名無しさん!起きないから心配したのよ!」

姉様が見える。何故だ?

痛む身体に顔をしかめながら、上体をなんとか起こす。

見慣れない壁に、知らない匂い。そしてハクがいた。

『……夢?』

視界は良好。四肢の感覚も確かにある。なのにどうしても分からない。

私はあの崖から落ちた。あの場で死んでいるのが普通だ。なのに何故生きている?

生きているだけでも奇跡なのに、五体満足で酷い傷は無い。

『……姉様……ですよね?生きて………』

ボーとした頭で、現状把握に努めるが、どうも上手くいかない。

信じられない奇跡に、安堵したのか私の頬には温かいものがつたった。

『……!すみません。今泣き止みます。だからちょっと待ってくだ―――』

言い終わる前に、温かい何かが私の身を包んだ。

『……え。…………姉様?』

姉様に抱き締められたのだと理解するのに、数十秒を要した。こんな時、どうすれば良いのか分からなくて、慌てふためく。

涙を流している自分が信じられないのと、醜態を晒してしまった恥ずかしさで動揺する自分を他所に、姉様は尚も私を強く抱き締めた。

『……ごめんなさい。私が、私が出て来たから…………二人が落ちて……』

喉がつっかえて、上手く言葉が出なかった。

頭が少し重くなる。突然のことに不思議に思う。目線だけ上げれば、どうやらハクが私の頭に手を乗せているらしかった。

「感動の再会のとこ悪いけど、目が覚めたんなら一言あっても良いんじゃない?」

初めて聞く声に反応して顔を上げる。ツンとした態度で、戸に寄りかかっている少年が刺々しく言った。

「ごめんなさい。ユン」

少年をユンと呼ぶ姉様。私達三人を、助けてくれたのが彼だろうか。ならばやることは一つだ。

『命を救って頂き感謝致します』

布団から出て床に正座する。それだけしか動いていないのに、身体には激痛が走るがそんなのは無視だ。今は先に礼を言うのが筋である。

手を付いて頭を下げ、感謝を籠める。体重が掛かった左腕がどうしようもなく痛む。

『この恩は必ず返すと誓う』

どうやって返すかは、まだ思い付かないが必ず返す。

「ちょっと!腕が折れてるっていうのに、手を付くなんて馬鹿じゃないの!?」

『…………。この位平気だ。命と腕では重さが違う。手当て済みの腕が痛む位、礼をするのには些末事に過ぎん』

初対面の他人に馬鹿と言われるのは、些か………いや大分気に食わないが助けてもらったのだ。今回は甘んじて目を瞑ろう。

「姉妹なのに全然違うんだ。あんた王族だよね?」

『ああ、そうだが?それよりも挨拶がまだだったな。世話になっているのに、名乗るのが遅くなってしまってすまない。私は名無しさんだ。よろしく頼む』

立ち上がり、軽く微笑む。

姉様とハクが話したのだろうと察し、特に否定もしなかった。何より、助けてもらって偽るのは心苦しい。

「相変わらず堅苦しい挨拶っすね」

『……。黙れ。だいたいハク!貴様姉様を危険に晒すとはどういう事だ!高華の雷獣ともあろう者がこの有り様か!!前から言おうと思っていたが―――いっ!』

「そんなに大声上げるからですよ」

ハクも相変わらずのふてぶてしい態度で口を挟んできたので、ついカッとなって怒鳴ったが急に背中が痛んで呻く。

「背中も切れてんだから、あんまり騒がないの。ほら、あんたは寝る」

少年に半ば怒られる様に言い付けられて、大人しく布団の中に戻った。

「イクス呼んで来て」

またもや知らない名の人物に、挨拶は必要だろうと起き上がろうとする。けれど少年に止められて布団に後戻りした。

「イクスと申します。名無しさん姫様」

姉様と一緒にやって来たのは、くたびれた着物を纏った髪の伸びた男だった。

膝まずいて礼をとろうとするので、慌てて止めた。

『世話になっているのはこちらだ。わざわざ床に膝を付けずとも良い。膝を付かれては、あまりに申し訳無い』

「本当に目を覚まされて、本当に良かったです!」

『……私はどれ程の間眠っていたんだ?』

「一日とちょっとだよ」

そんなに眠っていたのかと驚くが、崖から落ちて命を継ぎ止めたとなったら、当然の時間の経過だろうか。

「あのね名無しさん。イクスは神官様なのよ」

私は無言で立ち上がり、本日何度目かの膝を付く礼をとった。

『…………我等王族を恨んでおいででしょうが、どうかご容赦を。私の首で良ければ差し出すが、どうか姉様とハクは見逃していただけないだろうか』

何も返答されないどころか、周りまで静かになってどうしたのだろうか。私の頼みは聞き入れてもらえないのだろうか。

「大丈夫です。僕は貴方達の事を、恨んでも憎んでもいないので安心してください」

『恩に着ます』

人の良い笑みを浮かべて、のほほんと返すイクスはどこか父上と似ている。

ユホン叔父上に弾圧された神官達の中には、無惨に殺された者もいると聞く。同じ王族の私は憎まれているものだと、当然の様に思っていたがそうでもないらしい。

それが逆に不信に感じる。少しの間は警戒した方が良いだろう。

「名無しさんは神様を信じてんの?」

『ん?何故だ?』

突然の少年からの問い掛けに、何でそんな事を言われたのか解らず聞き返す。

「えっ、だって急に改まったから……」

『神官は政にも深く関わりがあったからな。無論王とも。だが、私は王ではない。到底対等に話しては良い立場ではないこと位、ちゃんと弁えている』

私は王ではない。今の私は、王族としての価値すら無い身だ。軽々しく話し掛けるのは、あまりにも失礼だろうから。

「そっか。なんかあんたって面倒な性格してるんだね」

『……素直なのは良いことだが、口に出しすぎるのは良くないぞ』

少々頭に来て言い返す。嗜める様に言ったのが悪かったらしく、整った顔を不機嫌そうに歪めた。

第一印象が少々良くなかったせいか、早速この少年に苦手意識を持つ。けれどそれは数時間もすれば、綺麗さっぱり取り払われていた。

『美味しい!』

見事な料理の腕によって。花より団子の私は、我ながら単純でチョロい奴だったみたいだ。
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