Dream
□第二話 逃亡
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『ミンス!』
やっと見付けたミンスの隣に立つ。
『兵の配置が換わっているな。どういう事だ。何か聞いていないのか?』
声を潜めて、ミンスに詰問する。だが、求めていた回答は得られず、静かに首を左右に振るだけだった。
ミンスの手には、弓が握られていた。武装する程、現状はまずいらしい。段々と状況が把握できてきた。
「先程、地獄へ送ってさしあげた」
聴こえてきた声はスウォンのもの。初めて聞いた。こんな凍える様な冷たい声。嫌な予感がして、塀をよじ登る。
『ミンス!お前も早くしろ!』
直ぐに振り返って、ミンスを呼ぶ。
正面に顔を戻した。“姉様!”と出そうになった言葉を、両手で口を塞いで呑み込んだ。
姉様が泣いている。ひどく傷付いた顔をして。その前に立つのはハク。スウォンは石畳の階段の上から二人を見下ろしていた。
『兵がいなかったのは、こういうことか』
スウォンの後ろには、多くの兵がいる。姉様とハクの二人は兵に囲まれている。最悪、最低な状況である。
『ミンス』
静かに呼んで、此方に顔を向かせる。
悲痛な表情を浮かべ、泣きそうになっている。ああ、そうか。こいつは、私達姉妹とハクの味方か。良かった。
『何でもない。…………ありがとう』
回らない頭で、どうすれば良いのか考える。スウォンとハクが戦ったが、四方八方からの槍がハクの動きを止める。
二人の会話の内容が、上手く頭に入ってこない。
キリキリという音が隣で聴こえて、ゆっくりと顔を向ける。
そうだな。姉様を助けなければ。
塀から飛び降り、辺りを見回す。今のところ、兵はいない。
『ミンス。隠れられる場所を探す』
矢を放った後、ミンスと共に走り出した。
「ハク将軍っ。こちらです」
姉様を抱えて走るハクを、城内の木々の奥へと案内する。
「姫様…陛下は…本当に、亡くなられたのですか?」
コクリと、首を縦に振った姉様は、只涙を流すばかりで、表情が無い。
『ハク。父上が…………父上が亡くなったということは………………次の…王はスウォンがなるのか……?』
震える声を押さえ付けて、言葉を絞り出す。
「…………」
ハクは何も応えてはくれなかった。が、その無言が肯定を物語っている。少なくとも私は、そう解釈した。
どうすれば良い?城にいれば直ぐに殺される。だが、城から出たところで行く場所は無い。何より、一人では生活出来ない。
私は姉様より、身の回りのことは出来るだろう。けれど他は何も出来ない。食事の用意なんか出来ないし、暮らしていくにはお金が要る。でも、稼ぎかたが分からない。
「父上を置いて……どこへ…どこへ行くというの……?」
姉様の言う通り、死して誇りを守るか。恥を晒してでも、生き抜いて見せるか。究極の二択だった。
「どこへでも行きますよ。あんたが生きのびられるなら。それが陛下への、想いの返し方です」
泣いている姉様を抱きしめて言うハク。
ああ、そうか。ハクは姉様のことが好きだったんだよな。ならば、姉様はハクに任せれば大丈夫だ。問題は私だ。
『……………ハク。城を出るのだろう?私とミンスも一緒に良いか?』
ミンスは私達の味方だ。取り敢えず、先のことは後で考えよう。城外に出ることが先決だ。
「ここから裏山に出られます」
「ああ」
周りに兵が集まりだした。急がなければ。
「私が引きつけます」
『ミンス!待て!』
兵を引きつけるなんて、それはつまり私達が逃げるために、囮役を引き受けるということ。そんな事をすれば、十中八九殺される。
『馬鹿かお前は!ふざけるな!お前は私達と――――んぐっ』
突然後ろから口を塞がれ、それ以上言うことは許されなかった。止めようと、必死に伸ばした腕もミンスには届かない。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ!嫌だ!!
放せ。放せ。放せ。放せ。放せ。放せ!放せ!!
ミンスが笑う。
何で笑うんだ。
哀しげに。寂しげに。
そんな今生の別れみたいな顔をしないで。
「姫様。どうかご無事で」
何でそんな、自分は無事じゃないみたいな言い方をするんだ。
派手な刺繍の着物を頭から被る。
何でそんな事をしている。お前は私達と一緒に逃げるんだ。
ミンスは私達に背を向けて、走って行く。走って行ってしまう。
馬鹿者。そっちは兵が多く集まっているんだぞ。
ハク。止めて。ミンスを止めてくれ。私を羽交い締めにしてどうする。それをやるべきはミンスだ。頼むから。頼むから、ミンスを止めてよ!!
矢が吸い込まれるように、ミンスの背へ刺さる。
私は目を見開いた。見開いて、ただその光景を事実として受け入れるしかなかった。受け入れざるおえない。
『…………悪かった。早く行こう』
ミンスの死を、悟ったら急に頭が冷えた。
何故姉様の様に、涙が出ないのだろう。声も震えていなかった。唇すら震えてない。
やけに冷静になれた。厭に冷静になれた。
悲しいのか、悲しくないのか。
苦しいのか、苦しくないのか。
辛いのか、辛くないのか。
分からない。解らない。判らない。
けれど違う。こんな場面で、笑うということは違う。
私は嗤った。自嘲的に。皮肉的に。
何に対して私は嗤う?
自問に自答は有り得なかった。