05/21の日記

15:58
貴方は縋る、それが矛盾と知っていても / シリアス / 薊、論名
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【貴方は縋る、それが矛盾と知っていても】

それはある日の放課後の事。
清上院 論名はそれが何でもない事であるかのような軽快さをもって、普段通りの朗らかな笑みを崩さぬままで抉る様に言った。

「いつまでそうして縋るつもりなのかな?」

言った先に居たのは、咲島 薊だ。
薊は自分の席についたまま、目の前の机に放り出す様に置かれている携帯電話(スマートフォン)のロック画面を眺めている。
ロック画面には何件かの通知が表示されていて、どの通知も虚像の薊の体調や精神を心配するような文言が並んでおり、薊はそれに反応しようと携帯電話に右手を伸ばし掛けていたのだが、その直前、背後に居た論名に嘲るような声を掛けられてその手を引っ込めたのである。
携帯電話に触れる事を中断した薊は、背後に立っている論名に顔だけで振り向きながら、反発を込めて言う。

「別に、縋っちゃいねぇよ。」

元々目付きが悪く可愛げの無い薊の顔は、故意に誰かを睨み付けると中々の迫力と威圧感を纏った表情になる。
その上、薊は他の女子達に比べると声が低く、その声音に軽い不機嫌を混ぜ込むとそれだけで十分圧迫感の有る、所謂ドスの利いた声になるのだが、論名がそれに臆する様子は無い。
不愉快を前面、というよりも全面に出した薊と反対に、愉快を纏ったような調子の清々しい笑顔を湛えたまま、嫌悪は見せず、しかし嘲りは隠さずの論名は、先程と同じ様に軽快な声で言う。

「あはは、それって何の冗談?」
「……私が冗談なんか言うと思ってんのか、お前。」

薊の威嚇など意に介さない様子でクスクスと笑いながら言った論名に対し、薊は一層不快だと言いたげな様子で生まれてこの方一度も整えた事の無い太めの眉を顰め、論名を小馬鹿にするような言葉を返した。
事実、薊は普段から冗談を言う方では無いのだが、それでも論名にとって薊の縋っていないという発言は冗談としか受け取れない内容だったらしい。
否、正確には、薊がそれを本気で言った事は分かっているが、薊の行動がその本気の筈の言葉を嘘や冗談に変えてしまっている、思っているのだろう。
確かに、薊が縋っていない身だとするならば、携帯電話の通知などというものを気にする必要は無いのだから、当たり前か。
実際、論名は暗にそれを主張するかの様に言う。

「じゃあ、どうしてそれに触ろうとしたの?」

やや細められた両目から覗く焦げ茶色の瞳が、薊の右手と携帯電話を交互に貫く。
携帯電話は通知の到着から少し時間がたった所為か、もう画面を光らせてはいない。
論名の視線はあからさまな程に薊を挑発しており、薊はこれ以上ない程の不快感を覚えずにはいられなかったが、此処で声を荒げては負けだと思い、極力冷静を装った声で反論する。

「音が鳴った方に意識が行くのは、人間の本能だろ。私はただ音に反応しただけだ。……そこにそれ以上の意味なんかねぇっての。」

正直、自分でも苦い言い訳だと思わない事はない、と薊は思う。
だがそれでも、背後に居るコイツ――清上院 論名という、得体が知れず、覗けば最期の深淵の様な存在に本心を覗かせる訳にはいかない、という警戒心が薊に、どれだけ苦くあろうが言い訳を続けろ、と命じているのだ。
その際、薊の中でふと、薊の様で論名の様でもある何かが、そもそも私の本心って何? と、問いかけた気がしたが、薊はそれを無視して論名の様子を注視する。
論名は相変わらず朗らかで、それでいて何処か不敵で、その上で薊には理解できない程度の哀れみを秘めた笑顔を浮かべている。
優しく、しかし視線の先を貫くように細められた両目と、いやらしくない程度に吊り上げられた口角。
やがて論名はそれまで細めていた両目をほんの少しだけ見開くと、若干驚いたとでも言うような顔をわざとらしく見せながら、三日月の様に綺麗な弧を描く唇を動かした。

「そうなの? ふーん……そっか、音が気になっただけなんだね。」

目は驚きを表現するように大きめに見開かれているのに、唇は弧の形を大きく崩そうとはしない、そのアンバランスが薊の警戒心を掻き立てる。
薊には、論名が目を見開いているのは此方の発言に驚いたからではなく、カメラが撮影したい場所にピントを合わせる時の様に、薊の心の奥にピントを合わせているからであるように感じられたのだ。
薊より大きくパッチリと開いた論名の目、その中で虹彩や瞳孔が薊の中身を探る様に動いた気がして、薊は僅かに論名から視線を逸らす。
これ以上見てはいけない、と何かが頭の中で警告した気がしたのだ。
薊の内側を覗く様でいて、同時に薊を吸い込んでしまいそうな底知れない不気味さを持った論名の瞳から視線を逸らし、小さくはあるが溜息にも似た息を吐いた薊に、論名は少しの静寂を挟んだ後に言った。

「……じゃあ、音の原因は分かったんだから、もう触らなくていいよね。」

これには今度は薊が驚いて目を見開く番であり、薊は一瞬、何故そのような事を論名に決められなくてはいけないのか、と反発しようと、声を出す為の空気を口から肺に取り込んだ。
だが、空気を取り込んだところで、薊は自分の置かれた状況に気が付き、その息を少し時間を掛けて静かに、声にしないまま吐き出した。
薊の気付いた自分の置かれた状況、それは、論名は話の流れ上は何も間違った事など言っておらず、此処での反発は論名の更なる追求を自ら呼び寄せる行為に他ならない為、自分には反発の余地など残されていないのだ、という事だ。
反発・反論の余地が無い、論名の完全勝利とでも言うべき状況に、薊はグッと奥歯を噛み締める。
論名に向けられる、目付きが悪く愛嬌も愛想も無い薊の鋭い目はその鋭さとは裏腹に、屈辱とでも言うべき感情に満ちている気がした。
そんな薊からの無言の抵抗と敵意とでも言うべき視線に曝されても尚、論名は焦りを一切見せず、再びゆっくりと目を細めたと思うと、クスクスと小さく笑いだし、それから、

「……ふふっ、ごめんね、意地悪だったよね?」

と、あまり悪びれない様子で言い出すものだから、薊は一際強い悔しさを感じ、両手を両膝の上で握りしめ、大きな怒りに小さく震える事しかできなかった。
最早感情も考えも言葉にならず、しかしその様子から全てが筒抜けになっている薊に、論名は普段と大差無い朗らかで何処か悪戯っぽい笑顔を向ける。
薊にとってはそれが尚更腹立たしい事この上ないのだが、論名はそれを知ってか知らずか――恐らく、知った上で無反応を貫きつつなのだが――薊に対しての言葉を続けた。

「でも、自分の気持ちは分かったでしょ? その端末の先の誰かに縋っていたいって思ってる、そんな自分の本心は。」

論名がそう言い終わるや否や、薊の携帯電話が特定のSNSの着信音とマナーモード時にも使う振動音の両方を同時に鳴らした。
それに対し、薊は一瞬だけ、突然の物音に驚いた犬の様な、ビクリとした反応を見せたが、今回ばかりは瞬発的に携帯電話のロック画面を見ようとはしなかった。
その様子に、論名は少し申し訳なさそうに見えなくもない顔をして、実際には申し訳ないとは思っていない心で、形の上だけの謝罪を見せる。

「あぁ、ごめんね? 私は別に、薊ちゃんがそこで人と繋がる事を邪魔したい訳じゃないの。 だから……携帯電話、見ても良いよ?」
「……ハンッ、此処で見たらお前の思うツボだって事ぐらい、私にも分かるっての。」

形だけの謝罪を見せられた薊は、殊更胸糞悪そうな顔をして、吐き捨てる様な小さな笑い声を零した。
謝罪用の顔をして頭を下げ気味にしながらも若干の上目遣いで此方の目を、目から奥を、頭の中を覗く様な論名の態度が、薊はハッキリ言って気にくわないし、それでいて何処か回りくどいやり方と言い回しも、心底気にくわないのだ。
だが、そうして相手の気にくわない態度をあえてとる事こそが論名の仕組む巧妙な罠――相手の中身を覗く為の下準備なのだと、論名と未彩のやり取りを幾らか見て学んでいる薊は、此処で感情的になる事は悪手だと信じ、極力感情的にならぬ様、それでいて相手を威嚇できる様な言葉を選ぼうと心掛けていく。
そう、此処では携帯電話の通知を無視しておく事こそが正解、と薊は信じている。
しかし、論名からすればその程度の事は既に想定に織り込み済みであったようで、その顔に焦りの色は一切浮かんでこない。
それどころか、謝罪用のポーズを止めて上体を起こした論名の顔に浮かんでいたのは、余裕と、嘲笑と、そしてやはり哀れみを混ぜ込んだような、一言で表すと意味深長としか言い様の無い笑顔であったものだから、薊は背筋に緊張にも似た悪寒が走るのを感じずにはいられなかった。
そうして薊が言葉を失っていると、論名は意味深長でありつつも悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ゆっくりと、染み込ませる様な声音で、薊に語り掛けてくる。

「別に、思うツボって事は無いんだよ? だって、私は薊ちゃんを操縦したい訳じゃないから。私はただ……薊ちゃんの、未彩みたいに矛盾した顔が気になっただけ。最後は薊ちゃんが選んでいいんだよ? まぁ……今の薊ちゃんに、それができるとは到底思えないけど……ね。」

確かに、論名は自分を操縦したい訳では無いのかもしれない、という事は薊も思わない訳ではないのだが、それにしては最後の一言が些か挑発的で余計ではないだろうか、という思いから嫌悪感を隠し切る事がでなかった薊は、心底不服そうな表情を浮かべずにいる事もできなかった。
そんな薊の様子を見て、論名は殊更、或いは心底面白そうにクスクスと肩を震わせて笑う。
恐らく、論名にとっては本当にそれが心底面白くて、それでいて、哀れだったのだろう。
とはいえ、それを目障りだとか、鬱陶しいだとか、とにかく嫌悪の感情で刺して排斥する訳ではないのが論名の不思議なところであり、逆に恐ろしいところでもある、という事を、交流歴の浅い薊はまだ知らないが、従姉妹として幼い事から交流のある未彩や、或いは未彩の担任教師として数年前から交流のある藤咲 満は薄々気付いている事だろう。
とにかく、論名の不気味とも言える笑みと物言いに圧倒されつつも、なんとなく、どことなく、嘲笑にも似た空気で馬鹿にされている部分がある、という事だけはなんとか感じ切った薊は論名への反論、或いは論名を此処から去らせる術を考えていたが、それよりも先に論名が再び口を開く。

「不思議な話だよね、学校では自身も含めた人間嫌いで通ってる薊ちゃんが、SNSではそれなりの人数の人間と交流があるなんて。薊ちゃん……本当に、人間が嫌いなのかな?」

その言葉を聞いた時、薊は冷や汗に似た何かが全身からゾワリと一気に噴き出した気がした。
薊は本当に人間が嫌いなのか? という論名の問いにも似た独り言は、表面だけを見れば単純に、薊は人間嫌いではない、と語っているだけに見えない事も無かったが、薊にはその独り言のもう一つの意味が容易に察せてしまったのである。
だから薊は、それまで守っていた沈黙を排し、絞り出すように論名の独り言に反応した。

「……あぁ、嫌いだよ。特に自分は大嫌いだ。殺したい程な。そこに嘘は無い。」
「……本当に?」

薊の答えに納得がいかないのか、論名は不敵とも言えるどこか薄暗い笑みを見せながら薊に問い返した。
薊は考える時間をあまり挟まないようにして、ほぼ瞬発的に答える。

「本当さ。」
「……そっか。」

瞬発的に投げ返された薊の答えに、論名は微妙な沈黙を置いてから、納得したように聞こえない事もない返事をした。
これには薊も、そろそろ論名も納得したか、或いは追及を諦めたか、と思ってほんの少しだけ身体の強張り、つまりは緊張を解いたのだが、次の瞬間、

「じゃあ、どうして縋るの?」

論名はそれが間違いであった事を薊に突き付けるかのように、一番問いかけたかった事――薊からすれば一番問いかけられたくない事――を問いかけてきた。
一瞬、薊の中の時間の流れが途切れ、止まる。
視界に映るのは、本当は何もかも分かっているくせに、いかにも自分は何も分かっていませんと偽装しているような少しわざとらしい笑顔の論名の姿だ。
その間にも薊の携帯電話はSNSの通知音を一回だけ鳴らしたが、流石に今回の薊にそれを気にする余裕はなかった様で、薊は心底嫌そうな顔をしながら、その場を濁すかのように論名に問い返す。

「……それ、さっきも言ってなかったか?」
「さっきとは違うよ、あれは『いつまで』って訊いてるからね。今度は『どうして』って訊いてるの。」
「……余計に性質が悪いわ、ボケ。」

苦し紛れの薊の問い返しに、論名はなんて事無いとでも言いたげな程に軽快な返答をする。
此処までくると流石に後先を考える事が面倒臭くなってきた薊は、それが論名のやり口だと分かっていながらも、率直な罵倒を控える事が出来なかった。
だが、ボケとまで言われても尚、論名は楽しげに見える程笑みを崩さないものであるから、薊はこの清上院 論名という女子生徒が本当に自分と同じ中学二年生なのかと疑わざるをえなかった、というよりも、年齢が関係しない一種の怪物の様な何かと対話しているような感覚を覚えずにはいられなかった。
論名はまるで、底知れない異界への入り口だ、と薊が思ったのも無理はないだろう。
そしてきっと、論名はこの不信感と恐怖感すら見通しているのだろう、と思うと、薊は何とも言えないが何処か諦めに似た気持ちが自分に満ちてくるのを感じるのである。
とにかく、薊にある意味での褒め言葉としてのボケという言葉を投げつけられた論名は、今までより少し大きめに笑う。

「あはは、そうかもね。」
「分かってるならいい加減にやめろっての。」

心底呆れかえりつつ疲弊した様子の薊を見ても尚、論名はどうしようもなく楽しそうで、しかしそれでいて見る者が見れば何処か寂しげに見えない事も無い笑みで軽快に笑う。
薊はそれにただひたすら嫌悪感を覚えていたが、最早その嫌悪感を激しい感情として表情に出せる程の余力はなかった為、論名を睨む代わりに視線をそらしながらかなり大きめのわざとらしい溜息を吐いて見せた。
だが、それと同時に薊は内心で論名の問いかけの答えを考えていた。
そう、いつまで、どうして、咲島 薊は嫌いなハズの人間に縋り、一番嫌いな人間の筈の自分の精神を繋ぎとめるのか、と。
これは考えてみればおかしな話だと、薊本人も若干思っていた節はあるのである。
何故ならば、本当に人間嫌いであるならば、SNSなど触れるべきではないし、触れたいと思うものではない、というのは、SNSの先に居るのも所詮は人間である、という事を考えればすぐに分かる事であり、自分という人間の精神に関しても、わざわざ他の人間を頼って繋ぎとめるより、誰も頼らずに破壊して身体ごと終わらせてしまった方が早い、というのは言うまでも無いからである。
SNSに限った話では無い、個人的に作るWebサイトも、その他の作品投稿サイトも、全て同じだ。
自分を本当に嫌うならば、そんな自分を少しでも心配する存在は少ない方が良い。
両親や祖父母などの血縁者は仕方ないとしても、それ以外など何も無い方が良い、その方が自分を破壊しやすいし、自分に人間への嫌悪と自分への嫌悪という罰を与えやすい、それなのに何故自分はこんなものを使っているのか……そこまで考えて、薊は寒さに反応するかのように小さく震えた。

「どうしたの? 薊ちゃん、大丈夫?」

今までのいがみ合い(と言っても、薊が一方的に敵対心を剥き出しにしていただけなのだが)が嘘であったかのように、友達を心配するかのような優しいトーンで論名が薊に尋ねる。
その声がどうにも耳障りで、薊は思わず椅子から勢い良く立ち上がった。
ガタン、と音を立てて位置がずれる椅子は、幸い倒れる事は無くその場に立ち続けてくれたが、薊はそれには構わず最初の様に論名を睨み付ける。
薊の視線に、あからさまな程の、同情は要らない、という意思が込められているのは、論名にも容易く見て取れた。
それを見て、論名はまた意地悪く見えない事も無いが、正確には意地悪いというよりも何処か複雑そうな、ある意味で薊を哀れむ様な、何処までも悲しい目を目蓋で隠し気味にした笑顔を浮かべるのである。
そんな論名に対し、薊は吐き捨てた。

「……私は人間が嫌いだ。その中でも一番私が嫌いだ。だから……半端に同情すんじゃねぇ。」

それだけ言うと、薊は論名の反応を待たずに机の上の携帯電話を手に取り、制服の胸ポケットに仕舞ってから自らの席を離れた。
そしてそのまま、教室前方の扉に向けて歩き出す。
その背中が何処か震えているように見えたのは、論名の勘違いではないだろう。
やがて、薊は廊下に出ると、視線こそ論名に向けなかったものの、論名を威嚇するかのように後ろ手で勢い良く教室の扉を閉めた。
扉にはめ込まれたガラスが割れるのではないかと心配になる程の勢いで締められたドアは、ガアンッ! ……と、大きな音を立てる。
そして静寂が訪れた教室の中で、論名は夕日に打たれながら小さく微笑み、誰に言うでもなく――否、今は此処に居ない薊に向ける様に、呟く。

「天邪鬼だね、本当に。同情が要らない程に他人も自分も嫌いな子が、ネットにお気持表明なんてすると思うのかな? フフッ、本当に天邪鬼なんだから。……本当に嫌いなら、全て切り捨ててごらん? きっと、できないだろうけどね。」


End.

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