メモ

□神様の言う通り。
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意識がごぽりと浮上する。
泥濘から押し上げられるような体の重さは、意識がはっきりするに連れてしっかりと感じ取れた。
重たい瞼が反射的に持ち上がる。
眼前に広がる黒は、暗がりの色だ。
カーテンのない窓は住宅のそれではなく、施設などの大きな二重窓だ。
転落防止の柵があることからして、ここは二階以上の高さにあるのだろう。
生暖かい空気が頬を撫でる。
なにか嫌な予感に音を立てずに体を起こすと、ちらりと気味が悪いものが廊下を通った。
ミイラというには生々しく、人間と呼ぶには歪すぎるそれ。
ぎこちなく歩いていったそれは、徘徊にも似た行動で目的はなさそうに見えた。
だが、嫌悪感とそれに似た拒絶本能が働いた。
怖いなんて感覚ではない、本能が嫌う感覚だ。
ただ不思議となんとかなるという自信はあった。
もともと運動は出来るという事実と大量のアドレナリンのせいだろうが。
何もない部屋にいても埒があかないと、音を立てずに立ち上がる。
あのヨクナイモノに見つかるのは今は避けたいと、死角へと体を移動させるとそこで見つけたのはサバイバルナイフだった。

ギュッとしっかりとサバイバルナイフを持って廊下へと出る。
命がかかっているそれは少しだけ頼りなく感じたが、それでもないよりはマシだ。
幸い着ていた服も制服ではなく、普段から動きやすい格好を好んでいただけあって動作に支障がない。
角を曲がったところで、なにかに屯(たむろ)うヨクナイモノを見つけた。
言葉ではない音を放つそれらは、本当に不気味でそれでいて非現実的だ。
ヨクナイモノの隙間から見えたのは肌色と、涙で潤んだ明るい色の瞳。
その瞳と自分のそれが合った瞬間に、体が弾かれるように動いた。
そこに意思なんてものはない。
ただの本能だ。
今日は脳が働かない日なのかと問いたくなるほど、考えなしの行動。
笑いすらこみ上げてくるが、今はそんな時ではない。
サバイバルナイフを逆手に持ち、頭と胴体を切り分ける。
ゼラチンを切ったような薄い感触を手のひらに感じながら、なぜか冷静な頭は真っ直ぐに手をそれらの真ん中にいた彼女に向けた。


「谷地さん、行くよ!」


しっかりと掴んだ手は震えている。
守らなくてはという使命感を抱えながら、手を引いて走る。
向かうのは彼らから離れたどこか。
知らない道を走って走って走る。
中途半端に空いていたドアから教室に滑り込み鍵をかければ、奴らはドアを荒々しく叩いた。
何体か遅れてきたことから足はそう早くないようだ。
だが精神的にクるものは大きいようで、谷地は小さくなって震えている。
走って逃げれる自信はついた。
だがそれよりも、今は谷地をフォローすることの方が優先事項だ。

薄暗い部屋を見渡せばゴソリと動いたなにか。
ナイフを握り直して詰め寄る。
谷地はそれからは遠い位置で一時待機だ。
一歩にじり寄る度に体がぞわぞわと粟立つ。
廊下にいたナニカみたいなものではないようにと願うのは仕方のないことだろう。
お互いの姿がうっすらと見えてくる。
向こうはどうやら複数のようで、光を反射した8つの目と視線が交わった。


「人間…?」


暗がりからの声に小さく「そう、」と答える。
低かったその声はどうやら男のもののようだ。
暗がりに慣れた目が捉えたのは背の高い男子4人。
今は集まって一人がこちらに銃口を向ける姿となっている。


「私が見える?」
「いや、まだはっきりは…」
「そう、じゃあまだ銃は下ろさなくていい。ちゃんと納得したら、警戒を解いて」


それだけ告げて、ゆっくりと距離をとる。
下がった先には震えは止まったが未だ怯える谷地がいた。
震える手を握ってその手を温める。
血が引いたように冷たいその手。


「大丈夫?谷地さん」


心配げな声で問い掛けると、彼女はフルフルと頭を左右に降る。
大丈夫なわけがない。
そんなのは問いかける前からわかっていたことだ。
だからそれを責めたりはしない。
だが、いつまでもこのままというわけにもいかないだろう。

ごとりと音がした。
重たい金属と床が剃り合うような音にそちらを向けば、銃はもう手から放されていた。


「もう警戒しないの?」


問いかけはどこかその行動を許さないように刺を含んでいる。
しかし銃を持っていた彼はゆるりと頭を振った。


「もういい。それよりも聞きたいことがたくさんある」
「それはこっちも。ここは手を組んでおこうか」


お互いが協定に同意し、暗がりの中で握手を交わす。
ゴツめの手はやはり男の子だからなのだろう。


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