【短編】及川徹×影山飛雄

□バレーと恋人
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『バレーと私と、どっちが大事なの!?』とかつて詰め寄られた経験を持つ及川は、その都度『ごめんねぇ、今の俺にはバレーが大事なの』と言って歴代の恋人達との離別を繰り返してきた。
女とはどうして何かと自分を比較したがるのか、呆れたこともあるほどだ。
そんな及川が『バレーと俺と、どっちが大事なの!?』と怒鳴ってしまった時、ああ、これを因果応報と言うのだろうなと漠然と思った。
無論その台詞は影山に向かって放たれたものであり、言われた本人はただひたすら目を丸くしていた。
あれから約5カ月、奇遇なことに影山の誕生日と青城バレー部引退の日を同時に迎えた。
まあ影山については、この際放っておこうと思う。
なにせ及川の誕生日をすっかり忘れて夏の東京合宿へ行ってしまったバカなのだから、影山にとっての及川の存在など、バレーには到底及ばないのだろう。

「あーあ、もうこのコートでみんなで練習することはないんだね……」

及川は下級生達に「今日だけは居残り練習しないでくれるかな?」と頼み込んで、レギュラー3年生達と共にガランとした体育館を見回した。
3年間、苦楽を共にしてきたかけがえのない仲間、部員達の汗と涙を知る体育館、それらと離れてしまうのが、これほど切ないものだとは少々想定外だ。

「終わっちまうと、早ぇもんだな」

花巻も感傷的になっているらしく、いつもの陽気な口調ではなくどこかしんみりした雰囲気を漂わせている。

「次にボールに触るとしたら、大学でってことになんのかな?」

地元の大学を受験する予定の松川は、志望校にバレー部があることは知っているが、強豪であるという話は聞いたことがない。

「ま、大学っつっても、俺だってこれまでと同じっつーワケじゃねーよ」

岩泉は東京の大学を受験するようだが、やはりバレーよりは勉強を優先とする生活を選択している。

「俺も、同じじゃないんだ……」

そして及川は既に推薦枠で仙台の大学への進学を決めている。
実家から通える距離なので一人暮らしはしないが、もう青城ジャージをしたり顔で着用することもないのかと思うと、どうにも寂しい。

4人がそれぞれの思い出という名の過去に思いを馳せる。
苦しくて逃げたくなったり、楽しくて笑いが止まらなかったり、憤りのあまり感情を爆発させてしまったりと、色々なことがあった。
だが今なら全てを楽しかったという言葉で括れるように思う。

「ん?今ならそう思えるってんなら、オメーの恋人のことも許せるんじゃねーのか?」

しんみりした雰囲気をそんな台詞で破ったのは、影山に誕生日を忘れられてしまったからと、及川が夏から不貞腐れているのを知るからだ。
無論花巻と松川も知っていることで、怒っていながらも月曜デートは欠かしていないというのだから、少なからず困惑してもいる。

「飛雄はバレー大好きだもん。悔しいけど、俺のことはその次くらいなんじゃないかな?」

誕生日を忘れていたくらいでヤキモキする自分は、どうかしていると頭では分かっている。
それでもどこかつっけんどんになってしまうのは、理屈ではない何らかの感情が心の中で燻り続けているからなのだろう。
たかが誕生日、されど誕生日、及川が歴代の彼女達の言葉を心から理解したイベントだった。

「バレーの次だったら、あんなとこにいないんじゃね?」
「は……?」

隣に立つ岩泉が体育館の出入口の方を指差し、及川がそちらに視線を向けると、学ラン姿の影山が気まずそうに立っていた。

「飛雄だ……てか、何なの、アイツ?今日誕生日だからってプレゼント催促しに来たのかな?図々しいヤツ!」
「まあまあ怒んなさんな。あれは何か期待してるってツラじゃねーよ」

岩泉と花巻、松川は及川の肩をポンと叩くと思い出に浸るのをやめて体育館を後にし、及川だけが取り残される。
影山は入り口に突っ立ったまま何も言わず、ただこちらをじっと見つめているだけだ。

「何か用なの、飛雄?」

声をかけられると、影山はビクッとしながらもたどたどしくここへ来た理由を口にした。

「今日、及川さん、バレー部引退するって聞いたッス」
「へぇ、誰に?」
「金田一が教えてくれたッス」
「そんで、お前は部活に出ないでなんでここへ来てんの?烏野はそんな暇ないでしょ?」

もちろん、今日も烏野バレー部は全国大会へ向けて全部員が練習に励んでいる。
だが及川が青城バレー部を引退すると知ったからには、どうしてもここへ足を運んでおきたかった。

「及川さん、落ち込んでんじゃねーかって思って」
「そりゃ落ち込むよ。3年間ガムシャラに練習した場所とお別れするんだからさ」

そう言えば、影山は一言も自分の誕生日について言及していないが、祝って欲しくてここへ来た訳ではないのだろうか。
純粋に疑問に感じて口にすれば、本人ですらバースデーであることを忘れていたのだから、これには驚いた。

「お前、どこまで忘れっぽいの?自分の誕生日くらい、覚えとかないとだめじゃん?」
「はあ……でも俺、毎年クリスマスと一緒にされてて、誕生日が特別だとかって感覚が分かんねーんスよ」
「ああ、まあそうかもね。ん?じゃあ俺の誕生日忘れてたってのも、そういう理由から?誕生日が特別だって考えてなかったから?」
「まあ、そうなります……それにあん時は合宿にも行かないといけなかったし、帰りに東京土産買ってくるつもりが、そんな暇もなくて」

そんな裏話があるのなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったのだろうと疑問だが、「俺とバレー、どっちが大事なの!?」と及川がキレてしまったので言い出せなかったのかもしれない。
我ながら器の小さい彼氏だなと、たまらず苦笑が洩れた。

「飛雄、こっちおいでよ」

促すと、影山は入り口でスニーカーを脱ぎ、バレーシューズに履き替えてから及川の隣に移動してきた。

「この体育館はさ、俺の3年間を知ってるの」
「そッスか……」
「だからね、最後の1年間、ずっと飛雄が烏野でバレーしてるんだって意識してた俺のことも知ってる」
「え……?」
「なんで青城に来なかったのかなとか、もし青城に来てたら、烏野の先輩達みたいに肉まん奢ってあげたのにとか、考えても仕方ないこと考えてたよ」

烏野高校バレー部が影山を変えたという事実は、正直なところ気に食わない。
最初はただの嫉妬だと思い、及川としても短絡的に気に入らないなと考えては心の中で地団駄を踏んでいた。

「お前が同じ部にいても、俺はバレーを教えなかったと思う。でもさ、お前の成長を誰よりも間近で見ていたかったとも思うんだよ」

頬を伝う涙の温度が、とんでもなく冷たい。
恋人がライバル校にいて、ネットを挟めば敵対視されることは当然だと理解していても、実際にその視線に晒されると少なからず心が揺れた。

「及川さん、仙台の大学に行くスよね?」
「うん……」
「俺はまだまだ成長するつもりッス。及川さんの背中はまだ遠くて追いつけそうにないんで、大学で下剋上するッスよ」

及川だけではなく、影山もまた青城と試合をする度微妙な心境に陥っていた。
普段は屈託なく笑ったり怒ったりする先輩が、勝負師としての表情で自分を射るように見つめるのだから、心臓にいいはずがない。

「下剋上なんて言葉……お前、知ってたんだ……?そんでもって、もう進路決めたの?」
「最近知った言葉だし、及川さんにはまだ敵わないッスから」
「懲りないねぇ、お前……ま、もうちょっとしたらどっかで何か買ってあげるよ。誕生日だもんね」

もうバレーと自分、どちらが大事なのかなどと訊く気も失せた。
全国大会前の大事な時期に練習を休んでここへ来ているということは、影山の中での及川の存在はバレーと同じくらい大切なものなのだろうと分かる。

「うわ、ちょっと!?」

真正面から物凄い力で抱き付かれると、バランスを崩して倒れ込みそうになる。

「泣いていいッスよ」
「──!?」
「俺の前でくらい、泣いていいんス」

そう言う影山の声も、少しばかり涙声になっているように感じた。

「なんだ……そっか、泣いていいんだ……」

小さな嗚咽を堪え切れず、及川は影山の肩に顔を埋めた。
誕生日はこれから祝ってあげるから、これからも自分を支えていて欲しいと切に願いつつ、3年間の汗と涙を知るこの体育館内で影山と過ごすことで、最後の思い出を築きつつあった。





(終わり)

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