【短編】ヴィクトル・ニキフォロフ×勝生勇利

□All For You
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グランプリファイナルの前にバルセロナで観光をしていた時、ヴィクトルは誕生日を特に祝うことも、クリスマスだからと特に浮き足立つこともないと口にしていた。
ロシアとはそういう国なのかと聞き流していた勇利だが、実際に12月25日を迎えてみると、クリスマスは置いておくにしても、誕生日の方はあまり疎かにしてはいけないという気分になりつつある。

「あの、ヴィクトル……?」

朝から機嫌がよく、やたらと期待に満ちた目をチラチラ向けてくるヴィクトルのプレッシャーに耐えかねた勇利は、思い切って誕生日プレゼントに何が欲しいのかを訊いてみることにした。
ロシアに来たばかりで決して精神的に余裕があるとは言えないが、コーチに対して何かしらプレゼントを贈りたい、できれば相手が望む物を差し出したいと思うのは、悪いことではないだろう。

「何だい?」
「えっと、今日はヴィクトルの誕生日……だよね?」

上目遣いに問えば、すぐさまブンブン首を縦に振るヴィクトルの姿が視界に入る。

「そうだよ!覚えててくれたんだね?」
「いやぁ、覚えてたっていうより、思い出したというか、思い出させられたというか」
「バルセロナでは覚えててくれたのに、つれないことを言うね?」
「だって、まだロシアに来て日が浅いから……色んなことに早く慣れないとって考えてると、どうしても他のことを後回しにしちゃうんだよ」

それは嘘偽りのない真実だった。
とにかくロシアという国は、温暖な地で生まれ育った勇利にとって極寒もいいところだ。足元への注意を怠ればすぐに転んでしまうほど路面には雪が敷きつめられ、晴れていたかと思えば気紛れに雪の礫を天から放出してくるのだから、天気予報を頼みにすることもできない。。
言語面での苦労も付き纏い、ロシア語ばかりが飛び交うサンクトペテルブルクのホームリンクの雰囲気にも馴染めていない。

「勇利は真面目だよね。生徒として申し分ないくらいに」
「そうかな?それはコーチが優秀だからじゃない?」
「ねえ、勇利?そろそろ俺、コーチ以外の役割も担えるようになりたいんだけど、勇利はどう思う?」
「コーチ以外の役割って何?」

ようやくヴィクトルの住まいに到着し、鍵を開けてドアの内側へ入り込むと、先に入っていたヴィクトルが真正面から勇利を包み込むように抱き締めてきた。

「ヴィクトル……?」
「……になりたい」
「え?よく聞こえないんだけど?」

艶めいていて、それでいてくぐもった声で耳元で囁かれることには慣れている。
最初はこういう接し方をされる度に顔を真っ赤にしていた勇利だが、8カ月以上一緒にいると大抵のことには驚かなくなった。

「勇利の、恋人になりたい」
「──っ!?」
「俺は20年以上、愛をないがしろにしてきた。でも、勇利と出会ってから、愛を知った……勇利がくれた愛だ」

これまで敢えてこの愛という感情に特別な名を与えることはなかった。
勇利もヴィクトルもリンクの上で表現する愛に名はいらないと思い込むことで、コーチと生徒という関係を保ち続けてきた。
だが、そもそも勇利とはヴィクトルにとってただの生徒なのかと考えると、そうではないことに気付いてしまった。
今まで誰に対しても抱いたことのない尋常ならざる執着心、離れたくないと強く願う心、リンク以外の場所で膨らみつつあった未知なる数多の感情は、もしかしたら勇利という選手を一人の人間として愛するがゆえの結果ではないのだろうか。
己の中でそう結論付ければ、不思議と抵抗なく受け入れることができ、ならば勇利の全てが欲しいと願うようになるのに大した時間はかからなかった。

「好きだよ、勇利。俺の誕生日プレゼントは、勇利がいい」
「……」
「嫌かい?」
「……」
「勇利?」

ありったけの勇気を振り絞って生まれて初めての告白をしているというのに、何も言わない勇利は今何を考えているのだろう。
不安に駆られたヴィクトルは少しだけ身体を離して勇利の顔をじっと見つめ、次に両目を見開いた。

「なぜ笑うんだ?」

勇利はどこまでも柔らかな笑みを口元に湛え、ヴィクトルの姿を漆黒の瞳の中に映し出していた。

「All For Yours」
「え……?」
「僕はロシアに拠点を移して、ヴィクトルと一緒に住むようになったその日から、僕の全てはあなたのためにあるって思ってる。だからヴィクトルの好きにしていいよって、ずっと考えてたんだけど、ヴィクトルは違うの?」
「そんなの、初耳だよ。それに笑うなんて酷いじゃないか、初めての告白なのに」
「あなたと出会えて、ずっと傍にいられることが幸せだよ、ヴィーチャ」



ヴィーチャ──。



勇利がヴィクトルをこんな風に呼ぶのは初めてのことだった。
更に言うなら、ヤコフ以外にヴィクトルをヴィーチャと呼ぶ人間などいないのだと思い込んでいた。

「勇利、もう一回……呼んで」
「もう一回じゃなくて、何度でも呼ぶから……泣かないで、ヴィーチャ」

知らぬ間に零れた涙が指で拭われると、すぐに温もりを帯びた唇が下から押し当てられ、ヴィクトルは頬をなぞる勇利の右手を取って自分のペアリングを触れ合うように指を絡ませ、左手を勇利の背に回して一層身体を密着させる。
今まで誕生日とはただ年齢を重ねるだけのイベントだと思っていたが、勇利がいるととても大切な日のように思えてくる。
それは勇利が望む物全てを差し出してくれると、教えてくれるからなのかもしれない。
高価な宝石やブランド物のバッグなどではなく、人として生きるために必要な愛を惜しみなく与えてくれる存在だから、ヴィクトルもまた欲するあまり手を伸ばすのだろう。

「最高だ……誕生日がこんなに嬉しいものだとは、知らなかったよ」

頭の芯がくらくらするような濃厚なキスは、ヴィクトルの知らないものだった。
誕生日は祝うもの、クリスマスは楽しむもの、そんな当たり前のことを投げ打ってまでスケートに人生を捧げてきたヴィクトルにとって、初めて手に入れた生身の人間から与えられる真実の愛。
生まれてきてよかったと、これほど痛烈に思えるのは、勇利の全てがヴィクトルのものだと言ってくれたからに違いない。

「Be my partner……勇利」

繋ぎ止めたい、離れたくない、傍にいて欲しい、それらの感情が相まってキスの狭間で呟けば、再び温かな唇が静かに押し当てられる。
イエスと頷くよりもずっと説得力のある肯定は、ヴィクトルから新たな涙を誘った。





(終わり)

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