【短編】ヴィクトル・ニキフォロフ×勝生勇利

□忘れ得ぬ約束
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「俺がJJに冷たい理由?」

唐突に勇利に問われ、オウム返しにそう口にしたヴィクトルは、正直とても心外だった。
誰にでも「そこにいるだけでムカつくヤツ」という存在があるように、ヴィクトルにとってのJJはまさにその言葉通りの存在であるだけで、そこに理由も理屈もあるはずがない。
強いて言えば「生理的に受け付けない」という表現がしっくりくるだろうか。

「ヴィクトルは基本誰とでもにこやかに話すのに、JJにはそうじゃないから、気になったんだよ」
「冷たいかなぁ?」

まあこれは勇利の観察力に脱帽というところだ。
とにかく目障りで仕方がなく、JJに悪意がなくともヴィクトルが曲解して悪意と解釈しているのだから、少なからず態度に出ていたとしてもおかしくはない。

「なんか、ヴィクトルらしくないっていうかさ……」
「俺らしいって、何?」
「え……?」
「勇利は俺の何を知ってるの?俺に相応しいもの、そうでないもの、それは俺が判断することじゃないのかな?」

お説ごもっともだと、勇利はたまらず俯いた。
ただJJに対しての態度が気になっただけで、他の選手達に対する態度と違うのはなぜなのかと疑問に感じただけだったのだが、確かに自分はヴィクトルを知っているようで知らない。
知りたいと願っても、相手がなかなか心の内を明かしてくれないので、自分で観察したヴィクトル像を常に視界に映すことしかできないのだ。

「ごめん……気を悪くさせるつもりはなくて」
「うん?」
「あの……僕、ちょっと散歩してくるから!」

こじんまりとしたホテルの部屋を慌ただしく飛び出した勇利は、どこへ行くアテもなく閉じたドアに背を預け、ズルズルと床に座り込む。
知っているようで知らない、知らないから知りたい、他人と接する時、どこまで心の中に踏み込んでいいのかがよく分からない。
それは相手がヴィクトルであっても同じで、こちらの心に踏み入って欲しくないからこそ、尚のこと踏み込みにくい。

「おっと、どうしたの?」

頭上の声に顔を上げれば、JJが1人で立っていることに気付いた。
噂をすれば何とやらで、ここはグランプリファイナルの選手の宿舎となっているホテルなのだから、本人がタイムリーに出現してもおかしくはない。

「いえ、何でもないです……」
「何でもないって顔じゃないだろ?俺でよければ、話聞くけど?」

この人なら、ちゃんと答えてくれるのだろうか。
人との軋轢を全く怖れる素振りを見せず、ただひたすら自分という個性を周囲にアピールしまくるJJに、勇利の弱々しい思考が理解できるのだろうか。

「何か悩んでる?」
「まあ……ちょっと、人間関係で……」
「おっと、人間関係なら、とりあえず笑っておけば万事オッケー!」
「そういうもの、ですかね?」
「そういうものだ!それがJJスターイル!!!」

そう言ってクルリと身体を1回転させ、いつもの決めポーズを見せてくれるJJは、氷上で見る彼そのものだ。
氷を下りても下りなくても、彼はこうして生きてきたのかもしれない。

「あ……ヴィクトルと似てる……?」
「What?」
「ヴィクトルも、どこでも自信満々で、JJと同じだなって……」
「否定はしないよ。彼がこのJJにだけ塩対応なのは、案外同族嫌悪ってヤツなんじゃないのかな?」

それでもJJは笑っている。
誰に嫌われようとも自分を貫くスタイルに変わりはないとすら言ってのけている。
道理で強いはずだと勇利は膝を抱えたまま小さく笑うが、次の瞬間背を預けていたドアが内側に開かれ、体勢を崩して仰向けに寝転がってしまった。

「うるさいんだけど?」
「Wow、ヴィクトル!この子犬ちゃんが哀しそうな顔をしてたんで、ちょっとエンターテインメントを提供していたのさ!」
「余計なお世話だ。さっさと部屋へ帰ってくれ」

そこでJJもヴィクトルの怜悧な視線に晒され、ようやく勇利の不安の正体を理解した。
なるほど、この子犬ちゃんはきっとヴィクトルを不機嫌にさせるようなことをしでかしたのだろう。
そして出かけようにも出かけられず、部屋の前で佇むことしかできなかったということで間違いない。

「Hey、子犬ちゃん!不安になったらいつでもこのJJがお相手するよ!」

またもやヴィクトルの冷たい視線を感じるが、これだけ挑発しておけば彼の怒りは勇利ではなく自分に向けられるはずだ。
悪役はあまり得意ではないし、そんな役回りを引き受ける義理もないが、リビングレジェンドがヘソを曲げれば、勝生勇利はリンク上で実力を余すことなく発揮できないだろう。
メンタルの弱さではかなり有名な選手だからこそ、盤石のコンディションで戦いたかった。






「まったく、勇利、出かけないならどうして部屋を出たの?」
「……ごめんね、ヴィクトル」
「なぜ謝る?」
「僕、ヴィクトルのことちゃんと知らないのに、知ったような口利いたから……ヴィクトルも、僕のこと知ってるようで知らないし、おあいこなのにね」

本当に今日の勇利は何度ヴィクトルの心の地雷を踏めば気が済むのだろう。
勇利がヴィクトルのことを知らないのは、ある意味当たり前のことだ。
これまでコーチとして接してきたから、プライベートについては意識して話題にしないよう努めてきた。
だがずっと知らせないままでいるつもりもなく、グランプリファイナルが終わったら色んなことを話したいと考えている。
ならばヴィクトルも勇利のことを知らないのかと問われると、それは違うと断言できる。
コーチに就任してからというもの、勇利についての情報を色んな人からもらってきた。
その情報を念頭に置きながら常に勇利と接していたのだから、それなりの知識はあるつもりだ。
とはいえ、今覚えている怒りの原因は、あろうことか勇利がJJに慰められていたことだ。

「勇利を泣かせるのも笑わせるのも、悦ばせるのも悲しませるのも、全部俺」
「へ……?」
「他の男がどんなに頑張ったって、勇利は心底安らげない。俺でなきゃだめなんだ」
「は?何言ってるの……?」

とりあえず冗談を口にしている訳ではなさそうで、勇利としてもヴィクトルの真意が掴めない。

「勇利は俺だけ見てればいいってことだよ。さ、部屋に戻っておいで」

ズルズルと勇利の身体を室内に引きずり込んだところで、ヴィクトルはまだ床に仰向けになったばかりの教え子の双眸を上から覗き込んだ。
この漆黒の瞳に映るのは自分だけであり続けたいと願うようになったのは、いつの頃からだろうか。
性別など関係なく、ひたすら惹かれて恋に落ちたと自覚したのは、随分昔のことのように感じる。

「ねぇ、勇利?キミは俺だけを見ていて」
「あ、うん……」
「約束だよ?」

約束を忘れるのは得意中の得意だが、勇利と交わした約束については絶対に忘れたりはしない。
なぜなら、今ヴィクトルは昔酒の席で請われた通り、勇利のコーチをしているのだから。





(終わり)

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