最遊記

□空白を埋める紅
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沙悟浄に拾われてから、早数月。
 腹部に負った傷は跡を残して完全に塞がり食事にも事欠かなくなった。
衰弱しきった身体は未だ休養を必要としているけれども。
横になったベッドの上。八戒はゆっくりと上体を起こし軽い眩暈を深呼吸で散らして申し訳程度に開かれた窓の外へと視線を移す。
 季節は8月。
 熱を孕んだ風。陽光を乱反射した木々の葉。ざわりざわりと鼓膜をくすぐる協奏曲は謳歌する夏を祝福せんが如く華やかに響き渡る。
 瞳を射る瑞々しさから八戒はゆっくりと視線を室内に戻した。
途端に視界を染める、白。
なにを飾るでもなく剥き出しにされた壁。所々にこびりつく染みの淡い陰影だけが色彩の乏しい空間になけなしの生活感を与えている。その染みだとて大半は煙草の煙により煤けたものだ。
「どれだけヘビースモーカーなんでしょうねぇ」
洩れる苦笑。
あの、雨の日。
己を拾った青年は全身に紅を纏っていた。
そう…まるで、己を戒めるような、その色彩。
「ふふっ…まるで、貴女とは、正反対ですね」
しゃべりながら八戒は手元の薔薇へと目線を落とす。
真っ白に染め抜かれたような白薔薇。
先刻、八戒は、悟浄に、この薔薇を買ってきてもらった。
花弁に触れるとそれは指に吸いつくようにしっとりとしていて彼女の肌の質感を思い出す。
刺に触ると吸い込まれるようにプツリと指に突き刺さった。
引き抜くと滲み出る、紅。
その一滴を花弁へと垂らすと弾かれるようにブランケットの上へと落ちた。
白い白い部屋の中でその紅だけが異質なまでの存在感を示し……。
「許してくれますか?ねぇ、花喃」
薔薇に語りかけながら八戒は再度窓の外へと視線を戻す。
「好きになってしまったんです、あの人を」
子供たちと戯れるように水遊びをする悟浄を眩しそうに目を細めて眺める。
「琥珀が降り注ぐとある午後のことでした。あの人は降り注ぐ光の中でとても綺麗で。優しくて。……そして、僕を叱ってくれた。『オレの色は血でも鎖でもない。オマエを縛り付けるものなんかじゃない。オマエはもう自由に生きていいんだ』……って。笑っちゃいますよね。僕は重罪人で名前まで変えさせられたって言うのに。その様子があまりに必死で。まるで置いていかれそうな子供のように見えたものだから……」
愛おしい、と思っちゃったんですよ。
しゃべり終えた八戒は少し疲れたような様相を呈す。
 「貴女のことは忘れません。……絶対に」
 もう一度、薔薇の花弁に血を垂らすと、今度は芯の方へと滑り落ちていった。
 「ありがとう、花喃。どうか天国では幸せに……」
 八戒は窓の隙間から空へと向けて薔薇を放り。
 薔薇は花弁を散らしながら天へと吸い込まれていった。
 「さて…と。僕もそろそろ外に出る準備をしましょうかね」
 ひっそりと呟き。
 おぼつかない足取りで八戒は窓へと歩み寄る。
 そして、未だ子供たちと戯れている悟浄に向け叫んだ。
 「悟浄っ、すみませんが、今度は紅い薔薇を買ってきては下さいませんか?」

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