記念story

□I will make you happy.
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「ーー紡さん、コーヒー入りましたよ」
「あ?ああ」

先ほどから落ち着かない様子でリビングをウロウロとしている紡さんに知らせる。
私の声になんとなく、といった感じで返事をし、椅子を引いて腰掛ける。
ゆらゆらと湯気を立てるマグカップに手を添えながら、目線は掛け時計に向けられ、その様子はソワソワしているように見受けられた。

「あの、そんなに何度も時計を見なくても、まだ三時間くらい時間はありますよ?」
「わ、分かっとるわ!別に緊張してソワソワしてる訳やないからな」

俗に“ツンデレ”と言われる態度に、ふっと笑いが漏れる。
そんな紡さんを見ていると、今朝の四季編集部でのやりとりが思い出されたーー。



***



「はぁ…。四季の紅一点の名無しさんさんもとうとうお嫁に行っちゃうんだね…」
「しかも、相手がまさかつむとはな」

出勤するなり、早川先輩と湊先輩はどこか浮かない顔をしながら話し出した。

「名無しさん先輩の幸せとは言え、正直複雑ですね」
「これからは“名無しさん”じゃなくて、城戸って呼ぶのはなんか変な感じがするな」
「桐島先輩、それなんか複雑さが倍増する気がします」

それに便乗するように、千晶くんと桐島くんもポツリと話し出した。

「おいおい、お前ら仲間の幸せを祝う顔じゃないぞ。おめでとうくらいサラッと言えないのか」

呆れたような声色でパンパンと手を叩きながら話すのは、編集長。

「何言ってるんですか。そんな事言って、編集長も結構複雑な顔してたじゃないですか」
「そうそう、さっき休憩スペースで“
名無しさんもとうとう嫁に行くのか…”って、哀愁たっぷりに呟いてましたよねー」
「なっ、俺は別に名無しさんの結婚を心から祝福しているぞ。まぁ、その、なんだ。ある意味巣立っていく、という事では寂しさがないという訳でもないが…」

からかい口調で言う早川先輩の言葉に、いつもならばキッとした目付きで怒号のような声で“仕事に戻れ”と言い放つ編集長も、珍しくほんのり頬を赤く染めながらはっきりとしない口調で呟いた。

「まぁ、何はともあれ、つむつむ、名無しさんさん、おめでとう!」
「えへへ、ありがとうございます!お先に…幸せにならせていただきます!」
「ほんと、先輩差し置いて礼儀のなってねー後輩だぜ。…つむ、ぜってー幸せにしろよ」
「…大河内さんに言われると癪ですね。そんな事言われるまでもなく、です」

ポン、と紡さんの肩に手を置いて言う湊先輩に、紡さんは一瞬ムッとした表情を浮かべながらも、すぐさまいつものように勝ち気な表情を見せ、キッパリと言い放った。

(…皆の前ではあんまりそんな事言ってくれないのに…)

湊先輩に頭をぐしゃぐしゃと撫でられたり、早川先輩に後ろから抱き付かれたりしている紡さんは、やめろと口では言いつつも、その表情はどこか気恥ずかしそうで嬉しそうだったーー。



***



「ーー何をニヤニヤしてんねん」
「いだひっ!」


不意に頬に痛みを感じた事で我にかえれば、紡さんはテーブルを乗り出して私の頬を両手で引っ張っていた。

「い、痛いですよ、もう…」
「アンタがニヤニヤしてんのが悪い」
「幸せを感じてニヤつく事の何が悪いんですか」
「そのニヤつきにはなんか邪悪なもんを感じるんや」
「し、失礼ですね!ただ…今の紡さんと違って、昼間の紡さんってすごく堂々と“幸せにする”って言ってくれたなぁと思いまして」

漏れる笑いを口元に手を当てて隠す。
すると、紡さんは私の額に一発のデコピンを食らわせてドスンと勢い付けて腰を下ろした。

「だから痛いです!もう、暴力反対ですよ!」
「今のが暴力て言うんやったら、アンタのは言葉の暴力や。いつもそうやって意地悪な顔していたいけなオレの心を辱しめて…」
「誰がいたいけなんですか、誰が」
「そもそもオレは“幸せにする”とは言うてへん。大河内さんが勝手に口に出しただけや」

いつまでもツンケンしている紡さんに、ここでまたひとつイタズラ心に火が着く。

「じゃあ…、幸せにしてくれないんですか…?」

俯きながら上目遣いで紡さんを見つめれば…。

「っ…、するに決まってるやろ、アホか」
「ーーふふふっ」
「…なんや、手のひらで転がされてる気分や」
「紡さんと暮らしていく為に身に付けた防衛術ですよ」

目の前で頬を赤く染めながら視線を逸らす紡さんがいとおしく思え、存分にその姿を脳裏に焼き付けた。

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