パラレル短編
□媚薬の唇
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俺とナナシの出会いは、細かく話すまでもなくありふれていてくだらない。
気に入った酒場の従業員だったナナシが俺に目をつけ、ちょっかいを出されるようになってから、いつの間にやら俺が惚れてしまっていた、というだけだ。
ナナシは、掴み所のない女だった。
飄々として涼しい顔を崩さず、人をからかって遊ぶのが好きだ。ジョーク、というより戯言を好むこいつは、息をするように嘘を吐く。
「ねぇ、いい加減その仏頂面どうにかしなさいよ。もうその眉間の怒り皺、戻らないかもよ?」
「うるせぇ、お前こそその虚言癖どうにかしろ。ペラペラ意味のねぇ嘘ばかり言いやがって」
「ジョークがわからないなんてセンスの無さが光るわね、スモーカー! そういうカタブツっぽいところは大好きよ」
カウンターに肘をついてこちらを見る様は色気がある。心底楽しそうに弧を描く唇は、大人しい赤色のグロスでぷるりと潤っている。
一瞬それに目が釘付けになり、無理やり視線を外す。バレてやしないかとヒヤッとした。
「⋯⋯なに言ってんだ、ジョークどころか戯言じゃねぇか」
「真っ赤になって言われても」
「なっ⁉」
「あっははは! 嘘よ、嘘! 赤くなんてなって、あっ今度はホントに赤いかも?」
散々からかわれたこちらが威圧すれば、あざとい微笑みで許しを乞い、自分の持つ女としての魅力を最大限発揮する。
今もそう、苛立ちのままに睨み付ければ、ナナシは困ったように微笑んで小首を傾げた。
「もう、そんなに気に入らなかったの? 怒らないでスモーカー。ちゃんと謝るから、許して?」
お願い、と柔い猫なで声で懇願されれば、それ以上声色を尖らせることはできなかった。
いつもこうだ。
こいつに甘い声で何かを言われたらその通りにせざるを得なくなる。惚れた弱みと言うべきか、こいつが男の琴線を熟知しているのか、前者でないことを祈るばかりだ。
毎回毎回軽くあしらわれてつつかれる身としては、正直かなり、物凄く、面白くない。
ため息をついても、その音を拾ったナナシがこちらをからかう材料に変えてしまう。
そんなに俺をおちょくるのが楽しいか問うと、蠱惑的な唇はいつもたった一つの答えを言う。
「とっても楽しい」
無邪気さすら感じさせる、タチの悪い微笑みで。