太陽に焦がれた人魚の話
□地上を行く人魚
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そのくらいになってようやく、私は人攫いに遭遇したことを理解した。
口と鼻に押し付けられる布には、嗅がずとも確実に薬品が仕込まれていると確信を持った。
私は咄嗟に息を止めて暴れた。だけど体を掴む手はとても力強く、どうしても逃げられそうにない。
気絶したフリをして不意打ちできるかも───!
「んっ、ん〜⋯⋯っ」
目を閉じて全身からくたりと力を抜くと、手に込められた力がふっと弱まった。
首を後ろに倒すと、抱き寄せられて後頭部を持たれる。
「上玉だな⋯⋯高く売れそうだ」
下卑た声が酒の匂いと共に漏らされる。ものすごく気持ち悪い。
湧き上がる不快感に任せ、私は任せて尾ひれを振り上げた。
幸いシャボン玉は割れていなかったので、振り上げた尾ひれに合わせ、体はぐるんっと逆さまに浮き上がった。
「な⋯⋯っ!」
目を見開く髭面に、水中で鍛えたヒレの一撃をお見舞いする。
びたんっ! とヒレを叩きつけられた頭は壁にぶつかり、ずるずると地面に落ちていった。
その様子をしっかり確認する前に急いでその場から逃げ出し、人の多い道を選んで進んだ。
耳の奥がばくばくとうるさい。手首がジリジリと焼けるように疼いていた。
服の裾を捲ると、掴まれた手に赤い痕が付いている。ちょうど、火傷みたいな症状だ。
さっきは緊張していたおかげで気付かなかったみたい。あの人、そんなに強く握りしめていたんだろうか。
だけど、例えきつく掴んでいたとしてもこんな火傷みたいになるかな⋯⋯?
いや、考えるのは後ででもいい。
とにかく今は海に逃げよう。海なら追いかけられる心配もない。
もし追いかけられたとしても、海底に逃げ込めばこっちのものだし、そもそも人間では私たちのスピードに追いつけないから。
こうして私は海に飛び込み、ごぼごぼとやかましくも聞き慣れた音を立てて、新たな島へと泳ぎ出した。