dream

□Prototype
2ページ/3ページ



 男の火傷は顔だけではなかった。
 肩や腕にも大きな火傷の痕があって、再生治療でさえ消すことの出来なかったそれを細い指でそっとなぞりながら、彼女が呟く。
「……ねぇ」
「ん?」
 ベッドの中で男が短く訊き返す。
「一体どんな戦闘をすればこんな怪我をするの?」
「…君は、そんなことを知る必要はない」
 後頭部に回した腕で、髪を撫でながら言ってやる。彼女は、黙って撫でられたまま言った。
「パイロット…って言ったわよね? 乗っていた機体は…」
「…大破した。中にいた私が助かったのは奇跡だ」
「そう……」
 なんだろう。そんなことが…前にもあったような…。
「どうかしたか?」
 くすっと笑って彼女は言った。
「それでもまだパイロットを続けるなんて、あなた、いつか本当に死んじゃうわよん?」
「心配するな。私は君を置いて死んだりはしない」
「グラハム…」
 こちらを見つめてくる彼女にそっと口づけて、もう一度その綺麗な身体に触れる。
 何度身体を重ねても、彼女は愛しているとは言ってくれなかった。
 それでもいいと思った。
 自分の愛を受け入れてくれるのなら。
 否、受け入れざるを得ない状況に追い込んだのは、自分だ。
 何も覚えていなかった彼女に、自分を頼らざるを得ないような情報を与えて、家に閉じ込めた。
 強引なことはしなかった。行き場のない彼女に優しくして、時間をかけて寄り添い、信頼させて、想いを伝えたら自然とこうなった。
 なんという…。卑怯な人間なのだろう。
 記憶をなくす前の彼女に、他に愛している男がいたことを知りながら…。
 それでも、この三年間。幸せだった。
 毎日家でたわいない会話をして、たまに一緒に夕飯を作ったり、映画を観たり。
 贈り物を買って帰ったこともあったが、高価なものを買い与えるより、些細なものでも彼自身の手が加わった物の方を喜んでくれた。
 家族ができたような…気がした。
 家族のいない彼にとって、それは慣れない暖かさで、それでも確かに欲しかった暖かさで。
 ずっと戦いに明け暮れていた心が、ほどけていくようだった。
 そして、それは自分だけの物だった。
 今の彼女は自分しか見ていない。
 ずっと家にいて、彼が望むことは何でもしてくれる。何でもさせてくれる。
 何より…彼の眼を見て笑いかけてくれる。
 あれほど渇望していた彼女の笑顔を自分が独占している。
 そのことが…どうしようもなく幸せだった。
 本当に……。自分は最低の人間だ。





 退院後、意外にも弟はしばらく兄と一緒に住んでもいいと言い出した。あれほど自分と関わることを嫌っていた弟がそんなことを言い出したことにも驚いたが、弟がしっかり自分の顔を見て会話をしてくれることに、もっと驚いた。
 こんなこと…今までなかった。
「だって兄さん、行くとこないだろ?」
 笑いながら聞いてくる弟に、同じように笑いながら返す。
「なんでそう思う? 俺だって前に住んでた家があるかもしれないだろ。仕事だって…」
「ないね。あったとしても、もう四年近く戻ってないんだ。とっくにどっちも契約切れさ」
 楽しそうに話す弟を恨めしそうに見ながら、男は言った。
「…優しい弟をもって幸せ者だよ、俺は」
 楽しそうな笑い声が上がる。
 弟にとって、もはやこの兄と一緒に住むことにはなんの抵抗もなかった。
 むしろ、あの兄さんが自分を頼っているというこの状況が…心地よかった。
「まぁ、兄さんが今、頼れるのは俺しかいないってのは、とっくにわかってたけど」
「?」
「見舞いに来たやつが、三年間で一人しかいなかったから、さ。あり得ねぇだろ? 普通に暮らしてたら、そんなこと」
 ああ。なるほど…な。
 胸中呟いてから、男は思った。
 一人…誰だ?
「どんな奴だった?」
「え? ああ。定期的に何度も来てくれてたから良く覚えてるよ。…眼鏡をかけた少し髪が長めの男だ。女だったら間違いなく一級品の美人さんだな」
 ティエリア……。ならばCBは、組織はまだ存在している。ニュースでは壊滅したと流れていたそうだが。
 まだ活動しているのならば…俺は。
「ライル。話がある」
 切り出したのは、一緒に住み始めてひと月ほど経った時だった。
「……行くのか?」
 察したような弟の声に、静かに答える。
「ああ…」
 先日、訪ねてきてくれたティエリアと話した。当然すぐに復帰する意思を伝えたが、身体の具合を心配してくれて、復帰するのは調子が戻ってからでいいからと、連絡先を渡してくれた。
「そっか…。て、言いたいとこだけどなぁ…兄さん」
「……まぁ、言いたいこともあるだろうな。今までお前、一度も俺に言いたいこと言ったことなかったし」
「言う必要…ないと思ってた。わざわざんなこと言うくらいなら…一緒にいなきゃいい」
 苦笑して肩をすくめながら、兄が軽く訊く。
「それで? どうだった? 一緒に住んでみて」
「言いたいことがすげぇ溜まってる。でも今俺が言いたいのは…」
 兄は、軽く笑った。
「言えよ。多分もう、俺も今聞かなきゃ一生聞いてやれねぇ…」
 その穏やかな物言いに、爆発するように弟が叫んだ。
「なんでそうやってわけのわかんない生活してんだよアンタは…ッ!!」
 兄に怒鳴ったのは…本当に小さな子供の時以来だった。
 今まで、全てから逃げていた。喧嘩することも怒鳴りあうことも深く語り合うこともせず。ごくたまに会っても、ただ上辺だけを掬い上げるような当たり障りのない会話をして、適当にお互い作った笑顔で仲良く話して。なんて心のない…関係。
 でもこの一ヶ月。本当に楽しかった。
 休日に一緒に日用品や食料品を買いに行ったり、外食したり。並んで街を歩いて、すれ違う人から双子だと騒がれても二人で笑っていられた。
 そしてたくさん話した。
 お互い知らない学生時代の話や、趣味の話、世間話…。全く交わらない道を同じ年数だけ生きてきて、こんなに深く話したのは初めてだった。
 やっと普通の兄弟になれた気がした。
 それもそのはず。ここには兄と弟以外の人間が…二人を同時に見て比べることの出来る第三者が存在しなかったのだから。
 しかも兄は自分の言うことは何でも聞いてくれた。
 何も言わず、弟の金で物を買い、弟の家で生活して家事を引き受けてくれた。
 でも、本当は知っていた。
 兄が弟のわがままを全部聞いてくれたのは、弟のプライドを傷つけないためだ。自分の所為で迷惑をかけてしまった弟のために、黙って庇護される立場になってくれていただけだ。
 ああ、そうだ。わかっていた。そんなことをしてくれるのは、すぐにまたいなくなってしまうからで、せめてその前に借りを少しでも返そうとしたからだ。
 結局、どうあっても兄さんは兄さんで自分は弟のままで…!
 幸せな気持ちと苛立ちが化学反応を起こし、わけのわからない感情を生み出していた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ