someday

□青空の下で
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ピチチチチ―――







『カプチーノ・キアロ一つ。……それと』


朝というには些か遅く、かといって昼というにはまだまだ早い。

そんな時間帯の街の広場にはサアサアという噴水の音と人の声や靴音がBGMとなり辺りを包み込む。

広場にこの時間だけ出ている出店の前。

銀ボタンの付いたローズクロスを胸に掲げるロングコートを纏うユナはそこにいた。

メニューに落とされていた視線はすいと斜め前へと移動し、彼女はすんなりと出てきたドリンク名の後に続く言葉を探す。

いくつもの小さめのバスケットの中には焼きたてなのであろう、ツヤツヤと美味しそうな輝きを持ち食欲を擽る香り放つパンが並べられていた。

さっくりと焼き上げられたクロワッサンに、焼き目の綺麗なガレット・デ・ロワ。

半月型のショソン・オ・ポムは甘い香りを放ち、バタールやバケットは小麦の香ばしさを漂わせている。

どれもこれも魅力的で思わず悩んでしまう程だ。

幸いにして後ろに並んでいる人はいなかったがいつまでも迷っている訳にもいかない。

肩に乗せたティムがゆらゆらと尻尾を揺らしているのを視界の片隅に捕らえながらユナがそう思案していると


「コーヒー。ブラックでな」


すっと、突然頭の横から伸びてきた腕。

その黒いコートは見覚えのある、正確には自分が着ているものとそう大差のない服だった。

予想もしていなかったその声と手に不覚にもぴくりと小さく肩を揺らしながらもユナはゆっくりと背後を振り返る。

今し方のテノールボイスは正直聞き慣れたものに違いなく、勘違いでなければ彼のもの以外にはありえない。

視線を後ろへと向ければ案の定。

想像通りの人物が飄々とした顔で立っていた。


「ああ、あとその“ショソン・オ・ポム”と“エンダイブと卵サラダのクロワッサンサンド”も頼む」


ユナの視線を気にもせず彼女の言葉と被せるように注文をしたのはクロス・マリアン。

何故ここにいるのかと言いたげに軽く瞬きを繰り返すユナに気づいたのか、クロスはふっと片頬を持ち上げ彼女へと紅の目を向ける。


「こんな所で朝飯か? ユナ」

『ええ。今朝はそんな気分になったから』

「なら、オレも同伴させてもらおうか」


初めからそのつもりだったのだろう。

注文してからそれ程待たずして出てきた二人分の品に対してクロスが至極当然とユナの分も含め代金を支払った。

そして紙袋に入れられたパンとドリンク2つを持ちさっさと歩き出してしまう。

あまりに一連の流れが自然すぎて呆然としていると


「ほら、行くぞユナ」


少し進んだ所で首半分だけ振り返ったクロスがにやりと口の端に笑みを浮かべ彼女を促した。

それに遅れユナは急ぐでもなく、けれど微かにヒールの音を響かす早足でクロスの後を追いかける。

人混みが多いわけではないがこの広い広場ではぐれればそう簡単に合流するのは難しいだろう。

とはいえ、はぐれたらはぐれたらで各々自分で宿に戻れば良い訳で。

それにはぐれてもユナのイノセンスを使えば探し人は容易に見付かりもする。

けれど、そんな勝手なクロスの行動に不満の声を上げ反抗するでもなくユナは目立つ紅の髪をその目に捕らえたまま歩調をゆるめはしない。

クロスの気まぐれな行動に彼女は今はもう飽きれを通り越し慣れつつある。

それに対して喜ぶべきなのか悲しむべきなのかは考えない方が良いのだろう。

早足で歩いていたからか、クロスがいつもよりゆっくりな歩調で歩いていたからなのか。

きっとその両方が作用してすぐにクロスに追いついたユナ。

隣に並んだユナの姿に彼は機嫌が良さそうにそっと人知れず口元を緩めた。


「この辺で良いか」

『ええ』


適当に噴水近くのベンチに腰掛けたクロスはユナが頼んだカプチーノを渡す。

同じベンチに座ったユナがそれを受け取り紙コップを包むように持てば、やや冷えた指先からじんわりと温もりが染み渡ってきた。


「おら」

『え?』


それに続いてクロスが差し出さしてきたのは先ほど一緒に買ったショソン・オ・ポム。

そういえば自分のパンを頼まずに会計を済ませてしまっていたが、短い時間でクロスはちゃんとユナの好む系統のパンを買っていた様だ。

差し出されたそれに一瞬どういうことかと短い間じっとパンを見詰めるも、彼はどうやら食えと言いたいらしい。

もともと朝食目的で先ほどの店に寄った訳でお腹が空いているのは事実で。

そして折角の好意を無下にしてしまうのも申し訳ないというもの。

ユナは礼を言って素直にそれを受け取った。

クロワッサンを食べるクロスの横で彼女がショソン・オ・ポムを一口噛めば、サクリとした生地の間から現れたリンゴの果肉と果汁がジュワリと口内に広がり爽やかな香りが鼻を抜ける。

程良い酸味と甘み。

しつこくないそれはとても美味しく、微かとはいえ自然と頬が緩んだ。

暫くその焼きたてのパンに舌鼓を打っていると


「取りあえずは寝れたみてぇだな、ユナ」


いつから見ていたというのか。

ユナの顔をじっと見詰めていたクロスがそんな事を言った。

急に何の話題だと思考を巡らせれば、辿り着く昨夜のやり取り。

食べかけのパンを下ろし、ユナは苦笑混じりに口を開く。


『そうね……、少しは寝れたと思うわ』

「少し、か。だがまあ、昨日よか顔色は良いか」

『……ありがとう。あなたの“命令”と、貸してくれた“ティム”のお陰ね』


肩から焦げ茶色の頭の上に定位置を変えたティムを片手でそっと包み込み、ユナはティム自身にもお礼を言った。



この間まではベットメーキングの必要が殆どない位にシーツに皺一つ作らず、そもそもベットそのものを使って寝ていなかった

窓辺のイスに腰掛け夜闇に包まれる窓の外を何を思うでもなく眺める日々

睡魔が襲ってこないわけではないけれど

でもそれが、その時の自分にとって寝るよりも楽だった

肉体的ではなく精神的な意味で

けれど

表に現れた肉体的な変化を指摘され、自らも承諾した勝負に負けて言われた通りに寝ようと一応その努力をしてみたのが昨夜の事

使っていなかったのは2・3日だけだったとはいえ、久しぶりにベットに潜り込むのは不思議な感じがするもので

とはいえ、意識せずともやはり悪夢の様な囁きや惨劇が脳裏に浮かび上がり瞼を閉じるのが躊躇われる

子供でもないのに夢に脅えるみたいなこんな無様な姿はなんて滑稽なのだろうと自嘲の笑みすら浮かんだ

しんと静まり返った暗がり包む部屋

月明かりがそっと差し込むだけの静寂

耳鳴りの様に響く呪詛は赤く染まった少女の口から繰り返され


『っ』


知らぬうちにギュッとシーツを握りしめる



だがその時




“ポロン―――”




不意に枕元の方からが聞こえ始めた小さなメロディ

部屋には音楽を奏でる物など無かった筈だというのに一体何だというのか

ハッとし顔を上げれば、そこには一緒に寝るようにと預かったティムの姿が

しかも枕元にいるティムからその曲は聞こえてくるではないか

『……ティム?』と、不思議そうに囁くように呼びかければ肯定するみたいにぺたんと一回だけ尻尾を振った金色のゴーレム

その仕草が可愛らしく

そして

耳に流れ込む音は心地よくて段々と落ち着いてくる

先ほどまでの這い上がってくるような嫌な不快感が消えていく

そうすれば強張っていたユナの表情は穏やかになり、徐々に浸食してくる睡魔という波

精神が眠ることを拒否しても肉体は睡眠を欲していたらしく、一度その波に捕まってしまえばあがらうことは不可能だった

寝返りを打ち体を横にして枕元にいたティムにそっと手を乗せたユナは、お休みと囁くように口にして瞼を閉じる

今までは眠ることに抵抗していたけれど、今なら不安を感じずに眠れそうな気がした


ポロンポロンと優しく届くメロディに

彼女が予感したようにその日は夢も見ずに眠れたのだった―――







『それにしても、ティムにはオルゴール機能もあっただなんて知らなかったわ』

「ふ、あって困る機能じゃなかっただろ? 現に役に立った訳だしな」

『そんな遊び心を内蔵させるなんて、貴方にしてはロマンチックな一面もあるのね』

「俺が現実主義者だと思ってたのか? お望みとあらば、んなもん比べもんにならねぇくらいのムードも作ってやれるがな」


「試してみるか?」と、にやりと笑って自信ありげな視線を寄越してくる男。

彼が言うからには言葉通りの物を、否、それ以上の物を本当に作ってしまうのだろう。

そんな言葉を言われれば胸を高鳴らせるのが普通なのかもしれないが


『折角のムードも予告されたものだと分かっていては、その効力も半減してしまうものではなくて?』

「くく、確かにな。なら、お前が忘れた頃にでも作るか」


ついと微かに目を細め口元に不敵にも見えなくもない笑みを僅かに浮かべたユナ。

その涼やかな声で返された答えにクロスは咽を慣らして笑った。

どうやら体調だけでなくユナの纏う雰囲気もいつも通りに戻りつつあるらしい。

ファインダーは深くまで気づいていなかったこの間までの何処かぼんやりとしたユナの空気も消えつつある。















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