紅の神子

□第一章 邪眼の王子
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 まあこの状況で怖がるなと言っても無理か。

 自分たちがどこにいるのかもわからない。

 これからどうなるのかもわからないのだ。

 そんな状態で怖がるなと言っても無理だろう。

「とにかく森は危険だ。すぐに抜けた方がいい」

「でも、兄さん。ボクら土地勘ないんだよ? 出口がわかるかどうか」

 尤もである。

 それでもここにいたら、いつ獣に襲われるかもしれない。

 こんなに深い森なら猪や熊が出ても不思議はないし。

「俺の勘がいいの知ってるだろ? ここは俺に任せてくれよ。絶対に出口まで辿り着けるから」

「わかったよ」

 暁は苦笑いで頷いた。

 本当は怖いのだろうに。

「ほら」

 何気なく手を差し出す。

 暁がキョトンとしたように、差し出された手を眺めている。

「はぐれたら大変だからな。手を握っててやるよ」

 そう言うと暁は赤くなりながら、おずおずといった感じで透の手を握った。

 おずおずと握ったはずなのに、やけにしっかり握ってくるな。

「おい。いくらなんでも指を絡ませるなよ。おまえは女の子か?」

 恋人がするような握り方にさすがに呆れる。

「しっかり握ってる方がはぐれないでしょ?」

 そう言われ言い返せないものの、なんだか釈然としない。

 取り敢えず気にしても仕方がないので、第六感がこちらだと導く方へ進んでみる。

 透は昔から勘がよかった。

 勘の良さだけなら、だれにも負けないほど。

 失せ物を見つけるのはいつも透だったし、迷子になった暁を見つけるのも両親ではなく透だった。

(あー。そういえば暁がまだ幼稚園にも行っていない頃、暁が初めて迷子になったことがあったな)

 あの頃は透も子供で両親は家で待機させようとしたが、暁が心配で両親が捜しに行っている隙に透も捜しに行ったのだ。

 程なくして暁は簡単に見つかった。

 普通なら見付けられないような場所に迷い込んでいたのだが、透が見つけると途端に泣き出した。

『にいちゃ……』

『ああ。もうなくな。こうしてむかえにきただろ? さあ。おうちにかえろ』

『にいちゃ……すごいね。よくあきらをみつけてくれたね。にいちゃ、すごい』

 暁は繰り返し繰り返し「すごい」を連発していた。

 今思えばあれからだ。

 暁の透に対する執着がすごくなったのは。

 それまでも「にいちゃ、まって、にいちゃ」と後を追いかけて回る弟だったが、あのときから暁は本当に透しか見ないようになった。

 そうしてその直後から透に自分以外のだれかが近づくのを嫌うようになったのだった。

 気配り上手でだれのことも気遣える性格のはずの暁だが、何故か透に近付く者(異性、同性の区別なく)に対しては目一杯威嚇している。

 まるで母猫が子猫に近づいてくるものを警戒するように。

 そんな暁に困りはするものの、透は別に起ころとは思わなかった。

 グルルル。

 どのくらい歩いただろうか。

 突然そんな声がした。

 暁が怯えたように強く手を握ってくる。

 弟を庇おうと透は暁を腕の中に抱いた。

 いつもの暁なら顔を赤く染めているところなのだろうが、今は恐怖の方が強いのか、透にしがみついていた。

 茂みが揺れる。

 そこからのっそり姿を現したのは透には犬に見えた。

「犬?」

 ポカンと呟く。

 いや、まあ犬だってこんなところで出くわしたら、十分、危険ではあるのだろうが。

「兄さんっ。あれ、犬じゃないよっ」

「は? ……言われてみれば犬とはどこか違うような……」

「狼だよっ!! ボク、図鑑で見たもんっ!!」

「狼っ!? なんだってそんな絶滅種がいるんだよっ!?」

 暁はガタガタと震えている。

 犬なら木の棒でもあれば追っ払えたかもしれないが、さすがに狼ではそうもいかないだろう。

 食べられてしまう可能性も、想像したくはないがある。

 狼はそれほど腹が減っていないのか、のっそりのっそり近づいてくる。

 だが、見逃してくれる気もないのだろう。

 その獰猛な眼は腹は減ってないけどまあ食べるか、と言っているように見えた。

 狼が小さな暁に向かってまずその牙を向ける。

「やだっ。怖いっ」

 暁が透の胸に顔を埋める。

 その瞬間、透は叫んでいた。

「やめろっ。くるなあああああ!!」

 透がそう叫んだ瞬間、透を中心に途方もない風が吹いた。

「兄さん?」

 暁が見上げてくる。

 爆発にも似た爆風の中、狼が「ギャンッ」と声をあげて、一目散に逃げていく。

 その身体はなにかで切り裂かれたように傷だらけだった。

「へ?」

 透がポカンと呟く。

「兄さん、眼……」

「眼がどうしたって?」

「……真紅、だよ?」

「え……」

 片手で目を押さえる。

 しかし戸惑っている暇はなかった。

 今の騒動が呼んだのか。それともさっきの狼が血を流したせいなのか。

 次から次へと狼が姿を現しはじめた。

 ふたりは思わずひきつる。

「なにボーッと突っ立ってるっ!! さっさと逃げろっ!!」

 そんな声がしてマント姿の人物が現れると、颯爽と狼に斬りかかった。

 その手には映画でしか見ないような剣が握られている。

 しかし多勢に無勢だった。

 次第に圧されていく。

 一際大きな狼に飛びかかられ、その人物が押し倒される。

 その喉元に狼が食いつこうとしたとき、透はまた叫んでいた。

「やめろおおおお!!」

 そう叫んだとき、ポーズボタンを押したように、狼たちがいっせいに動きを止めた。

 死を覚悟していたのか、目を閉じていたらしい人物も呆気にとられたように固まっている。

「あ、あれ?」

 本当にやめるとは思わなかったので、透は戸惑う。

 するとマントの人物に襲いかかっていた狼が、のっしのっしと近づいてきた。

 だれも圧倒されて動けない。

 その狼は服従を誓うように透の前で地面に頭をつけた。

「え?」

「これは失礼した。あなたが『紅の神子』とは知らず、無礼な真似に出た。お許しいただきたい」

「「「『紅の神子』?」」」

 三人の声が重なる。

 透も暁もあまりに異常な体験をしたせいで、狼が喋っているという怪異に気づけなかった。

「あなたのお望みのままに我らは従おう。なにが望みか、『紅の神子』」

「『紅の神子』って俺のこと?」

「あなたの他にそう名乗るべき者はいない。その真紅の瞳が証」

 そう言われて透は眼に手を当てる。

 倒れていたマントの人物が起き上がり、そんな透の眼を覗き込んだ。

「紅の瞳を持つ、その人の名は『紅の神子』」

 呆然と呟いてかぶりを振った。

「まさか本当にいたなんて……」

 なにを言われているのか透には理解できない。

 だが、この狼が狼たちの首領で透の意志に従うということだけは理解できた。

 だったら。

「えっと俺の望みを叶えてくれるんだよね?」

「勿論」

「じゃあもう俺たち三人を襲わないでほしいのと、できたら森の出口まで案内してくれないかな? それからできたら俺たちを他の動物から護ってほしい」

「これは異なことを言う」

「は?」

「護るもなにも今の一幕であなたが『紅の神子』だということは、この辺、一帯の動物たちには伝わったはず。あなたに従いこそすれ、襲うなどありえない」

「つまり俺たちは安全ってこと?」

「無論」

 なにがなにやらわからないが、「紅の神子」とやらはそれだけ重要な存在らしい。

「だったら俺たちを森の出口まで案内してくれるだけでいいよ。あ。でも、森の外には出ないでくれよ? きっと騒ぎになるから」

「了解した。ではこちらへ。『紅の神子』」

 首領の狼を先頭にして狼たちが透の回りを取り囲む。

 敵意は感じないが暁は怯えて透にしがみついていた。

 歩き出そうとして透は結果として助けられたのか、助けたのか不明の相手を振り返る。

「あんたは来ないのか? こんなところにいたら危険だと思うけど」

「あんた……」

 ムッとしたように呟いたが、相手は剣を腰に戻すと、そのまま黙って後をついてきた。






 森の出口がみえる付近まで案内してもらうと、透は怯える暁を腕に抱いたまま狼たちの方を振り向いた。

「ここでいいよ、ありがとう」

「『紅の神子』」

「なに?」

 そう呼ばれて最初は否定していた透だが、狼の首領はまったく気にしない。

 受け入れてくれないので今では呼ばれたら返事をするようになっていた。

「我ら狼一族はこれから永久の忠誠をあなたに誓おう」

「そんな大袈裟な……」

「如何なる森においても、如何なる場所においても、狼があなたを襲うことはない。もし森でなにか困ったことが起きたなら、いつなりとも呼んでほしい。かならずや我ら一族があなたの力になろう」

「……」

 どうしてそこまで言ってくれるのか気にならないと言えば嘘になる。

 自分は「紅の神子」などではないのに。

 でも、力になるからと言ってもらえるのは、それがどういう事情からであれ嬉しい。

「うん。ありがとう。よろしくね」

 透がそう答えると狼は毅然と踵を返した。

 他の狼たちも踵を返す。

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