短編集
□第1章 過去から未来へ
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「あんまり遅くなってはダメよ、胡蝶? 最近は治安も悪いし」
母親の心配そうな声に胡蝶が振り向いて笑った。
「大丈夫よ、母さん。昴や李宇だって一緒だもの。それにわたしを危険な目に遭わせられる人なんてそうそういやしないわ」
「胡蝶。それは口に出してはいけないと、いつも言っているでしょう? 危険視されたらどうするのっ」
焦って怒る母親に胡蝶は肩を竦めてみせる。
この辺りは古くから呪術的な力で支配されていた。
そのせいか不思議な力に関する関心が高い。
そういった力を持つ者ばかりを集めた学校もあるくらいだ。
だが、そういった学校に籍を置くものは、言ってみれば政府にその力を認められ、将来的にその力で働くことが義務づけられた者たちばかりなのだ。
当然だがそういった力を持ちながら、申告もせず伏せている者もいる。
政府のために働くことが嫌なわけではない。
だが、政府のために働くことを義務付けられるということは、戦いなどにその力を発揮する必要性が生じるということで、それを憂う者も当然いるということだ。
力を持っているからといって、それを喜んでいる者ばかりでもないのだ。
最近ではそういった力のことは「魔法」と呼ばれていた。
「大昔から人は変わっていないのかしらね」
「胡蝶」
「昔、昔の話よ。この辺一帯を仕切っていた部落を護っていたのはひとりの巫女だったというわ。今この地域がそういった力に敏感なのもそのせいだって。
その巫女に護られていた当時は、とても豊かで恵まれた暮らしをしていたって。でも、そんなに恵まれていてそんなに強い力を持った巫女に護られていたなら、どうして滅びてしまったのかしら?
それはしてはいけないことをしたからではないの? わたしはそう思う。その頃から人間って変わっていないのかもしれない」
力に頼りすぎることは危険なことだと胡蝶は思う。
政府は今も当時と同じ力を持った者たちを育てることに必死になっている。
部落と呼ばれていた頃、その当時にしてはかなり恵まれていたのだろう。
その頃の裕福さが忘れられないのだ。
でも、それは不本意なことを押し付けられることでもある。
母が気に病むのも無理もなかった。
「なるべく早く帰ってくるわ。だから、心配しないでね、母さん」
それだけを言い置いて胡蝶は愛用の真っ白な帽子を被ると家を後にした。
背中まで届いた長い黒髪が風に躍る。
真っ白いスカートが胡蝶にはよく映えた。
もう夕暮れ。
こんな時間から出掛ける者はそんなに多くない。
今日は探検に誘われたのだ。
この歳になって探検もないものだと思うが、李宇はそういうことが好きだから、昴も仕方なしに付き合うといった風情だった。
胡蝶を誘うのは反対だと昴は怒っていたらしいが。
昴と李宇と出逢ったのは胡蝶がこの街に越してきた当日のことだった。
新しい街。
新しい家。
なにもかもが珍しくて到着するなり家を飛び出したのだ。
そのとき、家の向かいのちょうど壁のところに背中を預けて立っていたふたりの子供がいた。
それが昴と李宇である。
あのときの不思議な感動は今も憶えている。
昴と目が合ったとき、逸らせなくなった。
あの人と話をしたいと思った。
そんな衝動に突き動かされるままに昴に近付いて声を掛けた。
胡蝶が名乗って名前を訊くと彼は「ぼくは……昴」と答えてきたのである。
不思議な話だが話したい目を逸らしたくない、そういう感想は昴も持っていたらしく、後に親しくなってからお互いの初対面のときの感想を教え合い絶句した覚えがある。
そのときから昴と李宇とは仲良く過ごしてきた。
ふたりは剣を習っていて、どちらもが凄腕と呼ばれるほどに成長している。
昴は気性的にだれかを傷付けたりするのが苦手だから、虫を殺すこともできないくらい徹底されていて、剣も試合では敗けたことがなかったが、傷付け合うような使い方はしたことがなかった。
将来騎士団に入りたいとは李宇の意見だが、昴もそれに遜色ない腕は持っているが、そちら方面には進みたくないようだった。
3人ともそろそろ16である。
恋のひとつやふたつも経験しそうな年頃だが、今はまだ異性の仲の良い友達といった感じだった。
町外れの待ち合わせ場所に行くと昴と李宇はもう待っていた。
昴は短く切り揃えられた黒髪が利発そうな印象を与える。
顔立ちは優しげだが。
剣の腕に自信があるだけあって、よく鍛えられたバネのような肉体を持っている。
でも、瞳は甘く優しくて彼の性格がよく出ていた。
李宇ががっしりした体格を持っていて、茶色の髪と瞳をしたちょっと見た感じだと、悪がきがそのまま大きくなりましたといった感じの少年だ。
このふたりは幼馴染みで、とても仲が良いのだが印象とか性格とか、とにかく持っているものが正反対に近かった。
それでどうして仲が良いのか不思議なくらいだ。
「昴!! 李宇!!」
名を呼んで手を振りながら駆け寄れば、昴の腕にベッタリとくっついた女の子もいた。
ちょっとムッとする。
昴は不本意なのか腕を離させようと、何度も振りほどいているようだったが、その度にしがみつかれて、李宇に困ったような目を向けている。
あの娘だれなのかしら。
そんな感想がありありと出てしまう。
「遅いぞ、胡蝶」
「ごめんなさい。それよりその娘はだれ?」
「おれの従妹の真琴っていうんだ。胡蝶が越してくる前は何度か夏になる度に避暑に来てたんだけど、最近はちょっとご無沙汰だったんだ。で。今年は夏の間だけこっちにいるらしい」
李宇の説明はわかったけれど、その従妹がどうして昴にくっついているのだろう?
ムッとしたけどそれは態度には出せなかった。
「あたしは真琴。あなたが胡蝶ね。李宇や昴からよく話は聞いていたわ」
見返す目がなんだかちょっときつい気がした。
睨まれているような。
錯覚?
「真琴。そろそろ離れてほしいんだけど? くっつかれたら暑いよ」
昴がうんざりとそう溢す。
でも、言われても真琴は離れなかった。
益々べったり昴にくっつく。
またムッとした。
なんだか見せ付けられてるみたいで。
胡蝶が黙って返事を返せずにいると昴が焦ったように腕を振り切った。
「あんっ」
真琴がムッとしたように昴を睨む。
「とにかく離れてほしいよ。暑いから」
言いながら昴の目は胡蝶に向いている。
(胡蝶がみている目の前で抱きつかれるなんていやだよ、ぼくも。誤解されたくないし)
一度も態度に出したことはない。
でも、昴はあの出逢いの日から胡蝶が好きだった。
胡蝶に意識されていないことは知っている。
でも、一目惚れだったのだ。
誤解されるような目には遇いたくない。
胡蝶は歳を追う毎に綺麗になっていく。
見ているだけで眩しいほどだ。
この国1番の美少女といっても、だれも不服は言わないだろう。
いつか告白したいと昴は思っている。
でも、告白することで今の関係が崩れることも怖くて決意できずにいた。
「それで探検ってどこに行くの?」
これ以上、真琴の話題に触れても無意味と思ったのか、胡蝶がいきなりそう聞いた。
その目は李宇に向いている。
誤解されたかな? と、昴はちょっと落ち込んだ。
「神殿跡」
「神殿跡って昔話に出てくる部落の神殿跡? 神殿があったらしいと言われている」
神殿が建っていたのはこの周囲の森の中。
そこに巫女が住んでいたと言われている神殿があったらしい。
尤もそれが正しいのかどうかは、現在では確かめる術はない。
ただなんらかの呪術的な影響を受けているのか、神殿跡は何度開発の手を入れても、それが実を結ばない土地だった。
だから、未だに森として残っているのである。
人の手が入ることを拒む森の中に神殿跡はある。
確かになにかの建物が建っていたらしく、その跡は現在でもみてとれた。
どんな建物だったのかはわからない。
そこに残っている跡から推測して学校などには神殿の当時の姿が予想され、それを模型として置いているが。
それによれば3階建ての建物で、上に行くほど狭くなっていて、頂上は先端みたいになっている。
丁度三角みたいな形だ。
四角い三角というか、上に行くほど細くなってはいるが、建物自体は普通の物と然程の差はなかった。
当時の文化を思えば、そんな建物があること自体変だ。
だから、問題の巫女が住んでいた神殿とは違う可能性もあった。
だが、神殿跡と言われて胡蝶はちょっと表情を陰らせた。
「わたし神殿跡はちょっと」
「なによ。あなた怖いの?」
真琴がきつい口調で言ってくる。
情けないとでも言いたそうな口調だった。
怖いわけではなかった胡蝶もムッとした。