短編集
□第1章 落ちこぼれ剣士
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緑豊かな部落があった。
その最奥にあるのは他の部落の侵入に備えて構築された神殿である。
そこに住まうことが許されているのは、代々、部落を護る巫女だった。
生まれ落ちてすぐ巫女としての素質を認められると神殿へと引き取られ、先代の巫女が力を失う前に育てられる。
そうして代々、ひとりの巫女によって護られてきたのである。
現在、巫女の座にあるものはまだ年若い少女であった。
美少女として噂される巫女の名は瑠璃といった。
まだ陽が高く夏の終わりを感じさせる気候を肌で感じながら瑠璃はため息をつく。
ぬばたまの黒髪とまで言われる長い髪を、お傍付きの由希に梳いてもらいながら。
まだ15、6といった幼い少女である。
美少女と噂されるだけあって、かなり整った顔立ちをしているが、年齢より幼く見えるのが悩みの種だった。
瑠璃が巫女となったのは数年前で、それまでは後継として育てられていた。
先代の巫女が力を失い、後年、亡くなったのだが、それ以後に瑠璃は正式に巫女を名乗ったのである。
一番遊びたい盛りに重責を背負う身となり、それ以来、瑠璃はため息ばかりついている。
「どうかなさったのですか、瑠璃さま?」
幼い頃から傍にいてくれる由希の声に、瑠璃はそっと微笑んでみせた。
「なんでもないのよ。見て。外はすっかり秋よ? 紅葉が綺麗ね」
瞳を細めて窓の外を眺める瑠璃も十分に美しい。
尤も。
巫女の外見を知っているのは、ほんの一握りの者だけなのだが。
「紅葉といっても瑠璃さま。まだ夏の終わりですよ?」
揶揄うような声に瑠璃がクスッと笑う。
景色は夏のような秋のような、不思議な感じを讃えている。
確かに秋の紅葉も見事だったが、まだ夏を感じさせる青空も広がっていて、とても不思議な感じを見る者に与えるのだ。
瑠璃は今の季節が1番好きだった。
まあお傍付きの由希に言わせると衣装選びに困るこの時期はあまり好きではないらしいが。
薄着にすればいいのか、それとも秋用にするべきか悩むのだという。
確かに半袖だと寒いし、長袖だと暑い。
そういう気候ではあるのだが。
「どうして巫女は外に出てはいけないのかしらね?」
憂い顔の問いかけに由希は答えを返せない。
由希は瑠璃が選ばれたときに、村で1番年齢が近いということで、お傍付きに選ばれた村1番の大富豪のひとり娘である。
村長とも親しい間柄の娘で瑠璃には言えないが、彼女の監視役でもあった。
おそらく聡明な彼女は、そのことも承知しているのだろうが。
お互いに隠していることはあるのだが、どちらもが友情を寄せている。
由希は立場柄、態度には出せないものの、自由のない瑠璃を可哀想だと思っていたし、主従関係ではなく友達として大好きだった。
それは瑠璃も同じなのか、由希には親しげに接してくれる。
籠の鳥のように閉じ込められて、大切にはされているが自由が全くない瑠璃。
こんな小さな自分でも、大好きな彼女の力になれないか。
最近はそんなことばかり考えていた。
「瑠璃さまは変わっておられますね。代々巫女さまといえば神秘の代名詞と言われる高貴な方々ですのに、普通の女の子のような夢をみていらっしゃる」
「巫女だなんていっても、わたしは普通の女の子よ、由希」
憂い顔でそう言われ「そうですね」と頷いた。
瑠璃の夢は外に出て自由に振る舞うこと。
巫女でなければ出てこない夢だ。
それほど窮屈な暮らしが辛いのだろう。
可哀想に……とため息が出る。
監視役のくせに友情を寄せるのはいけないことなのだろうか。
なんとかして瑠璃に笑ってもらいたい。
そう願うこともいけないことなのだろうか。
ため息が止まらない。
巫女は贅沢な暮らしができる。
その証拠に瑠璃の衣装は、由希でさえ着られないような最高級の絹の、それも綾織りだ。
純白の衣装が濡れたような黒髪によく映える。
けれど、彼女は着飾られただけの綺麗な小鳥。
それを知っているから、いつも憂い顔。
自分になにができるだろう?
自問自答しても答えは出なかった。
「おい。あいつが本当にあの天才剣士なのか?」
ひそひそと囁き合う声が聞こえて、藁の山に身を横たえていた青年が、ふっと目を開けた。
少し離れたところに、ふたりの青年が立っていて、ひそひそと会話を交わしている。
「伝説的な強さを誇っていると聞いたが、さっきから寝てるだけだぞ?」
「確か……決して本気にならない天才剣士……だったっけ?」
ひそひそと交わされる噂話。
真弥には慣れた会話だった。
興味も失せてそのまままた眠ろうとする。
そこへ声が投げられた。
「よお、真弥。また寝てるのか?」
億劫そうに目を開ければ、幼なじみの勇人が顔を覗き込んでいた。
茶色の瞳が面白そうに輝いている。
真弥の名を聞いて噂話を交わしていたふたりは、またひそひそと話し出した。
「やっぱりあいつみたいだぞ」
「真弥って呼ばれてるもんな」
ふたりの会話を聞きながら(らしくなくて悪かったね)と、真弥は内心で腹を立てる。
噂だけを聞いてやってくる連中には、ほとほと困り果てているのだ。
どんな噂を聞いているのかは知らないが、真弥の噂というのは実物との落差が激しいらしく、やってきた者は皆あんな反応をみせるのである。
一々落胆される真弥は、相手をするのもバカらしくなってきていた。
「また噂されてるみたいだな、おまえ。で。呆れられてるわけだ?」
「過剰な期待をしてほしいなんて、ぼくが頼んだわけじゃないよ、勇人」
睨み付ける真弥に勇人は悪びれずに笑ってみせた。
「ぼくはただの落ちこぼれ剣士だっていうのに、なんだって噂になるんだか……」
自分で自分のことを落ちこぼれ剣士という真弥に、勇人が呆れたような顔をする。
確かに真弥は仲間内では落ちこぼれ剣士と呼ばれている。
が、その腕前は決して落ちこぼれてはいない。
真弥の腕前はほとんど伝説と化しているほどだ。
落ちこぼれ剣士の謂れは、真弥のその性格にあった。
優しすぎて人を殺せないのである。
たとえそこが戦場でも。
勇人はそれをよく知っていた。
真弥は伝説化されるほどの実力の持ち主で、落ちこぼれ剣士と揶揄される影で、決して本気にならない天才剣士とも言われていた。
それが近隣に広まって見物客がやってくるのである。
たまに真弥をなめてかかって仕掛ける者もいたが、そういう者は真弥に徹底的にやられている。
真弥は人を殺したり傷つけたりできないだけで、試合で負けたことは一度もないのだから。
それが剣であれ、槍であれ、弓であれ。
これで戦場で本領を発揮できるば……とは、彼の性格を知っていて、処遇に困っている上役たちの口癖だった。
「腕は悪くないのになあ、真弥って」
「幾ら腕がよくても実戦で通用しないと意味がないよ。別に殺したいとは思わないけどね」
「真弥ってほんとわからねえ奴だよなあ。それだけの腕があれば、どんな出世だってし放題だっていうのに、自分から足蹴にしてんだからさ。狩りだっていつもおまえひとりが獲物に逃げられてるし」
事実である。
真弥は別に人間だけがダメなわけではないのだ。
生命あるものに刃を向けることが、どうしてもできないのである。
だから、狩りも苦手だった。
実力だけでいえば、そうとうなものなのだが。