紅の神子

□第七章 秘密
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 第七章 秘密




「あなたを愛してはいけないのっ!! 何故それがわからないのっ!?」

「俺を愛していないとでも言うつもりかっ!!」

「愛しているわっ!! でも、この気持ちは許されないのっ!! だから、もう忘れてっ!! あなたとは二度と逢わないっ!!」

 そう言って駆け去っていく女性。

 名を呼ぼうとして飛び起きた。

 意味がわからない夢。

 昔から何度もみている。

 相手の顔も見えないのに夢に出てくる女性が愛しくて、いつも胸が苦しくなる。

「俺を裏切るのかっ!!」

 声にならない声で名を呼んだ。

 だったら俺が滅ぼしてやる、と決意する。

 おまえが護ってきたもの、おまえが護ろうとしてきたもの、すべて俺がこの手で壊してやるっ。

 どす黒いそんな想いが浮かんでくる。

 あまりに激しい憎悪。

 殺意。

 それが向かうのはただひとり。

「……『紅の神子』」

 彼女が真実の意味で自分を裏切った裏切りの証。

 ならばその生命を奪うまで。

「神子を殺したら、おまえは俺を憎むか? 裏切られ二度と愛されないというのなら、おまえに憎まれた方がいい」

 ふと漏れた声に驚く。

 あれ? と思う。

 今自分はなにを言っていた?

 なにをしていた?

 わからない。

 脳裏に浮かぶのはひとりの少年の顔。

 胸に痛くてもう一度眠ろうと目を閉じて。





「ランディ。あなたには酷いことをしているわ」

 空間の狭間に身を委ね、解放の時を待ちながら戦女神、フィオリナはふと呟く。

 二度目に愛した人。

 愛し愛される幸せを教えてくれて、愛する人の子を産み育てる幸せを与えてくれた人。

 今だって愛している。

「でも、あなたはわたし以外を愛しはじめている。仕方がないわ。わたしがあなたの下を去って8年。もう十分。あなたには十分に愛されたわ。この8年間、あなたがわたしを愛し続けてくれたことを、わたしはだれよりも知っているの。だから、もう……わたしのことは忘れて」

 そういうことは別離を決めることは、フィオリナにとって身を切られるよりも辛いことだ。

 だが、ランドールはもう十分彼女を愛してくれた。

 王という自由のない身でありながら、亡くなった彼女への愛を8年にも渡って貫き続けてくれた。

 だから、もう十分。

 もう彼は自由になっていい頃だ。

 恋愛は辛いだけだと思っていたフィオリナに、愛することの愛されることの尊さを教えてくれた人。

 これからもきっと愛していく。

 あの人がいつか死んでしまっても、自分は永久に愛し続ける。

「でも、あの人もバカね。トールを愛しはじめていることを自分で否定しているんですもの」

 クスリとフィオリナは笑う。

 ランドールがトールに惹かれた理由は、おそらくフィオリナ譲りのその顔立ちにあるのだろう。

 そしてフィオリナと同じ気性。

 フィオリナを忘れられないランディには、どうしても無視できない相手だ。

 でも、だからこそ愛しはじめていることを素直に認めることができなかった。

 まあトールが同性だということも、迷いを生じさせた理由ではあるのだろうが。

 トールがだれを愛したとしても、それが同性だったとしても、トールにはそれは障害にはならない。

 あの子なら性別は簡単に変えられるのだから。

 だからこそ、トールの存在は動乱を招く。

「本当にこれでよかったのかしら? トールを人の世界に委ねて」

 トールは生粋の神として生まれている。

 フィオリナとも互角の位置に立てる存在。

 フィオリナの血と力を受け継ぐ唯一の存在。

 その神子を人の世に委ねる。

 それはフィナリオにとってもひとつの賭けだった。

 普通に老いていくことのできないトールにとって、人の世で生きることが辛くないわけがないのだから。

 でも、あの子がヴァルドとの決着をつけるためには、どうしても人の世に出なければならなかった。

「ヴァルド」

 呟くと胸が痛い。

 でも、それは昔、思い出していた頃より、ずっと穏やかな感情だった。

 そうしてくれたのはランディだ。

 彼を愛して彼に愛されたから、フィナリオは立ち直れた。

 だから……。

「あなたにトールを殺させはしないわ。あの子はわたしが護る。この呪縛が解かれたら、わたしがあなたを殺すわ」

 そこにいるのはもうイーグルの王妃、ビクトリアではなく気高く激しい戦女神、フィオリナだった。

「マーリーン。いえ。マリン。力の覚醒めていないあの子をどうか護ってね? あなたにわたしの最愛の子を委ねるから」

 まだ逢えない息子の顔を思い浮かべて、フィオリナは目を閉じた。





「アスベル様、今日は遠乗りに連れていってください」

「アスベル様、今日はお茶会をしませんか?」

「アスベル様、アスベル様」

 毎日のようにまとわりつかれて、正直なところ、アスベルは疲れきっていた。

 お茶会ならともかく遠乗りとか、城から出るようなことはアスベルには無理だ。

 ここは自国だがアスベルは自由に出歩くことができないので。

 なのに彼女はなにかといえばわがままを言ってくる。

 それで却下すると拗ねるのだ。

 扱いの難しい婚約者に結婚したあとが思いやられて、アスベルのため息は日ごとに増えていく。

 あまりに彼が憔悴しているので、傍で見守っていた透は気の毒になり、彼に言ってみた。

「あのさ、眼帯したらどうかな?」

「眼帯? あの眼の病気のときや片目を潰した者がするという?」

「うん。アスベルの場合、問題なのは両目の色が違うという部分で、逆からいえばそれさえ隠せばアスベルの素性はバレようがないってことだろ? なにしろ素顔を晒したことがないんだから」

「それはそうだけど」

「眼帯をすれば外に出ても問題もないと思うんだ。フィーナ姫も退屈してると思うんだよね。だから一度でも外に連れ出せば、そうワガママも言わなくなると思う。たぶん、だけどさ。姫はアスベルとふたりきりになりたいんだよ」

「ふたりきり……」

 げっそりするアスベルに婚約者の扱いって、そんなに大変なのかなあ? なんて透は惚けた感想を持つ。

 婚約者にもよるということを透は失念している。

「ふたりきりになって話したいことが色々あるんじゃないかな。ほら。ここへ忍び込んだ理由だって、アスベルの人柄を知りたいからだって言ってたし」

「だけど、ぼくとしては幾らアスベルが相手でも、妹とふたりきりというのはさすがにね」

 口を挟んできたエドワードにアスベルが彼を睨んだ。

「妹だって自覚があるなら、なんとか説得してくれよ、エド!! このままじゃおれは心労で倒れるっ!!」

 吠えるアスベルにエドはこめかみを掻く。

「実は……ぼくもフィーナを避けていて」

「なんで? 妹だろうが」

 アスベルに呆れられ、エドワードはため息をつく。

「ぼくの秘密を打ち明けてくれと言い募っていてね」

「要するに25までにっていう、あれ?」

 透が訊ねるとエドは頷いた。

「ぼく自身まだ整理できていない問題なんだ。それを打ち明けてくれと言われても、正直なところ無理だよ。だから、つい避けてしまって……どうもその反動がアスベルに向いている節があるね」

「おまえっ!! だったらさっさと打ち明けろ、エドっ!! おれを巻き込むなっ!!」

 アスベルはすでに限界だった。

 確かに彼女は淑やかである。

 王女らしく振る舞っているときなどは、アスベルですら見惚れてしまうくらい優雅だ。

 だが、その反面お転婆な一面があって、大切に育てられた姫君らしくワガママである。

 そのワガママに振り回されているのだから、アスベルの心労は本当に凄いものがあったのだ。

「フィーナはまだ16なんだよ? そんなに幼い妹に言うのかい? きみの兄は男と真剣な恋愛をしないと25には死ぬ運命にあります、と」

 これが大国ログレスの世継ぎとして生まれ育ってきたエドワードの最大の秘密だった。

 10歳のときに賢者マーリーンの予言により、そういう未来を背負わされてしまったのだ。

 因みにその相手とは伝説に言われている「紅の神子」で、その「紅の神子」とは実は透だったりする。

 透がそうだと知ったとき、エドは真っ白な顔をしていたものだ。

「そりゃ……言いにくいことだっていうのはわかるさ。でも、隠せないだろ? 隠している方がフィーナ姫には辛いんじゃないのか?」

「アスベル」

「おれもトールが神子だってことをルーイには隠してるし、そもそも母上が実はフィオリナだったってこすら言ってない状態だから、エドのことは責められないけどさ」

 俯いてしまうアスベルに透は複雑な顔になる。

 透は実は本名はトールといい、こちらの世界ではトオルという発音ができないため、こちらの人々には元からそう呼ばれていたが、実はそれが本名だったと知らされたとき、自分が神子だと知ったのである。

 その事実を教えたのは賢者マーリーンことマリンだ。

 彼は今、3人で会話していることを気遣って、敢えて姿を隠している。

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