紅の神子

□第一章 邪眼の王子
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 第一章 邪眼の王子




「いってきまーす」

 先に出た暁を追いかけて透がそう声を投げる。

「いってらっしゃい。車に気をつけてね、透?」

「うん。じゃあいってきます」

 そう言って母親に背を向けた。

 後になって振り返れば、これが透が母親をみた最後の瞬間だった。

 もう逢えなくなるなんて、このときは想像すらしなかったのだ。

 だから、いつも通り振り向きもせずに別れてしまった。

 これが今生の別れだとも知らずに。

「兄さん、遅いよっ!!」

 すこし歩くと中学の制服に身を包んだ暁が立っていた。

 暁の中学と透の高校は途中まで通学路が同じだ。

 暁は私立の中学に通っていて、高校は更にレベルの高い学校を受験するらしい。

 父親が病院経営をしているので、暁はその跡取りというわけだ。

 悲しいかな。

 透の学力では医者にはなれない。

 だから、暁は文句も言わずに勉強に励んでいるが、言いたいことはあるのか。

 こうして登校時間を合わせて透と一緒に登校すると主張している。

 透は徒歩で行ける学校というのを念頭に入れて選んだので、学校選びにはほとんど拘っていない。

 というか徒歩で行けて、尚且つ透の学力で行ける高校なんて、そんなに多いわけがない。

 やっぱり水無瀬の血を引いていないという証拠なのか。

 透は学力も平均。

 運動も平均。

 取り柄と言えば明るい性格と、女の子でも通るような顔立ちくらいだ。

 後者については透は取り柄とは認めていないが、周囲からは一致団結して「透の取り柄」と言われている。

 暫くふたりで通学路を歩いていると、角のところで声を投げられた。

「透っ!! 暁っ!!」

 そこには透と同じ制服に身を包んだ水無瀬の従兄弟、一ノ瀬隆が立っている。

 隆は学力だけならもっといい高校に入学できただろうに、どうしてだか透と同じ学校を受験した。

 その際、両親には大学は医学部へ進むという条件を出して、口説き落としたのだと聞いている。

 どうしてそこまでして透に拘るのか、透はイマイチ理解していない。

「はよ、隆」

 透は挨拶を投げたが本当の従兄弟である暁は挨拶を投げない。

 これもいつものことだ。

 学力、運動共に優れていて、どちらも容姿に問題がなく、女子にモテるという点で、ふたりは確かに従兄弟だなと透は思う。

 なのに暁の隆に対する態度は昔から素っ気なかった。

 たぶん隆が透に構いすぎるのが気に入らないのだろう。

 今もきつい眼で隆を睨んでいる。

「暁は相変わらず不機嫌だなあ」

「どうして毎日待ってるの?」

 暁が不機嫌そうに問う。

 隆が登校時間に待ち伏せるというのは、なにも高校からのことじゃない。

 小学校時代からそうだった。

 その頃まだ幼稚園で一緒に通学できなかった暁は、毎日のように隆に食って掛かっていたものだ。

「どうしてって透と一緒に登校したいからだよ。気にするな。暁はオマケだから」

「オマケはそっちでしょっ!!」

 いきなり始まったケンカに透は慌てて割って入った。

 このふたりのケンカは長いのだ。

 隆は無自覚に暁を煽るし、暁は隆の無意識の挑発に簡単に乗る。

 そのせいで一度始まると止まらないのである。

 さすがに登校時間にそれは避けたい。

「ケンカはやめろよ。登校時間にそんなことしてる余裕ないだろ?」

 さりげない仲裁なのだが、このふたりに対しては透の仲裁が1番よく効く。

 ふたりがさりげなく距離を空けたので、透は内心でホッとする。

 そのとき、ザアッと風が吹いた。

 透の色素の薄い髪が風に煽られる。

 その様子をふたりが惚けたように見ていた。

「どした?」

 透が首を傾げる。

「透の髪って相変わらず陽の光を浴びると金髪にも見える不思議な色だなと思って」

 金髪と言われドキリとする。

 夢の女性が脳裏を過るが、すぐに打ち消した。

「どうせ俺は茶髪だよ」

 そう言ってふたりを見捨てて歩き出す。

「待ってよ、兄さんっ!!」

「待てよ、透っ!!」

 ふたりが異口同音の叫び声をあげて追いかけてくる。

 このときはこんな日々がずっと続くのだと思っていた。

 すでに異変が始まっていたことに気付いていなかったから。

 さっき吹いた一陣の風。

 あれが予兆。

 異変はすでに始まっていた。

 ふっと振り返る。

「兄さん?」

 隣を歩いていた暁も立ち止まった。

「だれか呼んだ?」

「え?」

 ふたりが不思議そうな顔になる。

 だが、透の心は現実になかった。

 どこか遠くから声が聞こえてくるからだ。

『トール。トールっ!!』

 次の瞬間はっきりとその声が聞こえてきた。

「うわっ」

 思わず耳を塞いで踞る。

「兄さん!?」

「透!?」

 ふたりが両側にしゃがみこんで透の肩を掴む。

「どうしたの、兄さん!!」

「しっかりしろ、透!!」

 脂汗を浮かべながら、透は目の前を凝視していた。

(白昼夢?)

 目の前に夢の女性が立っている。

 スッと腕をあげる。

 その指がまっすぐに透を指さした。

『帰ってきなさい、トール。時は満ちました。あなたはもう帰らなければ』

「帰るってどこへ?」

「兄さん、どこ見てるの? 帰るってなに言ってるのっ!?」

「しっかりしろ、透!! 目の前にはなにもないんだぞっ!?」

 道行く人が何事かと3人を遠巻きにみている。

 目の前にはなにもない?

 ふたりの眼には見えてないってことか?

 あんなにはっきり見えているのに?

 やっぱり白昼夢?

 そこまで考えたとき、ザアッと一際強い風が吹いた。

 ふたりが透を護るように抱き締める。

 そうして人々が風に眼を閉じて、次に眼を開けたとき、そこには3人の姿はなかった。

 まるで存在しないかのように消えていたのである。





 ふわふわとふわふわと透は浮いていた。

 浮遊感に身を任せて閉じていた眼を開く。

 それはどことも知れない空間だった。

 これは夢か?

 そう思う片隅でこれは夢じゃないと冷静な自分が告げる。

 右手がなにかに繋がれている。

 振り向けば暁だった。

 暁が気絶したまましっかりと透の手を握っている。

 さっきまで一緒にいたはずの隆はいない。

 ここにきていないのなら、それが1番いい。

 こんな変な空間に連れてきたいわけがない。

 それでも暁を護ろうと、透は自由にならない身体を動かして、暁を抱き締めた。

 決して離れないように。

 透が意識を保っていられたのはここまでだった。




   ー古王国イーグルー




 ここは古王国として知られるイーグル王国。

 その首都アシャン。

 フード付きマントを目深に被った人物が急ぎ足で歩いている。

『「紅の神子」がもうすぐ現れるはずだよ。逢いたければメディシスの森に行けば?』

 そう囁いて笑った小憎らしい子供の顔が浮かぶ。

 まあ子供と言ったら責められるかもしれないが。

 彼と比べたら自分の方が余程子供だ。

 外見は向こうの方が遙かに年下だが。

 そもそも「紅の神子」が本当に出現するなら、彼こそが真っ先に迎えに行くべきだろう。

 嘘かホントか知らないが、彼は「紅の神子」に仕えるために、古代から現代まで生き続けてきたというのだから。

 そもそもと彼は考える。

 この国の言い伝えだって王宮に伝わっている通りなら、彼が伝えたものだ。

『国が滅びの危機に瀕したとき、邪眼をもつ王子が生まれる。そして滅びの危機を救うべく「紅の神子」が出現し国を救う』

 そんな迷惑な予言を遙かなる昔に残したのは彼だと伝わっている。

 尤も。

 本当に同じ名の人物で同じ役目を背負っていると名乗ったからといっても、自分は彼が即座に同一人物だなんて信じていない。

 まだ12、3歳の子供の姿をしていたのだ。

 確かに言っていることは子供にしてはが、だからといってすぐに彼が古代から生きているという主張を信じられるわけがない。

 だったら何故こうしてメディシスの森まで出掛けようとしているか?

 答えは簡単だ。

 それが「紅の神子」絡みなら、自分はどんなに些細な噂でも、確かめずにはいられないからだ。

「紅の神子」は「紅の女神」とも呼ばれる戦女神フィオリナの血を引いていると伝説では言われている。

 フィオリナの血を引く者。

 それが即ち子供なのかどうかはわからない。

 そもそもフィオリナなんて神話上の女神だ。

 その血を引く者なんてお伽噺と同じである。

 それが頼りない伝承の類いでも、今の自分には必要なお伽噺だ。

「この眼がある限り、おれには『紅の神子』の存在は必要だからな。全く。落ちたもんだぜ。そんなものに頼るようになるとはな」

 ヤケクソ気味に言ったとき、メディシスの森まで辿り着いた。

 この森は深い。

 なにが起こっても不思議のない森だ。

 そもそもあの情報が確かかどうかもわからない。

 でも、この眼のせいで殺されそうだった自分に助かる道を与えたのも、またあいつ。

 信じるしかないだろう。

 覚悟を決めて森に立ち入った。




「ん……」

 鳥の声が聞こえて目を覚ます。

 腕の中にはしっかりだれかを抱いている。

 目を開ければそれが暁なのだと気付く。

 そういえば変な空間で、はぐれないようにと暁を抱いたんだった。

 暁を起こさないように注意して上半身を起こすと、ザッと周囲に目を向けた。

「どこだよ。ここ……」

 どう見ても森だった。

 それもけっこう深い樹海と言われそうな感じだ。

 鬱蒼と繁った森の中で自分たちは寝ていたのだ。

 まああの変な空間を見たから、どこに移動していても、あまり疑問には感じないが。

 とりあえずこんなところで寝かせておくわけにはいかないだろう。

「暁っ。起きろよ、暁っ!!」

「う、ん。あと5分……むにゃむにゃ」

「寝ぼけてる場合じゃないってばっ。暁っ」

 何度も呼び掛けると暁がやっと眼を開けた。

「あれ、兄さん?」

「やっと起きたか。とにかくこんなところで寝ていたらダメだ。さっさと起きてくれ」

「こんなところって……」

 言いかけて起き上がって何度も周囲を確認すると、暁は唖然としたように透を振り向いた。

「ここ、どこ……?」

「俺に訊くなよ。俺の方が知りたいくらいなんだから」

 尤もだと思ったのか、暁は急に立ち上がった。

「隆は?」

「いないよ。途中ではぐれたのか、そもそも俺たちと一緒にはきていないのか。その辺は俺にはわからない」

「途中ではぐれたって……兄さんはどこかに移動してる自覚があったの?」

「自覚っていうか。ここへくる前に一度目が覚めたんだ。そうしたら変な空間にいて」

「変な空間?」

「上も下もないふわふわと漂っているような空間っていうか。そこで浮かんでたんだ。おまえが俺の右手を握って」

「ふうん。だから、そんなに慌ててないんだね」

「そういう暁も慌ててないと思うけど、俺は」

「兄さんがいるからね」

 そう答えつつも両膝に当てられた手を見れば小刻みに震えている。

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