短編集
□第2章 戻れない道
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もしかして……ぼくは瑠璃が好きなんだろうか。
女の子を好きになったことはないから、自分でもよくわからないけど。
ため息ばかりが出る。
そうやって瑠璃のことを考えるほどため息をつくぼくを、瑠璃はどうやら変な奴と思っているらしいけど。
正直言って他のだれに、どう思われても平気だし、変人だと思いたければ思えばいいと思っているけど、瑠璃にそう思われるのだけは我慢できなかった。
かといって泣かせることもできないし。
こんなに優柔不断だっただろうか?
素性についてはもう触れない。
すべてを覆し、それでも護り抜く覚悟はあるのかと問われても、今のぼくには返事はできないから。
もしその日がくるとしたら、世界中を敵に回しても、瑠璃を背負う覚悟ができたときだと思う。
でも、性別を偽るのはやめてほしい。
それだけでも素直になってくれたらぼくは……。
変、だな。
さっきから瑠璃に打ち明けてほしいとばかり思ってる。
最近イライラしていたのはそのせい?
やっぱりぼくは……。
でも、やっぱり瑠璃は鈍くて、こちらの切ない胸の内になど気づかずに、平然ときついことを言ってくれた。
「やっぱり変だよ、真弥。いったいなにがあったの? ひどく落ち込んでるよ? もしかして戦でも起こるの?」
変で悪かったねと、内心で腹を立てつつ真弥はかぶりを振った。
「正直なところ、ぼくの予想では西の部落と戦が起きても、ふしぎのない頃合いだと思っていたんだけど、どうも戦にはならないみたいだね。村長が和解の方向で動いているから」
「そうなんだ? よかった」
本当に心からそう思っているかのように、そのときの瑠璃の笑顔は、とても眩しかった。
眼を細めて見とれてから、ふと疑問が沸く。
どうしてすんなり受け入れる?
もしかして……戦が起きないことを知っていた?
「瑠璃は変なところで鋭いね。いつもはすごく鈍くて世間知らずなのに。どこでそういう情報を得るんだい?」
「えっと……その……」
言えないのか、瑠璃は口ごもってしまった。
嘘が苦手らしい瑠璃は、言えないことを問われると、大抵口ごもる。
どうやら瑠璃にとっては、知っていて当然の情報らしい。
しかし男ならまだわかるが、女の子がそういう情勢に明るいというのは、どう考えても変だ。
瑠璃は嘘をつけるような娘じゃないから、余所者じゃないと言った初対面のときの言葉は本当なんだろう。
しかし、だとしたら瑠璃はいったいどこのだれなんだ?
大体どうしてそんな一部の者しか知らないようなことを知っている?
それも今回の問いに関しては、戦が起きるか起きないか。
詳しいことを知っているのは、ごく一握りの者だけだ。
真弥は由希の家にお世話になっているから知っているのだ。
それと凄腕の剣士だから。
間違いなく同じ部落の出身だが深窓の令嬢そのものの少女、瑠璃。
しかし由希の実家のせいで、部落に通じた真弥ですら、瑠璃らしき少女がいる家に心当たりがないときている。
(待てよ……)
たったひとり。
たしかにいるけれど、姿も名も知らない少女がいる。
そこにいなくてはいけない高貴な姫君。
だれも姿も名も知らない。
噂をすることすら禁じられた聖域の乙女。
瑠璃から聞いたすべての情報が符号する。
存在するだけでこの部落を護る圧倒的な力を持つ守り神。
(……まさか……)
青ざめて振り向けば、そこにはなにも知らないような、無邪気な瑠璃の顔があった。
絶世の美姫として名高い巫女だったとしても、不思議はないだろうその整った顔立ち。
美形と言ってなんら遜色はない。
おそらく少女の服装をして、それらしく振る舞えば、恐ろしいほど美しくなるだろう。
もしそうだとしたら、本当に軽い気持ちで近づくべき相手じゃない。
火傷じゃ済まなくなる。
ましてや辛いと泣く瑠璃を、その境遇から救いたいとすれば、生半可な覚悟ではダメだ。
問えばすべてが崩れてしまうかもしれない。
それにもしそうなら瑠璃の方から打ち明けてほしい。
こちらから指摘して暴露するのではなく、瑠璃から自分の秘密を打ち明けてほしい。
でなければ動けない。
もし真弥が望みのままに瑠璃を連れ出せば、間違いなく追われる身になる。
生涯、追われ続ける。
それでもいいと覚悟ができても、それは真弥ひとりの覚悟では意味がないのだ。
瑠璃にもすべてを捨てる覚悟をしてもらえないなら意味がない。
差し出された手を瑠璃が取れなかったのも無理はないのだと、今はそう思う。
自分の運命に巻き込みたくなかったのだろう。
でも、不思議だな。
巫女かもしれないとわかったのに、そう半分くらい確信しているのに、全然後悔していない。
近づいたことも、こうして一緒にいることも。
事実を知られるだけで殺されても不思議のない不敬罪なのに。
本気で瑠璃が好きだったんだ、ぼくは。
後がない断崖絶壁に立ってから気づくなんて、ぼくはそうとう鈍いのかな?
ガラス越しに触れ合うのではなく、きちんと手をとりたい。
その瞳でぼくをみてほしい。
言わないと瑠璃は気づかないかな?
だれかを好きになるって、こんなに切ない気分になるんだ?
「あのさ、瑠璃」
「なに?」
「大事な人には隠し事されたくないよね?」
「……」
「でも、1番大切なこと、隠されていると相手も言いたくても言えないよね?」
「……なんのこと?」
「さあ。なんのことかな。とりあえず今日はぼくは帰るよ。最近ちょっと忙しくて個人的な時間がないから」
立ち上がった真弥を見上げて瑠璃は問うてみた。
意味ありげなことばかり口にする真弥に。
「どうして忙しいの?」
「家を探してるんだよ。自分の家を。今のきみに言えるのはそれだけだよ、瑠璃」
それ以上は教えられないと言われたような気がして、瑠璃が傷ついたように真弥を見上げた。
「言っておくけどぼくはきみのことは、信じていないわけでもないし、きらっているわけでもないからね? その辺は誤解しないでほしいな」
笑ってそう言って言いたいことだけ言うと、真弥はさっさと帰ってしまった。
その姿が見えなくなってから、瑠璃は深いため息を吐き出す。
「もしかして気づいているのかしら、真弥は?」
二度目に逢ったとき、彼の目の前で泣いてしまって、真弥は抱いて慰めてくれた。
そんなふうに接してくれた者はいなかったから最初は戸惑ったけれど。
すぐにその腕の暖かさとぬくもりに涙は止まらなくなった。
あのときは直接抱いて触れながらも、瑠璃が少女だと気づかなかった真弥に呆れていたけれど。
もしかして……気づいているのに知らないフリをしていた?
瑠璃が知られたくないと思っていることを知っていて?
そういえば初対面のときも、はしゃぎすぎて地を出してしまったことがあった。
あのときは言葉遣いを取り繕うことも忘れていた。
真弥はたしかに落ちこぼれ剣士と揶揄されているが、その実力は最高峰。
そのことは後になってから知った。
初対面のときに真弥が驚いていたのは、瑠璃が気配を感じさせずに近づいたからだと言っていたから、おそらく気配を読み取る能力にも長けているのだろう。
つまり鈍感なのではなく、真弥はとても敏感な青年であることを意味している。
たしかに真弥はおおらかで楽天的、おまけに鷹揚で人柄は温厚。
そういうふうに彼を見れば、鈍感でも不思議はない気がするけれど、本当の彼はだれよりも闘うことに長けた剣士。
天才とまで呼ばれるほどの。
その真弥が瑠璃ていどの変装を見破れないはずがないのだ。
おそらく真弥は気づいている。
瑠璃が少女だと。
知っていて知らないフリをしていてくれた。
瑠璃が知られたくないと思っていることを知っていたから。
真弥がなにも打ち明けなかったのは、瑠璃が偽っていることを見抜いていたから。
言わせなかったのは瑠璃の方だ。
彼に指摘されて初めて気づいた。
家を探していると言った。自分の家を。
それはどういう意味だろう?
両親はいないのだろうか?
それとも両親の元から独立するのだろうか?
どうすればいいのだろう。
真弥にすべてがバレているなら、このまま隠し通して付き合えるとは思えない。
だから、真弥は気づけるように指摘してくれたのだろう。
でも、答えが出ない。
「真弥……」
名をささやくと涙が出た。
その意味には気づけなかったけれど。
「泣いていらしたんですか?」
神殿の私室に戻るなり、由希がそう驚いた声を投げてきた。
かつらを取ると長い黒髪がバサリと落ちる。
そうして微笑んでみせた。
「大したことではないの。風で眼になにか入ったらしくて、痛くて泣いてしまったのよ。どんなに泣いても痛みが取れなくて困ったわ」
肩を竦める瑠璃に由希がホッと安堵した顔になる。
嘘をつくのは心苦しかったけれど、由希に本当のことは言えない。
真弥のことを言ったとたん彼がどんな目に遭うか。
「泣いているのは由希の方でしょう? 朝から元気がないわ。昨日まではいつも通りだったのに。なにかあったの?」
衣服を着替える瑠璃の手伝いをしてくれる由希にそう言えば、すこし強ばったようだった。
純白の綾織りに着替えてから振り返る。
「本当にどうかしたの、由希?」
見詰めてみれば由希は泣き出しそうな顔をしている。
勝ち気な少女らしくない表情に瑠璃は本気で驚いた。
家柄のせいもあるだろうが、由希はそういう顔はしない少女だったので。
「いったいなにがあったの? 教えてちょうだい。由希。心配じゃない」
「父さんが……あたしの気持ちを考えてくれて大好きな人に、その……結婚を申し込んでくれたんです」
「あら。そうなの? そうよね。由希だってもう14だもの。婚約の話が出ても当然なのよね。むしろ遅いくらいだわ。わたしは例外だし」
普通の少女は12になるまでには、大抵嫁ぎ先を決めると聞いている。
実際に結婚するのはもう数年後だが、婚約だけは早いのだ。
12にもなれば大抵の少女は花嫁になる資格を持てるから、その時期に決めるのが理想的とされていた。
由希の家柄を思えば、この話は遅いくらいだった。
でも、いつも身近にいる由希に大好きな人がいるとは思わなかった。
もしかして断られたのだろうか。
受けてもらえたなら、こんなに落ち込まないだろうし。
「……もしかして断られたの?」
おそるおそる言えば、由希は泣き出しそうに顔を歪めてしまった。
どうやらその通りらしい。
困った。
そういう問題には慣れていないから、どう慰めたらいいのかわからない。