□訪。
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草臥れたビルとビルの間、何かが駆ける音が響いた。それを視認するには余りにも暗く、速く、静かであった。

「はっ…はぁ、…っ」

微かに聴こえてくる声は確かに人間のものであったが、東京にはそれ以外にも“生物”として息づいてものたちがいた。

――“喰種”。

彼らは人を喰い、自らの糧にすることで生きていた。

「待てよぅ、そんなに逃げなくたって良いじゃないか。大丈夫、僕は優しいから――…」

暗闇に突如現れた白銀と似合わない声と台詞に、追われていた男は荒い呼吸を録に整えることも出来ずに目を見開いた。背後には壁。高く聳えたそれは彼を絶望させるには十分であったが、絶望する男とは逆に、白銀の髪を生暖かい風に靡かせ余裕の笑みを浮かべているのは、年端もいかぬ少年であった。しかし、彼はただの人間ではない。尻の辺りから生えているグロテスクな尾をゆらゆらと妖しく揺らせて、少年は笑みを崩さなかった。

「た、助けてくれ!知らなかったんだ…ッ、まさか…こんな…っ!」

少年の目の前で男が命乞いを始めたのだが、何のその。尾を手繰り寄せ、その先端に唇を寄せると、少年はべったりと嫌な笑顔を貼り付けたまま首を傾げた。
ヒュッ、と男の喉が鳴る。

「これで、一瞬で逝かせてあげる。」

ぐにゃり、そういう表現が正しい。と、腹を貫く熱と霞んでいく意識の中で男は口から溢れる赤の滴もそのままに、少年の白色を見つめることしか出来なかった。

「ぐ……ぞ……」

ごぷ、という液体の溢れる音は男の口からだったのか、それとも少年の尾が貫いた腹からだったのか、暗闇の中では確認することも出来なかった。
鈍い何かを這うような音の後、少年の白銀の髪は漆黒のローブのフードに隠れて溶けた。

「いただきます。」

やけに高い声の後、手を合わせる音がビルの間を谺した。

一部始終を見ていた上で、男がこうなった理由を知る喰種たちは少年のその行動に顔を歪めざるを得なかった。

「信じられねぇ…たかが肩がぶつかっただけじゃねぇか。」

「彼奴にはカンケーねぇよ。…『ユキネコ』にはな。」

自身の体の半分以上はあるであろう長い尾赫を揺らし狩りをする少年の姿は見る者に猫を想像させた。まぁ、猫と言うにはその所行はえぐすぎるのだが。見た目の幼さばかりがやはり目立ってしまっているのだろう。

「…、猫…」

こそこそ話している喰種に目もくれず、じっと美味しそうに“共喰い”をしている背中を見つめていたのは、ここ…4区のまとめ役という退屈な日々を過ごしていた青年だった。騒ぎがあると気紛れに来てみたら、なんとただ一人の子どもにしてやられているだなんて。

「(喰われてる奴は…ウチの奴じゃない。)帰ろう、またきっと会えるから。」

必要ならね、と心の中で呟いてから青年は回りの喰種に声を掛け、少年に背を向けた。
「御馳走様でした。」というやけに丁寧な挨拶を聞きながら、青年は最近来たばかりの別の人物を思い浮かべ、また面倒なことになりそうだと気を揉んだ。青年の顔を見ていた喰種には、どう見ても笑っているようにしか見えなかったのだが、本人は気付いていない。



残ったのは僅かな血溜まりと、静寂のみであった。



 
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