[緑病]


「創作工房 群青」の20013年5月の課題の
漢字一文字【 緑 】で書きました。

この作品は自分自身の実話を散文詩という形式で書いたもので、
他の緑に関する[豆知識]付きです。
とにかく、かなり[緑]に拘って作りました。


    初稿 エキサイトブログ 2013年5月16日 文字数2,075文字




 

http://www.fanpop.com/clubs/green/images/31012786/title/green-photo



 [緑病]


私はかつて[緑病]と呼ぶべき奇妙な病気に罹ったことがある。
それは十八歳くらいの時で、高校を卒業して初めて社会人となって働き始めた頃のことだった。
なぜか緑色に魅かれて、服も靴もバッグも帽子も身に着ける物がすべて緑色になってしまったのだ。決してセンス良くはない、奇妙な緑色の娘にしか見えないだろう。
どうしてあれほどに緑に一色になったのか、今もって謎である。元々さほど好きな色ではなかったのだが、当時はあの色に癒されていたのかも知れない。
高校から大企業に就職して、機械の部品の中に組み込まれた歯車みたいになって働いていたら、半年の間で約6キロ痩せてしまった。仕事がキツイというよりも、人間関係や会社の雰囲気に慣れるのに必死だった。
雁字搦めの生活が苦痛で何度も泣きたくなった。社会に順応性のない私が、自分を抑えて抑えて働いていたのだから、今考えても、それは相当なストレスだったと思うのだ。
緑色の持つ色のイメージである、自然や癒し、平穏などといったことを深く望んでいたのだろうか。それは自らの嗜好で求めたものではなく、自分を護るための鎧甲冑のようなものだったのだ。そして不本意な生活を強いている社会への怒りを封印するための緑色だったのかも知れない。
その頃の自分は無知で未熟で不安定な生き物だったから――。
まあ、その点については今もあまり変化はないが、ただ、世間の荒波に揉まれて、確実に『打たれ強い人間』へとは進化している筈である。
三年後に私はついに会社を辞めて、東京へと飛び出していった。
その途端、まるで憑きものが落ちたように緑色に興味を示さなくなってしまった。そして緑一色は悪趣味だと気付いて、私の身の周りから緑色はどんどん駆逐されていったのだ。
現在、草や木以外で緑色を美しいと感じることはあまりなくなった。
そういえば、ある時、街で全身緑色の老婦人を見たことがあったが、決してセンス良くなかった。痛々しいほどの緑尽くしに、この人は『心が病んで……』そうだなあという印象を持った。たぶん、当時の緑色の自分も気味の悪い病人にしか見えなかったことだろう。
何か一点に強く拘るということは、何かから逃れたい気持ちの表れだったのだろうか。[緑病]だった自分を、今の自分が冷静に分析してみると思い当たることも多々ある。
あれは自分の中で[緑病]と呼ぶべき、不思議な現象だった。





 緑色の心理効果

心や身体の疲れをいやす。
目の疲れに効果的。
鎮静作用、緊張緩和など
リラックスの作用がある。
穏やかな気持ちを与える。

 緑色から連想するイメージ

自然、癒し、受動的、安定、健康、回復、平和、植物、さわやか、若さ、新鮮、おだやか、安息、安全、やすらぎ、幸福、生命力、平穏、未熟、希望、環境、再生、くつろぎ、若々しい

 緑色から連想するもの

JRの窓口、野菜、宝くじ、緑茶、アウトドア、葉っぱ、ピーマン、山、信号、草、森、宝石、芝、ゴルフ場、メロン、カエル、胡瓜、牧場、黒板、四つ葉のクローバー、植物、わかめ、野菜、田園、青葉、春風、公園





「緑」をイメージした映画


 緑の光線(1985年・フランス)

独りぼっちの夏休みを何とか実りあるものにしようとする若い女性の旅を、優しい南仏の光に包まれる幸福を観る者にも味わわせながら、おっとりと軽妙に語っていくロメールの技に感服してしまう、最良のバカンス映画。恋に恋する彼女の理想は高く、昔からの男友達も、新たに現われた男性もなんとなく拒んでしまう。この優柔不断さを“あるある”と頷いてしまう向きも多いのではなかろうか。題名の“緑の光線”とは日没の際、一瞬見えると言われる光のこと。もちろん、それを見た者は幸福を得られると言いならわされており、主人公は愛する人と共にその光を見るのを夢見ているのだが……。女性スタッフ3名のみ(そこに出演者たちが手伝いで加わる)の小編成、16mm撮影という身軽さで、こんなに奥行きのある作品を飄々と作ってしまうロメールのこの映画作法にこそ、ヌーヴェル・ヴァーグの精神が原型のまま息づいている。


 緑の館(1959年・アメリカ)

革命騒ぎの祖国を逃れて南米オリノコ河上流のジャングルに入り込んだベネズエラの青年アベル(アンソニー・パーキンス)は、人跡まれな南米ギアナの森の中で、神秘的な少女リマ(オードリー・ヘップバーン)を見いだす。二人は、たがいにひきあうものを感じ、愛情という苦しいものを胸の中に抱きながら、近づいては遠のき、はなれてはまた近づく。しかし、とうとう二つの心の溶けあう日が訪れる。だが、少女は青年のとめるのもきかず、楽しい希望に胸ときめかせながら、一人さきに、自分の森に戻り、惨劇に……南米ギアナの密林に咲いた美しいロマン。
当時ヘップバーンの夫であったメル・フェラーが初監督したファンタジックなラブ・ストーリー。それまで都会的エレガントな魅力をふりまくことの多かった彼女だが、ここでは野性的な中から神秘的な個性を醸し出そうとしている節も大きく感じられる。彼女としては、いわゆるイメージチェンジを図りたい時期であり、それを夫が察知したことが製作のきっかけだったのかもしれない。










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