短編集

□もしこんな世界なら
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「もし、こんな世界なら……」
「どうしたの、花京院?」
「いや……何でもないよ」

花京院と名無しさんは、学校の帰りに一方の誘いによって、行きつけの喫茶店へ足を運んでいた。
その中で、二人とも珈琲を頼み、喉に通していた。

花京院の先ほどの言葉が乾いた静かな空気を掠め取って、地面に落ちるように静寂の雰囲気が辺りに漂う。
名無しさんがそれに反応するように、眉をひそめてにが笑う。すると花京院もつられてにが笑った。
珈琲のように苦い笑いを浮かべた二人は、顔を合わせて再び苦い笑いを浮かべる、その時、花京院が口を開いた。

「ごめん……つい……ね」
「ううん、こっちこそ。ごめんね」
「暗いね。でも、これでいいやとも思う」
「私も思ったよ。だって今幸せ」

名無しさんは頬杖を片手でつくと、花京院の鼻の頭に人差し指をあてがった。
花京院はそこに集中するように、目を寄せて、寄り目する。
今まで静寂で包まれていた二人の間にも、少しの騒がしさが漂い始めた。
花京院がもし……と言いかけやめる、と名無しさんが困ったような面持ちで、頭を捻った。
そして、花京院はもう一度口を開いた。

「もし……さ、こんな世界なら……きっと、僕はきっと……やっぱいいや」
「何、気になるじゃんか」
「ううん、やっぱいい」
「何だ……」

名無しさんは、何が何だか分からないと言ったように手をひらひらと振るうと、
帰ろうと立ち上がった。すると、花京院が待ってと名無しさんを制止する。
そして、花京院は定員にさくらんぼを頼むと名無しさんに、僕はさくらんぼが好きなんだと告げた。
名無しさんは、少々不服そうにへぇと、音をあげた。

「それで、さくらんぼ……名無しさんは好きかい?」
「ん、 まぁね」
「じゃあさ、 さくらんぼを食べるならどんなものを選ぶ?」
「真っ赤なの」
「うん。 だから僕もいいものを選びたかったなって」

名無しさんは、意味が分からず、は?と言うと花京院と運ばれたさくらんぼを交互に見つめた。
花京院はその視線に気がつくと、目線を名無しさんに向けて、ふっと微笑んだ。名無しさんもできるかぎり微笑んだ。

花京院は、名無しさんが知っての通り、舌の上でさくらんぼをコロコロと転がして、そのまま口に含み、食べる。
名無しさんは、その一連の動作を眺めると、ふぅとため息をついて花京院を見直した。
花京院の悩ましげな顔と、窓から零れる夕日に当たった睫毛が悲しげに歪んでいるように見えた。

「うん。ごめん……これが」
「…………?」
「これが……幻想と知っていながら、これが……夢と知っていながら、僕は見て見ぬ振りをしてたよ」
「……うん。知ってる、これは夢」
「そうだよね、僕の永遠に覚めない長い夢」

名無しさんと花京院はそう悲しげに呟いた。

もし、こんな世界なら……僕と君とは永遠に結ばれてたままだったのかな……とか、考えちゃうんだ。

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