短編集

□悲しくて、辛くて
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「ごめんなさい。」

そうして俺は毎日、毎日、鏡に呟くんだ。
醜い涙をボロボロと零しながら、文句ひとつ言ってはくれない目の前の鏡に呟くんだ。
もうこうして何日と過ぎただろう。

あれは、数日前のことだったかな。ちょっとしたアンティークショップにいた時。
不意にドアの方を見ると、凄く綺麗で、言葉じゃ表しきれないほどの清楚さをもった女の人が立っている。
俺は一気に顔が赤く、熱くなるのを感じ、反射的に下を向いた。
そうしていたら、彼女が俺に気がついたんだろう。
「大丈夫ですか?下を向いて、体調が悪いんですか?」
「いや、大丈夫です。」

驚くことに声をかけてきたんだ。
俺は急なことにびっくりして、素っ気なく返す。その自分が発した言葉に自己嫌悪する。
彼女は、安心した顔を浮かべて、良かったと呟いた。

「でも、顔色悪いですし外の空気吸いましょう?」
「え?あぁ、ありがとう。」
俺は彼女に流されるままに外に出る。
外の空気をこんなにも清々しく感じたのは、初めてかもしれないというほどに俺は、一気に開放感と眩しい太陽に酔う。
行きには、ジンジンと突き刺さる太陽と時折吹く髪の毛を掠め取る風に鬱陶しさを感じていたのにも関わらず。

「良かった。顔色良くなりましたよ。」
「本当か?」
「えぇ。」

その後、介抱のお礼にとカフェに誘った。こんなことはイタリアでは、日常茶飯事で、男性が女性をデートに誘うことは、当たり前なのだ。
彼女は、あっさりと了承を下して、俺にお勧めの店を聞くと、じゃあそこでと返した。
もともと、恋愛に関しておとく、引っ込み思案だった俺は、初めて誘った女性だった。

「ごめん。名前は?」
「あっ、あぁ名無しさん。」
「俺は、イルーゾォ。」
「変わった名前。本名じゃあないでしょう?」
「本名は、無いからね。」
俺には、もう本名がない。
暗殺という影の世界で、息をしている俺にとっては、もうすでにそこに入った時点で、本当の自分は、捨てなくてはいけないのだ。
その俺の本名は、無いという言葉に彼女は、申し訳なさそうな顔で、謝罪を述べた。

「構わねぇよ。気にしてない。」
彼女の顔から察するに、俺は元孤児で名前が無いとでも思ったのだろうか。
それで、謝罪をしたのだろう。
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