『明日会えるか』
そんなメッセージを映し出したスマホに俺は、あからさまに動揺した。
短文の送り主はトラファルガー・ロー。高校卒業以来、2年以上も音沙汰無しだった同級生の男だ。
つるんでいた仲間とは、卒業しても1ヶ月単位で同窓会的飲み会を開いているが、そうした集まりにトラファルガーが来ることはなかった。連絡先を知ってるのは偶然のようなもので、あいつも呼ぼうぜ、と仲間の一人が俺に奴の電話番号やらを教えてきた、というだけだった。
何故か野郎共が集まる時は俺が集合をかけることになっていて、初めの頃は奴にも連絡していた。けれど毎回、来る返事は同じだった。
『行かねえ』
『行けねえ』ではなく、『行かねえ』。元々そんなに馬鹿をする奴でもなかったから、集まり自体が性に合わないんだろう、俺の中にそんな認識が生まれ、何度目かでトラファルガーへの連絡は絶えた。
動揺の中で思ったのは「何で今?」だった。前回の飲み会はたった2週間前。もう次の召集をかけてるわけでもない。
そして「何で俺?」というのが一番だ。そもそも俺は、トラファルガーに嫌悪されていてもおかしくないのだ。
「久しぶり、だな」
「……ああ」
帰省客に混じり、改札から出てきたトラファルガーは、2年ぶりに連絡を寄越した奴とは思えない仏頂面で俺の前に立った。目のクマも眠たげな雰囲気も、相変わらずで何故か安心する。
「お前も帰省だったのか?」
肩にかけた大きめのリュックは、旅行用のものに見える。
「いや、……ああ、似たようなもんだ」
「しばらくこっちいるなら、他の奴も呼ぶけど」
「…いい。お前だけで」
そうは言っても、俺を見ようとはしない。俺もぎこちなくなってしまうのは、気まずい思い出を共有しているからだ。
夏に開催される学園祭。高3は嫌が応でも盛り上がる後夜祭で、男連中の何人かが花火を持ち出した。ただっ広いグラウンドで花火200発詰め合わせセットは、はしゃぎたい連中には格好のアイテムだった。
誰かがそこに王様ゲームを複合させたのだ。
「1番と10番、線香花火燃えてる間キス〜!!」
「うっわ悲惨!」
「キッドと、トラファルガー!?まじウケる!」
爆笑と興奮のるつぼで、俺とトラファルガーは向かい合った。命令を出した王様に「てめえ覚えてろよ」と悪態をつきながら奴を見ると、普段こうしたふざけをしないからだろう、不安と『本当にやるのか』と問いたげな視線が俺を見上げていた。
何でもそつなくこなす優等生の、頼りなげなその姿に、俺の中で何かが沸き上がった。嗜虐心とか、そんな大層なもんじゃない。下心を親切面で隠した、赤ずきんを前にした狼と同じ欲望だ。
「点火〜!」
俺は笑っていたと思う。コイツをどう食ってやろうかと。
赤い小さな火花が弾け出し、細い顎を捕らえて噛み付いた。ぎゃははと周囲で笑いが爆発した。
トラファルガーの動揺が唇から伝わる。角度を変えて、舌を捩り込んだ。
「!…っ、ン、」
バチバチとヒガンバナに似せて爆ぜる花火。びくんと震えた肩。爆笑をBGMに、小さく漏れた奴の吐息。そっと、奴が舌を差し出してきた。俺は、自分の興奮が跳ね上がるのを感じ…
「しゅうりょ〜!」
二人共、その言葉で我に帰った。線香花火の赤い玉がボトリと砂に落ちている。
危なかった。止めてくれなかったら、先へ進んでいたかもしれない。
突き放すように無言で顔を背け合った。花火の馬鹿騒ぎは続いていたが、俺は頭と体の整理で精一杯だった。
(嘘だろ…)
下半身に灯った熱。快感だったというだけのことならまだいい。
顔を真っ赤に染めて呆然とうずくまる奴もきっと、俺と同じ…
(勃っちまって、んのか…)
唇をぐいと乱暴に拭って、トラファルガーは後夜祭のグラウンドを出ていった。
それ以来、ほぼ口をきくこともないまま、俺達は卒業式を迎えた。
駅から何の気無しに歩いて、公園にたどり着いた。気まずさが先に立ってしまい、俺んち来るかとは言えない。飯を食いたいわけでもないらしく、飲食店街は素通りした。
ベンチを二人で陣取ると、近況に話が及ばざるをえない。
「どっか行ってたのか、その大荷物」
「ああ、…放浪に」
「放浪ォ!?どこまで!?」
「そんな遠くじゃない。まあ…そこそこの田舎まで」
「お前、医者になるとか言ってなかったっけ」
「別に今からでも、なろうと思えばなれる。…ユースタス屋、は」
「俺は兄貴のコネで、その辺の会社に」
久しぶりに、トラファルガー独特の「屋」呼びをされて、気持ちが舞い上がる。嫌われてるかも、なんて後ろ向きな考えは引っ込めた…のだが。
「――お前から、離れたくて」
舞い上がった気持ちが急降下して冷え固まった。急に連絡してきて、伝えることがそれか?
しかしトラファルガーは一大決心をしたかのように、俺を見ずに続ける。
「離れれば、冷めるんじゃねえかと思って…一時の風邪みたいなもんで、…あの時のこと、思い出さなくなるまで」
どきりとした。
お前もか、そう言いたいのを飲み込んだ。
記憶から、体から、離れないのだ。後夜祭の日のキスが――その時沸き上がった熱が。好きだの何だの考える前に、体がどうしようもないほどトラファルガーを求めているのだ。
いくら若いといっても正直すぎるだろと、溜息を何度漏らしたことか。
「…夏になって、花火見ると、もう駄目で……だから、いっそフラれに来た」
まるで罪人のような顔で、トラファルガーが俺に応えを促す。
「俺のことフってくれよ、ユースタス屋」
「…なんでだよ」
「気持ち悪ィって言ってくれよ。お前に抱かれてェとか思ってんだぞ俺」
「――それ、テメェだけ楽になりてェんじゃねえか」
もう少し言葉を選ぶべきだったけど、俺にそんな余裕はなかった。ヤケになりかけたトラファルガーが、表情を強張らせる。
「テメェはあのキス気持ちよくなかったってのか?俺は良すぎて未だに夢に見るぜ。俺が夢で何回テメェを犯したと思う?抵抗されるから無理やりヤってんだよ。そのたびに俺サイテーだなってめっちゃ落ち込むんだよ、それをフラれて楽になりてえって」
「…抵抗は、しねえ…ていうか…その…」
俺が口を開くたびにトラファルガーの赤面が拡がっていく。
テメェはフラれるつもりで告白したんだろうが、フってなんかやるもんかよ。
「…せっかく、逃げてたのに……」
泣き笑いの顔で、トラファルガーは自分の気持ちをやっと肯定できた。狼な俺にとっても好都合なので、さっそく舌なめずりをする。
「飯食おうぜ。ディナーは俺んちで食うとして、まずは昼飯」
「それもいいけど、コンビニ寄ってくれ」
照れ臭そうに、赤ずきんが笑う。
「花火、買おうぜ」
「線香花火より燃焼長ェやつな」
おわり