夕闇イデア

□U
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部屋で眠ったまま目覚めない凛桜。
赤井はその枕元に座り、少女の白髪を梳き撫でた。
“あの日”から、2週間と3日が経った。
時折凛桜の身体が透けるとコナンに聞いてから、赤井はこうして彼女の様子を頻繁に見るようにしていた。
タイミングが悪いのか、未だに見たことは無い。
帰りたがっているのか、ただ起きたくないのか。
凛桜は一度も、「帰りたい」とは言わなかった。
そんな素振りも全く見せずに、こちらの生活を存分に謳歌していた。
周りに感化されて雰囲気が柔らかくなっていき、纏っていた裏社会の暗い気配が徐々に薄まっていたほど。

「……凛桜」

名を呼ぶと、微かに凛桜の眉が動いた。
その時。
ジジッという電磁波のような音と同時に、少女の身体がブレた。
二重、三重と揺れ、赤井の視界もぐらりと暗くなる。

「な―――」

世界が歪んだような妙な感覚の後。
気がつけば、そこは見知らぬ場所だった。
人のざわめきがどこからか聞こえる。
周りを見渡し、赤井は現状を確認した。

「ここは――コンサートホール、か?」

警戒しながら、気配の方へ進んだ。
大きなホールだ。
いくつもある重い扉を僅かに開き、中の様子を伺う。
扉の近くには怪しげなフードの集団が固まって立っていた。
自分の姿は見えないように扉で隠しながら、全体を見渡した。
立派なパイプオルガンが置かれ、ぐるりと360度の角度から舞台を見えるように座席が配置されている。
ほとんどその全てに、仮面をつけた人が座っていた。

「カタログご覧になりました?私の出品したモノも並びますのよ」
「興味深いラインナップですねえ」
「開始はまだですかね?」
「上等な飼いビトが欲しくてね」
「専属のシェフに調理させます」
「最近は“白鳩”の目も光っておりますからなあ」

様々な会話が聞こえる。
その内容から察せられる事実に、赤井はすぐさまに扉を閉じた。

(―――まずいな)

ホールの中にいたのは、人間ではない。
全員、喰種だ。
出品やカタログといった単語からして、今から行われるのは恐らくオークション――競られるのは、人間。
そして間違いなく、ここは凛桜のいた世界だ。
“凛桜に引きずられて来た”という蓮の言葉を思い出し、赤井は舌打ちした。
どうやら、自分も引っ張られたらしい。
外に出ることが一番だが、下手に動いて捕まってしまえば終わりだ。
迷っているうちに、オークションが始まったらしい。

「紳士淑女の皆様。大変長らくお待たせ致しました。名品珍品の集うオークションは数あれど、人、人、人……人間を扱うオークションは我々“喰種”の世界特有でございます」

司会者らしき声が、マイク越しに響く。
扉越しで聞き取りにくいが、内容は把握できた。

「お帰りの際くれぐれも白鳩にご注意を?皆様が箱に入れられ品物にされぬことをお祈り申し上げます」

どっと笑い声が中で轟く。
会場の見取り図を見つけ、赤井はそちらへ移動した。

「ご紹介が遅れました。司会、ならびにオークショニアは我々ピエロが務めさせて頂きます」

会場が異様な空気で支配されていることが、壁越しにも分かる。
人を競りに出すことの異常さがありありと出ている。
赤井の知る喰種は凛桜と蓮だけだ。
蓮のことは詳しく知らないが、凛桜は人間と同じ感性を持ち、生活していた。
CCGに殺された仲間を思い、CCGを恨みこそすれ、人間自体を嫌ってはいなかった。
親しみやすい人柄であることは、周りの人間との付き合いを見ていても分かる。
だが――、ここにいる喰種は違う。
モノのように人に値段をつけ、売買する様は凛桜達とは明らかに毛色が異なる。
人を尊重する意思がないと、ああはならない。
ひとまず状況を見ながら脱出しようと歩き出した赤井の袖を、誰かが掴んだ。

「―――!」

中にもいた奴らと同じフードをかぶった喰種だった。
しぃっと人差し指を立て、軽く袖を引っ張られる。
その仕草にはっとした。

「―――凛桜?」

ぎょっとした様子で、喰種が振り返る。
その拍子にフードがめくれ、顔が顕になった。
――驚きに満ちた顔で、凛桜が赤井を凝視していた。

「……ついてきて」

一瞬の間の後、彼女は小走りに駆けた。
楽屋の一室まで連れ込まれると、不審げな目が下から覗き込んだ。

「……だれ?私に人間の知り合いなんて――」

言いながら彼女は眉を寄せた。
自分の言葉に違和感を持ったかのような表情だ。

「記憶がないのか」
「!」

凛桜が勢いよく赤井の両腕を掴んだ。
強くはなく、加減された力にやはりこの少女は凛桜なのだと再確認する。

「私が覚えてない3年間を知ってるの?」
「3年?俺とお前が知り合ってから1年も経っていないが……」
「……どういうこと?というか、何で人間がこんなところにいるの?そもそも私とどういう関係?」

色々と混乱している凛桜を制し、赤井は順に答えていった。

「俺とお前は同居人という関係だった。違う世界から来たというお前とな」
「……何言ってんのかさっぱりなんだけど」
「まあ聞け。……自分が喰種だと明かしたお前を監視するために同居していたんだ。しばらく一緒に住んで、それなりに仲も深まった時にお前の弟が現れた」
「………………で?」

弟という言葉に、凛桜の手に少し力がこもった。

「CCGの捜査官も現れた。弟と捜査官は既に死んでいて、お前に引きずられる形で世界を渡ったそうだ。捜査官を全員殺したがお前は重傷を負っていた。今は意識不明の寝たきりだ」
「ちょ……っと待って。寝たきり?私が?弟は?」
「……消えた。俺もお前に引きずられたんだろうな。看病していて、気付いたらここにいた」

凛桜の両手から力が抜け、重力に従ってだらりと落ちた。

「……あなたを見た時、知ってる人だと思った。今の話も、信じられないけど……なんだか知ってる気がする」

唇を噛み、凛桜は瞳を揺らした。
こんなことをしてる場合じゃないのに、と言って彼女はホールの方向へ視線をやった。

「凛桜、なぜこんな所に?こういう催しは好きではないだろう」
「ちょっと探りたい人物がいて。……ここはもうすぐ戦場になるよ。大勢の白鳩が乗り込んでくるし、アオギリもいるから激戦だ」
「アオギリ?」
「喰種集団の名称だよ。この格好した奴ら、見なかった?潜り込むのにちょうどいいから借りたの」

借りたと言うが、恐らく強奪したのだろう。
明らかに丈が合っていない。

「その、探りたい人物とやらは白鳩側にいるのか」
「……なんで分かるの」

む、と訝しげに見上げる茶色の目に懐かしさを覚える。
もう数週間も、彼女の目を見ていなかったのだ。

「オークションをしているホール内の様子も見ずにうろうろしていたということは、目当ての人物は中にいないということだ。それに、喰種を探しているのなら“人物”とは表現せずにそう言うだろう?」
「……探してるのはオークションにかけられてる人間かもしれないよ?」
「それだとホールの扉周辺を歩いていた理由がつかない。お前のことだ、“商品”がどこに閉じ込められているのかくらい、知っているだろう」
「……詳しいんだね、私のこと」

眉を下げた凛桜は、小さく笑った。
記憶がないと言ったが、そのまま昔の彼女に戻ったわけではないようだ。
彼女は、赤井と過ごした日々を経験した凛桜だ。
裏社会特有の冷たさや暗さ、嫌な空気がまるでない。
ということは、何かの拍子に思い出す可能性があるということだろうか。

「白鳩が攻めてくるまで、時間はどれくらい残されている?」
「……あと20分くらいかな。捜査官が2人、商品の中に潜入してるから。それの順番が来たら仕掛けてくると思うよ」

ホールの音を聞いているのか、凛桜が目を細める。

「ここは奥だから、喰種はたぶん逃げ込んでこない。しばらくは安全だけどずっと籠ってるわけにもいかないよ。アオギリが動き始めたらそれこそ危険だし、癪だけど今のうちに白鳩に匿ってもらう?」
「CCGにか?」
「民間人は保護してくれるよ。一応あいつら、人命優先を掲げてるからね。守ってる所はあんまり見たことないけど」
「……今はそれが最善か」

赤井は頷いた。
凛桜から目を離したくなかったが、事態はそれどころではない。
一旦離脱し、後で合流することが望ましいだろう。



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