夕闇イデア

□W
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毛利探偵事務所まで凛桜を運び、ビニールを敷いたソファに彼女を寝かせた。
蓮は偵察に行ったらしく、場所を確認した後姿を消した。
道中、目立たなかったと言えば嘘になるが、上着のおかげで凛桜が出血していることは通行人には分からなかったはずだ。
コナンとは途中で別れ、工藤邸まで凛桜の替えの服を取ってきてもらっている。
安室は鋏で服を切り、傷を露出させた。
乾いた血と新しい血を床に落とさないようにして服を袋に入れる。
腹の傷口を洗浄し、止血を施した。
ふと、観覧車での出来事を思い出す。
あの時も凛桜は負傷していたが、人間ではありえない速さで傷が治っていた。
傷はあの時の比ではないにせよ、あの治癒力なら5日あれば完治していてもおかしくはない。

「……この傷、刃物ですか?」
「形状は、刀みたいだったかな……。刃物ではないけどね」
「刃物でないなら、なんです?」

処置をする安室の手を、凛桜の目が追う。
出血と安心感からか、彼女はどこかぼんやりしていた。

「……クインケ」

事務所の扉が開き、コナンが入ってきた。
血の滲む腹の傷を見下ろし、凛桜は息を吐いた。

「原料は赫子。観覧車の時に見たでしょ。あれを加工したもの。確実に私たちに傷をつけられるものなんて、赫子しかない」
「それ、って――」

コナンが顔を歪めた。
彼の予想は当たっていた。

「殺した喰種を解剖して、弄り倒してできた産物。強い赫子であればあるほど、強力なクインケになる。……おぞましい。本当に――、初めて見た時は、信じられなかった」

凛桜は身を起こし、安室に背を見せる。
ソファの背もたれに頬を預けて気怠げにコナンを見た。

「あいつらにとっては、それが正義。……仕方ないよね。絶対に相容れない存在同士が敵対すれば、こうなるなんて分かりきってることだ。それでも、私は絶対に許さない。許してしまったら、死んでいった仲間があまりにも報われない。だから、私はあの人達を許してはいけない」
「……そんな怪我をしてでも?」

コナンの言葉に、凛桜は瞬いた。
そして、ああ、と納得する。
これが心配されるということだと、彼女はようやく気が付いた。

「決めたんだ。白鳩は全員殺す。同胞や死んだ仲間達のためにも、他でもない自分のためにも。けど、そのために仲間を失ってたら意味がない。……この傷は、あの子を守れた証」

安室が手際良く包帯を巻き、処置を終えた。
凛桜はコナンから荷物を受け取り、服を取り出した。
袖を通し、確かに感じる痛みに苦笑する。

「……守れて良かった。また会えて、良かった」

そうか、とコナンも理解した。
凛桜はいつだって守る側で、守られる側にいない。
蓮のことを語る彼女は、まるで親のようだ。
少年探偵団を当然のように守り、助けていたのも今までずっとそうしてきたから。
自分が他者を心配することはあれど、他者から――自分よりも立場が上の者から心配されたことがない。

「凛桜さん、彼は一体……」

凛桜はゆっくり立ち上がり、ソファに敷いていたビニールをまとめた。

「名前は蓮。歳は14、だったかな。最後に会ったのは9年前」
「まだ、あんたの髪が白くなかった時だな」

気配なく、蓮が入ってきた。
凛桜は彼を軽く睨み、文句を言った。

「余計なことは言わなくていいんだよ、この愚弟」
「あぁ?余計なことじゃないだろ、クソ姉貴。いつからそんなに弱くなった?」
「君こそ、随分口が悪くなったな。そんな育て方をした覚えはないよ」

冷ややかに互いを見据える2人にコナンが割って入った。

「ちょっと待って。凛桜さんの、弟?」
「なんだ、このガキ。……まさかコイツに絆されて思考まで甘くなったんじゃねぇだろうな?」
「仮にそうだとしても、蓮。君が口を出すことじゃない。私が人間の子供に絆されようが、それで甘くなろうが、君には関係のないことだ」

よく見れば2人は顔のパーツが似ている。
柔らかそうな髪質も同じだ。

「関係ない?ふざけんなよ。――8年前、何があった。白鳩に捕まってあんた、何をされた?髪の色変わるくらい、痛めつけられたんだろ。答えろよ!」

凛桜が不快げに目を細めた。
ピリピリした空気に、コナンは居心地の悪さに身じろぎした。

「知ってどうする?私の髪はもう戻らない」
「13区のジェイソン――」

凛桜の顔色が変わった。
険しい顔で蓮を睨み、彼女はぎりっと歯を食いしばった。

「姉貴と一緒に脱獄してきたあの男。死んだぜ」
「――ああ、知ってるよ。ヤモリさんは鈴屋にやられた。カネキケンを拷問している最中、彼に反撃された。そのあとに」
「あいつが凶暴化したのは、コクリアを出てきてからだ。何かに取り憑かれたみたいに、人格が変わったみたいに、喰種も人間も見境なしに捕まえて拷問を始めた。……あれと同じことをされたんだろ?」

言い当てた弟を見つめ、凛桜はふっと笑った。

「なんだ、知ってんじゃない」
「調べたんだよ。俺を見捨てた姉貴がどこで何してんのか、気になったからな。コクリアに入れられたって聞いた時は、いい気味だと思った」

その言葉を聞き、凛桜は興が醒めたように蓮から目を逸らした。
話の内容に絶句している安室に視線を移し、彼に近寄る。

「これが私達の現実。誰かに頼るとか、保護を求めるとか、そんなことはしてられない世界。自分しか信じられないし、必要があれば身内さえ見捨てるし傷つける。そうしなければ、到底生きていけないから」

誰かに心配される資格なんてないと、小さな声で吐露した。
凛桜はその口で、また拒絶を吐き出す。

「やっぱり、私に表の生温い空気は似合わないみたい。手当てしてくれて、ありがとう」

口を開きかけた安室とコナンを有無を言わせない威圧と笑みで黙らせ、凛桜は背を向けた。

「……さようなら」

蓮を促し、凛桜は去っていく。
2人は追いかけられなかった。
この場所で得た全てを諦め、捨てようとしている彼女を引き留める言葉が見つからなかった。



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