夕闇イデア

□V
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少女が倉庫に入ってから、30分が経過していた。
設置していた監視カメラは全て破壊され、中を知る術はなくなった。
時折、激しい音が中から響いてくる。
それを聞きながら、安室は車の中でじっと待っていた。

――音が止み、誰かが出てくるのを。

連れてきたのは自分だ。
ならば、見届ける義務があると彼は自分に言い聞かせていた。
やがて音は消えたが、凛桜は出てこなかった。
10分が経ち、20分が経過した。
安室はついに立ち上がった。
凛桜はまだ少女だ。
未成年であり、守られるべき対象だ。
せめて様子くらいは見よう。そう思い、銃を構えて倉庫の扉を開けた。

「あれ、安室さん」

白髪が揺れた。
すぐ近くに凛桜が立っていた。
身体を見る。
彼女は、傷一つついていなかった。
ただ――、むせ返るほどの鉄くさいにおいが、彼女の背後から襲いかかってくる。
凛桜の肩越しに見えた赤色に、背中が総毛立った。

「な――」
「もうじき火事になるから、離れた方がいいよ」

床を覆い尽くすほどの、血の海。
反射的に凛桜の足元を見た。

――どこにも、血はついていない。

「ほら、行こう。油まいたから、危ないよ」

安室の手を引き、凛桜が促す。
思わず、その手を振り払っていた。
細くて白い、握りしめたら折れそうなくらい小さな手を。
彼女は驚きもしなかった。
一瞬だけ、悲しそうな色がその目をよぎっただけだった。

「……あなたが、やったんですか」
「そうだよ」
「……死体は?」
「消えた。原理は分からないけど、もうどこにもないよ」

――消えた?そんなわけがあるか。

「ねえ、安室さん。もうこんなことは起こらないから、大丈夫だよ」
「起こらない、って――」
「だから、ね。忘れよう?君がそんな顔をする必要はないんだよ」

凛桜の心配そうな顔が覗き込む。
振り払ったせいか、彼女はもう触れてこようとはしなかった。
倉庫の中で何かが爆発する音がした。
中を見ると、燃えている。
奥の壁が何か大きなもので抉られたように削れていた。
安室は目を逸らし、ようやく車の方へ歩き出した。
凛桜は横をついていっている。
車の窓に映った顔を見て、息を吐いた。
凛桜が心配そうな顔をする理由が分かり、思わず顔を叩いた。

(――潜入捜査官が表情を出して、どうする)

無理矢理笑顔を作り、凛桜を見下ろした。
彼女はまだ表情を曇らせている。

「送りますよ。乗って下さい」
「……うん」

遠慮がちに助手席に座ったのを見て、安室も運転席に座る。
エンジンをかけ、遠く離れた米花町の方向へ車を出した。

「……あなたは、“何”ですか?」
「言ったでしょ。教えないって」
「コナン君は知っているんですか」
「………………」

沈黙に知っているのだと判断した。
あの少年は、この娘の正体を。

「……私がここまで化け物だとは、思ってないだろうね」

長い空白の後、凛桜が口を開いた。それは肯定でもあり、否定でもあった。

「化け物、ですか?そうは見えませんが」
「……それはよかった」

少女の横顔からは、表情を読み取ることができなかった。
凛桜は“素手で人を殺せる”と言った。
倉庫にいた正確な人数は分からないが、あの血の量からすれば相当多かったことだろう。
安室は横に座る少女が得体の知れない相手だとは、未だに思えなかった。
倉庫のあれは同士討ちで、彼女はどこか別の場所に拘束されていたから無傷なのでは、と憶測が広がる。
そうでなければ、武装した複数の人間を相手にして無事であるはずがないのだ。
凛桜は銃を突きつけられながら入っていった。
火をつけたのはそうだとしても、彼らを倒したのは彼女ではない。
そこまで考え、張り詰めていた息を吐いた。
たとえ凛桜が素手で殺せたとしても、何十人の相手などできるはずがないのだ。
言葉と態度で惑わされたが、冷静になって考えてみると動揺していた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。

(――それに)

安室の手を引いた彼女のそれは、綺麗だった。
血の跡も、鍛えたような跡もない、ただの少女の手だった。
武器を持っていないことは見れば分かるし、扱う指の形でもなかった。
凛桜は手を下していないと結論付けると、それまでうるさかった心臓が急速に落ち着いた。

「……ポアロにでも寄りますか?コーヒーを奢る約束でしたよね」

ぱちり。
少女の茶色い目が瞬いた。
少しの間安室を見つめ、彼女は首を横に振った。

「今日はいいよ。私、匂いがひどいし」
「……そうですか?」
「うん」

恐らく血の匂いのことを言っているのだろうが、安室には感じられなかった。
倉庫から出てきてしばらく風にあたったので、もう流れているだろうにと思う。
あの惨状を目の前にしていて平気そうにしていたが、もしやこれは演技なのだろうか。

「……そういえば、その服装はどうしたんです?見慣れないですね」

今まで指摘する暇がなかったので言わなかったが、今日の凛桜の格好は少々普通とは程遠い。
腰の大部分をさらけ出したチャイナ服など、初めて見る。

「久しぶりに着ようと思って。以前はずっとこれだったんだよ」
「よくお似合いですよ」
「どーも」

素っ気ない彼女の態度に、内心首を傾げた。
やはり、いつも通りに見える。

「私、普通の人より耳と鼻がいいんだよ」
「それは便利ですね」
「だから、君の車ににおいが移ったかもって気にしてるの」
「換気すれば大丈夫ですよ。窓、開けましょうか?」
「じゃあお願い」

車は米花町に入っていく。
大通りを通りながら、安室は問いかけた。

「そういえば、どこにお住まいなんですか?」
「あれ、調べてないの?てっきりもう知ってるんだと思ってた」
「僕は何もしていませんよ。僕の組織から、彼らの監視を命じられたのでついて行っただけです」
「じゃあ、知られるのも癪だから喫茶店の裏……私を拾ったところでいいよ。」
「分かりました」



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